おばあちゃん日記その1【東京から高知へ移住!?】
新シリーズをはじめます。
その名も「おばあちゃん日記」。
こちらもほかのマガジン同様に気まぐれに投稿予定なので、おヒマな時に覗いていただければうれしいです。
そもそも、なんでおばあちゃんのことを書こうと思ったのか。
東京にずっと長らく1人で暮らしていたおばあちゃん。
2人の子どもたちを女手ひとつで育て上げ、教師として長年勤めて、シュッとしてかっこよかったおばあちゃん。
そんなおばあちゃんが、2年前に東京という大都会から、私たち家族が移住した高知の山奥へ引っ越してきました。
そのきっかけは、認知症の疑いでした。
長らく「要支援」という介護認定を受けていたおばあちゃんは週に2回の半日のデイサービスに通っていました。
コロナ禍となり、テニスや麻雀、俳句、ジム、習字など趣味に明け暮れていたおばあちゃんの日常は、それらへ通う頻度も徐々に少なくなり、気がつけばデイサービスに通うだけになっていました。
電話をして「今日は何をした?」と尋ねても、「ずっと家にいてぼーっとしてただけよ!」と答える日が増えていく日々でした。
そんなある日。当時、お世話になっていたケアマネジャーから私の母へ電話があり、「そろそろひとり暮らしは難しいかもしれません」との一言。
現在の状況をいろいろと聞いて、実際におばあちゃんの暮らしている家に行ってみると、そう感じる物的証拠もたくさんあって、私(おばあちゃんの孫)と母(おばあちゃんの娘)のいる高知へ住むのが、介護者が協力し合えるからいいだろうということで、引っ越してきたのでした。
おばあちゃんとしても、もともと山歩き大好き人間だったし、自然が好きで、高知に遊びにきたことも何度かありました。
なので、全く知らない土地に行く感覚はなかったようで「楽しみ!」という気持ちが大きかったようでした。
一方の私は、30代前半で育児、家事、仕事の中に、「介護」という新しいジャンルが生活にぐぐぐっと入り込んできて、余裕のない日々の中で、認知症という病気を患っているおばあちゃんとも向き合う必要がある毎日。
18歳年上の夫をパートナーとしている私は、いずれ彼のことも介護者として接する必要があると想定はしていたので、ちょうどその予行練習になるわ!と気楽に受け入れたものの、次男を妊娠し、つわりの最中はその認知症の典型的な症状による発言や行動が本当に受け入れられず苦痛でしかなく、涙したことも多々ありました。
おばあちゃん介護日記は、そんな私の状況を吐露することで、自分自身の気持ちの昇華と、同じ状況下に置ける方やそうでなくても、ゆくゆくは介護をする立場になる方に状況共有することで、「あの人もあんな風に大変そうやったなあ」とか「あ、これって言ってたやつか!」みたいな感じで、同じ立場の人がいるということだけでも救われることってあると思うのです。
それとね、この怒涛の日々は記録にしていないと私自身もすぐ忘れてしまうのですが、今おばあちゃんと暮らしている、このなにげない毎日は、おばあちゃんがいなくなってしまったら、懐かしく愛おしい日々だったなあと思い出すと思うんですよね。
そういう意味では、自分のための、自分の未来のための日記。大変なこともつらいことも、いずれは笑い話になる!がモットーです。
そんなわけで、ゆるゆるですが、おばあちゃんのリアルな田舎暮らしの様子も伝えながら、更新していきますので、どうぞお楽しみに!
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