【映画: Red Rocket】人生は近くから見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である。(短め感想)
故・立川談志の弟子、テレビでもよく見る立川志らく師匠が「談志の凄さ」について語る動画をいつだか見たことがある。その時に語られた談志の「落語とは何か」ということに関しての独自の見解が面白くて今でもそれが脳裏に染みついている。以下に引用しよう。
「人間の業の肯定」、この「業」という言葉の解釈だけで記事が一つ書けそうなので、ここでは一般的な意味合い、「人間の行為」と解釈してみましょう。談志師匠が言うには、落語とは「基本的にクズな人間を美化することなく、そのクズさをありのまま肯定したもの」というわけです。
そういう意味で言うと、今回語りたい映画『レッド・ロケット』はまるで落語のよう。クズは最後までクズで、結局取り返しがつかないような結果になるという、単純明快でフランクな物語。ただ、本当にそれだけ?
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監督などを務めたショーン・ベイカーの作品はご存じの人も多いように、セックスワーカーを主人公に据えるという作風をしている。しかしその職業に向けられる世間一般的なネガティブな意識を強調することなく、一人の人間としての幸福と堕落を描く。前作の『フロリダ・プロジェクト』でもヘイリーというキャラクターは自分と娘の生活費を稼ぐために、ネット上に自分の裸の画像をアップしたり、娘と同居するワンルームに客を連れ込んだりなどの売春行為を始める。
こう聞くとセックスワーカーの職業上の苦しみが痛切に感じられるが、映画を見た人ならわかるように、ヘイリーたちの生活が苦しいのはそれよりももっとマクロでミクロな問題である。つまり格差社会=アメリカに根付く貧困問題と、ヘイリーの人格的な問題に関わっている。つまりセックスワーカーだから不幸というわけではない、ということだ。
『レッド・ロケット』ではよりセックスワーカーという職業が強調されている。主人公のマイキーは元ポルノ男優。彼のプライドはテキサス並みに広大で、ポルノ男優としての輝かしい経歴が彼の人格のすべてだ。自信だけで生きてきたような彼の「有害な男らしさ」は近年の感覚であれば、うげーな感じだが、なぜかそれが「笑える」。僕の個人的な感覚だと。この「笑える」とは「ざまぁww」というよりかは「何をしてんねん…」の方。自分の思い通りになるように欲のままに動いていく彼の様を一体誰が心の底から軽蔑できるだろうか?みんな彼のように生きたいはずだ。
この映画の感想をTwitterなどで軽く見ていると「登場人物が誰も成長しなくてイライラした」みたいなものがチラホラあったが、登場人物なクズな部分を克服して成長する物語を期待している人が多くてかなり驚いた。クズは、結局クズだ。それでええんや。それが人生である。彼だけでなく、我々の人生も割とどうしようもないのだ。
小金持ちの皆さん!恵んで恵んで!