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【小説】図書館-4【ある喫茶店にて】

受け取ったコーヒーをさっそく飲んでみると、ハワイ・コナはなんともさわやかで読書が捗りそうな気になった。
これはいいかもしれない。
嬉しくなりながら俺は本を開く。
今日もまた読み切ることはないけど、かなり読み進めた。
コーヒーを飲み、ページをめくり、ページをめくり、ページをめくり……コーヒーを飲む。
そのうちカップの中はからっぽになり、ページをめくるだけになった。

「お客様、あと5分で閉店の時間です。退店の準備をしてください。」
昨日と同じ声が今日はオレの真横から聞こえた。
もうそんな時間なのか。
「あ、はい。教えてくれてありがとうございます。」
「お気になさらず。ハワイ・コナはどうでしたか?」
「あ、はい。なんか、ハワイっぽいなって思いました。明るくてさわやかなのに、のんびりしてそうっていうか。」
「ああ、なんだかわかります。」
「あ、でも、オレの感想って役に立ちますか?コーヒーに詳しいわけじゃないし、今のもちょっとアホっぽくなかったですか?」

せっかく店員が同意を示してくれたというのに、なんだか落ち着かないオレは慌てて付け加えた。
すると、オッサンがブフォっと噴き出すのが聞こえてきた。
……失礼な。

「いや、失敬。明るくてさわやかでのんびり、いいじゃない。それをアホっぽいで片づけてしまうのはもったいないよ。天真爛漫、理想のハワイじゃないか。」
「あ、はい。そうっすか。なら、いいんです。」
「それにね、コーヒーに詳しくないって言ってたけど、そういう人の感想のほうが誰かにすすめるときに役に立つものだよ。コーヒーの質問をしてくる人は、詳しくないからイメージをつかみたいのか、知ってるからこそ知らない情報を引き出したいのかの、たいていどちらかだ。」

そんなものなのかと訝しんでいると店員が同意した。
「蔵之介さんの言うとおりです。コーヒーに詳しくないからと質問してくださった方に酸味やコク、後味の説明をしてもいまいちイメージがつかなかったんだろうなという反応をみることが多いんです。お客様のようにイメージで伝えるほうがいいかもしれません。」
ものすごく真面目な顔でメモをとっているのを見て、オレは嬉しいような恥ずかしいような気持になった。
店員の隣ではオッサン……蔵之介さんが満足げにうんうんとうなずいている。

「あ、そうだ。今日はあまりフードが出なかったでしょう。ロスがあるなら、持ち帰らせておくれ。さっき落としたのに飲まれずにたっぷり残ってる、ハウスコーヒーもね。」
「……蔵之介さん、お客様の前であまりそういうことは言わないでほしかったです。まあ、いいか。今日は廃棄になってしまうのが多くて、正直ちょっと困ってたので。お客様、もしよければお持ち帰りになりますか?」
「えっ、オレもいいんですか?」
「はい。廃棄といっても悪くなっているわけではないんです。既定の時間が過ぎてしまったから、お客様に出すとルール的に危ういっていうだけで。ちょっとお待ちください。」

店員はそういうと一度店を出て何かしたあと、戻ってきてカウンターに廃棄食材を並べ始めた。
ホットドッグのパン、スコーン(プレーンとよもぎあずき)、バナナブレッド、紅茶味のビスケット。
ずらりと並んだパンとお菓子にオレは「おおお。」と声をもらした。
蔵之介さんは「予想よりは少なかったかな。」といいながら、それらを自分とオレに分けて行った。

「ところで、お二人とも、お腹は空いていますか?」
店員がおもむろに口を開く。
「そうだねぇ、そこそこ空いてるよ。」
「あ、はい。わりと。」
蔵之介さんとオレが同時に返事をすると、店員はふむと少し考える様子を見せてから「それじゃ、トーストを食べていってくれませんか?」と言い出した。
店員が言うには、「トーストに乗せるツナマヨと、キャベツコンとビーフのサラダが余ってしまった。明日と明後日は店が休みだし、今日使い切りたい。」とのことだ。

ちょっと早い時間だけど、晩ごはんにありつける。
オレと蔵之介さんはぜひ食べさせてもらおうということになり、その代わりと言ってはなんだが、玄関や店内の掃除を手伝うことになった。
蔵之介さんは竹ぼうきを持って店の外へ出た。
着流しに竹ぼうき……、あの人、絶対に自分のキャラクターを理解してるよなぁ。

オレは店員の許可を得てトイレ掃除を開始した。
店内にハタキをかけるのは作品を落としたりしそうで怖かったし、本棚のコーナーは眺めるだけで手を動かさなくなる可能性がある。
それに、ばーちゃんが「掃除の手伝いをするときに、トイレ掃除しますっていえる人でいなさい」と教えてくれたのがトイレ掃除で自信をもって引き受けられるのがトイレ掃除だったのだ。
「よし、いっちょやりますか。」

そういえば、この店のトイレに入るのは初めてだ。
男用と女用が一つずつあって、どちらも開けるのに専用の鍵が必要とのことだった。
……なんで? まあ、今気にしてもしかたないか。
いつか、機会があったら聞こう。

トイレはどちらも同じ造りになっていた。
洋式の便座があって、その上に作りつけの棚がある。
便座の右側にトイレットペーパーホルダーが二つ並んで設置されていて、ドア横にあるコンセントには消臭グッズが刺さっていた。
それと、女性用トイレには専用のごみ箱も。
トイレの中に水道や鏡はなく、出てすぐの廊下に洗面台が用意されていてそこで手を洗う仕組みの要だった。

あらかじめ教えてもらった流れで清掃を済ませ、手を洗って戻ると、蔵之介さんもちょうど戻ってきたところだった。
オレたちが揃ったのを見て、店員が「お疲れさまでした。できましたよ。」と声をかけてくれる。
せっかくだからみんなで食べようということになり、カウンターの周りに椅子を持ってきて座った。

紺色のプレートに焼きたてのトーストが二種類並んでいる。
一枚の食パンが半分に切られ、その片方がツナマヨトースト、もう片方がキャベツとコンビーフのサラダトーストに変身していた。
そこにグラスに入ったコーヒーがつく。
「二人とも、掃除をして体を動かしたから喉が渇いてるんじゃないですか?ハウスコーヒーもそうですけど、こちらも余ってしまったので手伝ってください。ハウスコーヒーはあとで持ち帰り用カップにうつします。」
なんだ、最高かよ。

大したことはしていないけど、「労働の対価です。」と言われて悪い気はしなかった。
メニューにある“トーストのセット”朝ごはんだと甘いのとしょっぱいのから1つずつ選べて、さらに何かしらのスープがつくんだそうだ。
今度の朝ごはんはトーストのセットにしようか、いやでも、あのホットドッグは捨てがたいよなぁ。

みんなで食べ終わると、お土産に廃棄されてしまったお菓子とハウスコーヒーを持たせてくれた。
その時に、こっそり持ってきておいた昨日の持ち帰り容器を差し出し「これに入れてくれますか?」と聞くと、店員はかなり驚いていた。
実はあのカップ、リユーザブル仕様で半永久的に使えるものだったんだ。
紙コップにしては丈夫だなと思って調べてわかったことなんだけど、廃棄を出すくらいなら食べてもらおうとしたりリユーザブルカップを使うってことは、店員は環境配慮型なのかもしれない。

カップ一杯に入れてもらったコーヒーを受け取りながら、オレはそんなことを思った。

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