貧乏と金持ちと委員長とヒソカ

 確か、中学一年の時だったと思う。

 殆ど学校へ行った事のない、不登校児の中でも手強い部類であろう私にも、学校へ通っていた時期がある。なぜ通っていたかはまた別に書くとして、当時特に仲良くしてくれていた友達4人について、今日は書いてみよう。

 •郷さん(貧乏)
 •モトちゃん(クソ金持ち)
 •委員長(学級委員長)
 •ヒソカ(ヒソカ)

 の4人である。
 
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 まずは郷さんについて書こう。郷さんは、今回の主役と言っても過言ではない。
 
 郷さんは、ドワーフのような女だった。
立ち振る舞いは豪快で、見ていて気持ちよく、一緒に居るだけで笑いが絶えなかった。

 当時私の学校では、夏には凍らせたペットボトルのお茶を持って行っても良いとされていた。朝冷凍庫から出して、学校で溶けていくお茶を、皆ちびちびと少しずつ飲んでいた。

 しかし、郷さんはそんなしゃらくせえ事はせず、ペットボトルを机の角に棍棒のように振り下ろし、ガツンガツンと音を立て、氷を砕いて、ざらざらと口に流し込んでいた。
 
 そんなある日、事件は起きた。郷さんの振り下ろしていたペットボトルがスポンと手から抜けて、前の席の女子の後頭部に激突したのである。当然女子は怒り心頭、郷さんに向かって「どうして人が居るのにそんな危ない事をするの!?」と怒りを露わにした。当然の訴えである。
 しかしここからが郷さんの凄いところだ。郷さんは前の席の女子に向かい「そりゃあ、ペットボトルを振り続けていれば、いつかはすっぽ抜けて飛んでいくもんでしょうが」と言ってのけたのだ。

 私と前の席の女子は、唖然とした。そんな理屈、通るはずがない。私は唖然とした後に火がついたように笑った。こんな馬鹿らしい事、ありえない。面白いに決まっている。被害者の女子には悪かったが、私は休み時間中けたたましく笑い続けた。

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 金持ちのモトちゃんは、金持ちだった。お父さんがお坊さんで、大きな洋風の家に住んでおり、家の庭には池まであった。何度か遊びに行った事があるが、洋風のリビングダイニングで、袈裟姿のまま昼飯を食べるお父さんが、物珍しくて面白かった。

 モトちゃんはいつも笑顔で誰にでも優しく、怒っているところを一度も見た事がなかった。
 
 リビングダイニングには袋詰めにされた蜂の死骸が吊るされており、一度「あれは何?」と聞いてみたところ、モトちゃんは「弟を刺した蜂だよ、ああやって見せしめにしてるんだよ」と言った。私は、見せしめの発案者がその家の誰なのか、怖くて聞けなかった。

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 委員長は、家の事はよく知らないが、立ち振る舞いからして、おそらく貧乏人ではないだろう。委員長は学級委員長で、とても賢く、なぜ私と仲良くしてくれていたのか、未だにわからない。勉強は教えてくれるし、私のドジはフォローしてくれるしで、こっちからしてみればありがたい話である。

 ある日彼女が「私も漫画を読んでみたいな」と言うので、(こちらの世界へ引きずり込むチャンスだ!!)と思い狂喜乱舞して「本当!?じゃあ、明日何か持ってくるね!」と約束し、翌日彼女に「寄生獣1巻」を貸した。

 さらにその翌日、彼女は私に「寄生獣」を返しながら「ちょっと怖くて、あまり読めなかった」と言って、続きは貸さなくてもよいと言う結果で終わった。

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 最後にヒソカ。彼女は別にヒソカという名前と言うわけではなく、あだ名がヒソカなのだ。
 彼女には特徴的な生態があり、学年内に漫画好きの者が居ると聞きつけると、その者のもとへ行き「HUNTER×HUNTER」の一巻を貸し付けるのだ。後日ヒソカに「面白かったよ」と言ったが最後、その後ヒソカは、その者にHUNTER×HUNTERを毎日一冊ずつ持ってくる事となる。
 そのような生態から、HUNTER×HUNTERの登場人物の「ヒソカ」が、いつしか彼女の通称となったのだ。

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 そんなある日、郷さんが「私、引っ越す事になった」と言い出した。引っ越しという一大イベントに、4人の子供達はどよめいた。どうやら、転校まではしないが、なんかよくわからない理由で家を変えるらしい。
 郷さんは嬉しそうに「私、自分の部屋が貰えることになった」と言った。4人はますます盛り上がり、鬼の様な姉と同じ部屋で生活していた郷さんが自分だけの部屋を貰えるという事を、心から祝福した。
 郷さん以外、私含め4人は、既に自室を持っていた。私も、自室が貰えた時の喜びは、今でもよく覚えている。子供にとって、プライベートが約束された空間というのは、なにものにも変え難い宝物なのだ。

 「絶対に遊びに行くからね」「素敵な部屋になるといいね」等と囃し立てながら、数日間は色めき立っていたと思う。

 しかしある日、郷さんは、しおしおにしょぼくれた状態で登校してきた。あのドワーフがこんなになるなんて、余程のことがあったに違いない。親でも死んだのだろうか。私達は郷さんに理由を聞いた。すると郷さんは「自分の部屋、もらえないかも」と、小さく呟いた。

 なんて事だ………

 子供にとって、これがどれ程までにショッキングな事か、言葉では表せられない。一度天国のような喜びを与えられていた分、余計にタチが悪い。郷さんは、ぽつりぽつりと理由を語り出した。どうやら、思ったよりも家がせまく、仕方がないので姉と同じ部屋で、しかしそこをパーテーションで区切り、それをそれぞれの部屋とみなす事になったらしい。私は激怒した。そんなとってつけたような案、気休めにもならない。自分の部屋という夢が消え失せた子供にとっては、むしろ焼け石に水である。

 その後何日も、郷さんはしおれたままだった。私はかける言葉もなく、郷さんの胸中を思うと、何とかしてやれないかと言う気持ちでいっぱいになった。郷さんの親は、自室というものの大切さを、ひとつも理解していないんじゃないかと思った。

 さらにしばらくしたある日、郷さんが風邪で学校を休んだので、4人でプリントを届ける事になった。最初は私とモトちゃんだけだったが、委員長もついてきてくれる事になり、ヒマだと言う事でヒソカもついて来た。

 私はこの時、ある決意を胸に秘めていた。それは「郷さんの親に、郷さんに部屋をあげて下さいと言ってやろう」という事である。現在34歳の私からすれば、なんとも無駄で、かわいらしい子供の抵抗なんだろうと思う。でも、当時の私は本気も本気、政府に抗議するデモ隊のような気持ちで、郷さんの家に向かったのである。

 郷さんの家は、モトちゃんの家のリビング程の大きさだ。インターホンを押すと、郷さんと同じ顔をした大人が出てきた。郷(母)である。私はバックンバックンと心臓を鳴らしながら、部屋について何か言おうとしたが、どうしても勇気がでず、大人しく「あの、これ…」と、カオナシが如くプリントを差し出すのみだった。
 郷(母)は、とても明るく「まぁ〜わざわざありがとうね〜、ちょっと待っててね」と言い、奥へ行ってしまった。私は「戻ってきたら言う、戻ってきたら言う」と、もはや郷さんの風邪のことなど忘れ、その事のみに全集中していた。他の3人はそんな事とは知らずに、いつもと変わらぬ様子で立っている。ヒソカが「お母さんソックリだね」と言っているが、そんな事はどうでもいい。

 郷(母)が、何かを手にして戻ってきた。わたしは「今だ!!」と思ったが、郷(母)の持っているものが、なんだかちょっと変わった物だという事に気を取られてしまった。

 郷(母)は、おにぎりせんべいを持っていた。おにぎりせんべいは食べかけで、開け口がくるくる巻かれて、セロハンテープで留めてあった。

「これ、よかったら皆で食べてね」

 私は食べかけのおにせんを受け取り、ありがとうございますと機械的に返事をした。他の3人も、おそらく「食べかけ」という事に驚いていたとは思うが、律儀にきちんとお礼を言った。

 郷(母)は「ゴメンね、本当に、こんなものしかなくてゴメンね」と謝り「来てくれてありがとう」とお礼を言った。

 …こんな人に、言える訳がなかった。おにせんが全てを物語っていた。それに、私は、このお母さんの事が、多分結構好きだったから、傷付いてほしくないとも思った。

 私は、やるせない気持ちで郷さんの家を後にした。多分みんなもやるせなかったと思う。そしてトボトボと、4人で私の家に集まった。

 私達は、思った以上に残り枚数の少ないおにせんを齧った。大人が「駄目」とする事には、それだけの理由があるのだと知った。おにせんは、1人一枚食べたら、丁度なくなった。

 私は「郷さん、何もできずにごめんね、これはもう、アレだわ…受け入れて、がんばって強く生きてくれ…」と思い、郷さんのお母さん、優しそうで良いなあ、とも思った。

 モトちゃんは、黙っていた。

 ヒソカが、委員長に、HUNTER×HUNTERについて語り始めていた。

 夏の終わりだった。

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