推しとは私にとって何か考えるノート

最近、流行の便利な言葉、「推し」。
「推し」という言葉を気軽に使っているけれど、厳密にいえばそれぞれニュアンスが異なる「好き」の集合体である。

自分の「推し」について分類しながら、「推し」の概念についての考えをまとめていく、自己との雑談ノートをつづりたいと思う。

ただの覚書になるのか、なにか新たな出会いがあるのか、この先どうなっていくのかはわからない。

新しい感染症の流行によって推し活がままならなくなった、このぽっかり空いた時間の中で、自分の中に眠る「推し」という概念を今一度、考えてみたい。


以前のノートで私が「推しへの悲しみ」を、「推し事」で救われた話を書いた。タイトルは「推しがお星さまになった日のこと」

その日、推しが星になったことを知った。星になった推しは「研究対象としていた動物」のことで、決して人間のことではない。
そして、私の心の悲しみを癒してくれた「推し」、芸能人、私の推し俳優さん。つまり、人間。
この記事から、私は「推し」という言葉を、生き物全般に使っていることが分かった。私の「推し」は、人間に限定されない。

次に、Twitterなどの自己紹介で気に入って使っているワードがある。
それは、「東大寺大仏殿とサグラダファミリア推し」
東大寺大仏殿とサグラダファミリアは、私の中で世界で一番好きな建物であり、室内環境だ。自己紹介文からは、私は「推し」という言葉を、無機物に対しても使っていることが分かった。私の「推し」は、生き物に限定されない。

つまり「推し」は、無機物・有機物を問わず「最近のお気に入り」を手っ取り早く説明するための言葉として使用していることが分かった。SNSにおいて、文字数の制限がある場合、できるだけ多くの情報を短い単語で表す必要がある。「推し」という言葉は、短い単語で「私が今、気に入っているもの・好きなもの」を表すことができ、SNSを運用するのに大変都合がよいということか。

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