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推しとは私にとって何か考えるノートその3

今日は少し脱線気味に、
世間一般の「推し」ではなく、私自身の「推し」ポイントとは何かについて考えてみたい。
本日の主な議題は、「.5」あるあるだと思うのだが、舞台を見に行くより前に、キャラ推し、ビジュアル推しができることについて。

まず、自分の観劇経歴?を簡単に説明しますが、たいして意味はないので、★まで読み飛ばしてもらって問題ないです。

最近、若手俳優の出演する舞台を見に行くようになった。いわゆる「.5」界隈に足を踏み入れることとなった経緯は、ハマっているゲームが舞台化され、推しキャラが舞台に出ることになったからだ。

実はこの界隈、これまで足を踏み入れ損ね続けていた。
人生をかけて推している漫画が舞台化されたことがあったのだが、当時は田舎の学生で、東京まで観劇する旅費とチケット代が捻出できなかった。今のように自由にクレカ決済でチケットを購入することもできないし、携帯はガラケーだから、スマホのように手軽にチケットサイトにアクセスできない。結果的に断念せざるを得なかった。
いまでも界隈で学生さんを見かけると、心から拍手を送りたくなる。学生時代の推し事ほんと大変。
ほぼ同時期、某テニス漫画の有名舞台に友人の姉がハマっており、お誘いただいたのだが、これもタイミング合わずだった。今、振り返ると大変もったいないことをした。

「.5」界隈にハマる素養は十分持っていたと思う。
家族の影響で小さなころからグランドミュージカルに親しんでいたし、高校生の頃には個人的に蜷川さんの舞台が好きで行ける範囲で通ったり、円盤買ってエンドレス再生したり。
さらに、幼稚園から社会人の現在まで、ニチアサ(特撮)に大変お世話になってもいる。(意外と.5ご出演俳優さんがいらっしゃる場合もある)
高校生以降は演劇部に所属していて、社会人になってからは本業の傍ら企業イベント司会や演技もする機会が多々。その関係で小劇場やヒーローショーを勉強がてらみにいったり、映画を週3本みたり・・・もはやなぜ「.5」に縁が無かったのか不思議で仕方ないなって、これ書いてて思った。

こうして二十歳を超え、ある程度お金が自由に使える社会人になって後、
私は満を持して、「.5」にハマることとなる。

以上、自分語り終わり★


私は、「.5」舞台を見に行くより前に、キャラ推し、ビジュアル推しが絶対できる。というか推しがいる状態で観劇に行くことがほとんどである。
一般的な舞台と違って、舞台を見るより前に多くの観客は、小説なり漫画なりゲームなりアニメなり、原作やその派生コンテンツで、キャラクターのことを「知っている」。
「.5」舞台の特殊性というか、2次元を3次元にするというコンセプトがあるから、当たり前の話かもしれない。
舞台によっては原作通り話が進むため、ある程度ストーリーも知っている状態での観劇となる。

キャラークターも場合によってはストーリーは知っているが、舞台化された作品そのもの、演出は「見たことがない」というのが初観劇する客の前提である。(俳優推しなどで原作知らずに行く場合もあるとおもうので、この限りではない)


観劇前にキャラやストーリーを知っているからこそ、原作で推してるキャラ!役回り的にこのキャラすきになるな!フライヤーのビジュアルが実物過ぎて好き~!
私は、こんな感じで、観劇前にビジュアル推しができる。
客降りなどがある舞台だと、ビジュアル推しにはうちわを作る。全員分はなかなか大変なのでビジュアル推しに絞る。余裕があれば他も作る、大体そんな感じで観劇の日をワクワクして待つ。以上、ここまでが観劇前にできる推しの話。


観劇する、そして理性が昇天する。


そして観劇後、必ず、「ビジュアル推しではないキャラ」に堕ちる
が鉄板になっている。


なぜ、別のキャラを推すことになるのか
なぜ、あれほど観劇前に推したキャラではないのか
ここからは、冷静に自分を分析してみたい。

観劇後に堕ちる場合、大抵は「ぜったいこのキャラには堕ちない」と思っているキャラに堕ちる。そしてビジュアル推しは、そうでもなかったなぁ~となることが9割、イメージ通り!すき!となることが1割である。

これ、おそらく心理学の「ゲインロス効果」に関係しているのではないかと踏んでいるところ。といっても、最近はまっているドラマ、サイレントヴォイスからの受け売りで、心理学を専門的に勉強したことがないため、実際のところはわからないんだけど・・・。勉強してみたいな、心理学。

ゲインロス効果とは、
さっきまで喧嘩してた超絶不良が、道に落ちてるごみを拾ってゴミ箱に捨てていた、あいつごみを散らかさないなんて意外と良いやつじゃん!と思う、これがゲイン効果。
周囲に気を配る優秀な生徒会長が、ポイ捨てされたごみを横目に素通りした、あいつ普段いい子ぶってるくせに、ゴミ拾わないなんて、だめじゃん!と思う、これがロス効果。

ゴミを拾っても、拾わなくても、大した問題じゃない。悪いのは捨てた人間である。にもかかわらず、不良の株は上がり、生徒会長の株は下がった。これは、初期値の印象が高いか低いか、これが後の印象に左右する、ということ。

ほんと、まんま「ビジュアル推し」と「観劇後の推し」への自分の評価の変化とそっくりなのでは?

「ビジュアル推し」は、初期値の期待値が非常に高い。どんどん期待をして、さらに期待をして、妄想まで膨らませている。キャラに合わせたうちわを作ってみたり、事前物販でグッズ買ってみたり、ワクワクしている。

一方、「ぜったいこのキャラには堕ちない」やつに対しては、期待はしないし、どんなもんかいな程度にしか考えていない。うちわもキャラの特徴に考慮したものではなく、汎用的なものをつくりがち。

そして、観劇した結果、
少しでも期待と違うところがあれば減点対象となるため、「ビジュアル推し」への評価は減点方式で下がっていく(ことが多い)。
一方、「ぜったいに堕ちないはずのキャラ」へは期待度が低かった分、少しでも良いところがあるとすべて加点対象となり、評価が上がる。
という具合になる。

これがおそらく、観劇後、必ず、「ビジュアル推しではないキャラ」に堕ちるのからくりの正体だろうと思う。
これって多かれ少なかれ、だれでもありそうな現象な気がしてきた。
私も!って方、いませんか!?!

ただし、自分の「性癖上」、ゲインロス効果だけでは説明しきれない部分がある。

私の「性癖」、それは声、つまりVOICE。

聴覚優先で認知をする傾向がある自覚があり、人を識別する基準も、判別する指標も、好きになるきっかけも、9割が声なんですよね、よくこれで騙されて痛いめをみます。声が良いとホイホイされるから・・・。
どんな声が良い声かといわれても、説明できないんですけどね。良いなと思った声が良い。

「ビジュアル推し」はあくまで視覚による認知で、声は聴けない訳で。
もし、観劇前にDVDとかゲネ映像とか記者会見映像とか観ることができれば、もうちょっと推し変は避けられる気がしています。

あと、歌声も重要。声が良くて歌がうまいと、堕ちます。瞬間に沼の底です。ありがとうございました。
歌がうまいってのも、抽象的な表現過ぎて、具体的にどうなのかって話ですが。
自分が楽器をするせいか、評価基準は「腹式呼吸ができている」「のどが開いている」「音程があっている」「フレーズや抑揚に違和感がない」「っていうか上手いぞこの人」という感じ、雑な評価だな、おい。


以上、本日は
「.5」あるあるだと思うのだが、舞台を見に行くより前に、キャラ推し、ビジュアル推しができること
多くの場合、観劇前後で「推し」が変わること
について考えを巡らせてみました。以上!

最後に、観劇前後で推し変しなかった、そんな推しへは、めちゃくちゃ堕ちていくし、中の人を応援し始めるきっかけになっています。
満点からさらに加点されていく、推しすごい。


あとね、なんといってもこれ外せないと思うんですけど、ここまでうんぬん話をこねているのに、あれなんですけど。
「.5」って、だいたいファンサ貰うと堕ちません?
私の周りは、ほぼファンサ後に堕ちてる気・・・。
という訳で、推し活はファンサ最強説を唱えたい。
ファンサは2.5市場のファンの取り合い合戦っていう話も聞いたり聞かなかったりするので、大変だなと思う。実際に、ファンサ凄い丁寧な俳優さんは、ファンへの福利厚生がすごいなと思うと同時に、この人できる!とこっそり思っている。以上、蛇足でした。

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