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手話と心のぽかぽかについて

去年の話なのだが、耳がほとんど聞こえない知人と食事に行った。彼女とは、あまり話したことなくて、ほぼ初対面のような関係だった。

ご飯はとても楽しみだった。何を聞こう、何を話そうかワクワクしていた。ただ、同時に焦っていた。どうやって話せばいいのかわからないからだ。

マスクが日常と化している、このご時世。こちらの口の動きを見せることもできない。どうやって一緒に過ごす時間を盛り上げればいいのかわからず、焦った。

当日、向かう電車の中でもわたしは必死に手話の動画を見ていた。

待ち合わせ時間になって、こっちへ向かってきた彼女。
わたしは覚えたてほやほやの手話で「一緒に行こう」とで伝えた。彼女は目を細め、駆け寄ってきた。

しかし、カタコトの手話だけで、会話は成り立たない。携帯で文字を打ったり、ジェスチャーで伝え合った。考えると伝えたい時は頭を触ったり、好きと伝える時は指をハートにして、笑顔になったり。そうして、沢山のことを話している間に、時間はあっという間に過ぎていった。

彼女とのご飯はなぜか、すごく楽しかった。
なぜか心の中がじんわり温かかったのだ。こんな感覚久しぶりだ。

なんでだろう。振り返った時、「コミュニケーションの丁寧さ」があると考える

彼女との会話では、口から伝えられる情報がなかったから相手の目を見て、表情、身振り手振りなど身体全体でまとめて伝えていた。また、伝えるために手話の動画を見たり、相手との時間を大切にするために費やした。

しかし、普段はどうだろうか。口に頼って、相手の顔を見ずに話すこともあったマスクの下では無表情で挨拶していたこともあった。

Communicationとは、相手に伝えることをもって成立する。つまり、相手ありきで、相手のために行う行為だ。その「相手」をどれだけ意識しているかで会話の温度も変わってくるのかもしれない。

今回の出来事は、自分が如何にコミュニケーションを雑にしていたのか、気付かされた経験だった。しばらくマスクの日々は続くだろう。でもきちんと相手の顔を見て、感情を持って、ものごとを伝えたいと思う。


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