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その言葉が指すものを曖昧にしないこと

コミュニケーションの場において、言葉というものは欠かせません。しかし、その言葉というものが昨今においてはコミュニケーションロスやミスコミュニケーションを生んでいるとも思います。今日はこのことについて書いてみようと思います。

言葉はすばらしいのだけど

伝えるために我々に与えられたものの一つに言葉があります。そして本来同じ国において同じ言葉を使って会話やコニュニケーションをとっているわけですから、伝わって当然です。しかし、伝わりはするのですが

意図した通りに伝わっているか?

ということには一切の確約はありません。理解ができる言葉で会話しているのにも関わらず・・です。

例えば、「赤」という言葉でコミュニケーションをとってもその「赤」の具合には曖昧さが残り、確約はありません。この「赤」とかいうもともと抽象度の高い言葉であれば、多くの人が確約のなさについて意識できますが、そのほかの言葉においてはなかなか確約のなさに気がつかないことがあります。僕はここがコミュニケーションロスやコミュニケーションミスを生んでいる背景のように思います。

曖昧にはなかなか気づかない

以前もどこかで書いたかもしれませんが、曖昧な言葉を曖昧なままでコミュニケーションを取ってしまうと「ずれ」が生じていることに気がつきにくいという状況になります。なぜなら、その言葉が「わからない」状態にないためです。会話している登場人物全員がわかっていながら、登場人物全員の言葉に対するコンテキストが違うため100%同じではないのです。そもそも100%同じにはできません。できるわけがありません。

ではどうしたらいいか、それは「ずれ」が生じているだろうとまず前提を持つこと。そして、「ずれ」を少なくするために言葉の背景をなるべく丁寧に説明することです。

僕自身の経験ですが、この感覚を持って会話をする、説明をするだけで

あの人の説明は(話は)わかりやすい

という良い印象を与えることができます。気配りといえばそうなのですが実はこれは相手のためではなく、自分の意思をなるべく正確に伝えるための行動といってもいいです。せっかく自分自身から発せられるものなので、ズレなく伝わってほしい。この意識が、コミュニケーションロスやコミュニケーションミスを削減できるものかと思います。

言葉に甘えず、言葉を使う

言葉は便利なものですが、それに甘えてしまってはもともと目的としているコミュニケーションは粗雑になりかねません。言葉に甘えることなく、本来伝えたいことを伝えるために、どう言葉を使っていくかを意識していきたいと思います。そのためにもある程度のトレーニングは必要かなと思います。

もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!