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「コミュニティの時代」だからこそ大切にしなきゃならないと思うこと。

得ている情報が違うと感覚が変わってきます。これは例えば育った国が違えば価値観や信じるものがが違うのと同じです。

なぜこんなことを書いているかと言うと、今自分においてその入口にいるような気分なのです。

少し前まで世の中は「個人の時代」などと呼ばれ、個を大切に個を強く意識するような風潮にありました。というか、今もそうかもしれません。そんな中、「集落の時代」「コミュニティの時代」と言われ始めているのが今です。

事実僕ももれなくコミュニティには属しています。そこで得られる情報は当然コミュニティの中の個の集まりの範疇での情報です。しかし、このコミュニティはひとつの話題やテーマが軸になって集まったものですから、なかなかに偏りがあるものです。

この集落の時代、コミュニティの時代においてやらなきゃならないのは、複数のコミュニティに属し、1つのコミュニティに固執しないことだと思います。仮にどれだけ素晴らしい信念と想いを持った個の集団でも、ひとつに固執してしまうと視野は狭くなります。そして、そんな時代においてやってはならないことは、他への攻撃です。情報の有無で価値観が変わるのは当然ですが、根っこは「ただ、情報があるかないか」です。それだけの違いのものを攻撃するのは野暮だと思うのです。

簡単に言えば多様性。ただ、この多様性という言葉は、相手に対してというイメージが僕は強いのですが、今この記事を書きながら、自分に向けた多様性、つまりは「知らない自分」をどう認めるかというのもあるように思いました。

なかなか難しいですが、集落の時代、コミュニティの時代は複数の価値観を養う必要がありそうです。でないと、偏る考えが加速する気がします。これまでよりもその加速度は早まってくる予感がする。

方法はどちらかかな。複数のコミュニティに属するか、とことん優しくなる。そのためにも伝える力は鍛えておかないとな。。とも思うのです。

今、集まってくる情報が少し偏ってる感じを自分に対して感じたので自戒の念を込めて書いてみました。

もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!