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努力は複数ありうる。だから方向性が大事

今日は久々に読んだ記事から感じたことを書きましょう。newspicksからの記事です。

まずこの記事自体の感想としては、やはりこのコメントが刺さります。

僕は努力そのものよりも、「努力する方向と、何に力を注ぐか」が大切だと考えています。それがズレていると、せっかくの努力が無駄になってしまいますから。努力の方向性に重点を置こうというのが、この本の趣旨です。

この方向というのは正しく思います。おそらく人は一つのものだけを努力するというほど集中できるわけではなく、結果的に複数のことを努力しなければならない状態に陥ります。または、気がつかずに複数のことを努力している状態になります。

努力するものが唯一のものであるならば、この努力する方向というのはゴールを意味するかもしれません。方向が一つであればそれを間違えなければ無駄というものは明確にわかるでしょう。

しかし僕は厄介だと思っているところがあります。それは、先にも書いたように人は複数のものを同時に努力しないと成立しにくいということです。この複数ですが、ベクトルで考えましょう。複数のベクトルはいい配置にならないと相殺されてしまいます。複数の努力をした場合、その努力の方向性をそれぞれきちんとみておかないと停滞だってありうるということです。

ひろゆき氏がいう「努力する方向」には、この「複数」というキーワードも含まれているように思いました。

この記事を読んで思ったこと。それはもう一つありまして、それは対談がコンテンツになる理由は、質問力なんじゃないかということです。この記事は見ての通りの対談記事です。当然編集がされているものだとは思うのですが、読み進めていったときに引き込まれる様子が自分の中にありました。明日このことについて書いてみますね。


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