答えを出せ。正解かどうかはその後だ。
「答え」を出そうとすると、僕らはつい正解を出したくなります。おそらくこれは、小学校や中学校といった義務教育の賜物で、どこか「正解=答え」という図式が頭の中で出来上がってるのかもしれません。
確かに、「正解⊂答え」ではあるように思いますし、シンプルな数式のように思います。しかし、逆にしてみた時にそれは少し違和感を覚えます。
「答え⊂正解」
なんとなくそうな感じもするし、違う感じもする。なぜなのでしょうか?
それは、「答え」というものに対する意識です。
仮に今から「答えはただのアウトプットのひとつだ」と考えるようにしてみましょう。先ほどの式で当てはめてみると、正解は数あるアウトプットの中に存在するわけですから、「正解⊂答え」というものはなかなかイメージもしやすい。ただ、アウトプットの中には、間違いも含まれてアウトプットなわけです。その場合中には、「答え≠正解」のものも含まれます。
では、そのときの答えってなんなんでしょうか?
僕らがどこか描いている「答え=正解」ならば、間違いをアウトプットした答えはなんなのか?
答えは答えです。つまり「答え=正解」が間違っているのです。
先ほど言ったように、「答えはただのアウトプットのひとつ」であり、正解である必要はないのです。正解かどうかは、後できめてばいいのです。
まず、答えを出すことを恐れないことです。だって「答えはただのアウトプットのひとつ」なんだから。
答えを出すことを恐れてしまうと、結局その先を閉じてしまうことになります。例えば、僕らそこそこおじさんになった側としては、後輩たちに質問や課題を出します。そこで「答えを出す人」と「答えを出さない人」に分かれます。答えを出さない人の特性として、正解をだそうとしすぎることです。
その結果、結局こちらの声が大きいですからこちらの意見がそのまま通ってしまってその後輩がいることの意味が見えづらくなる・・・なんてことがあるわけです。
もう一度言いますが、「答えはただのアウトプット。」出してから考えよう。ってことです。
実は、同じことが答えを出す人にも言えます。「答えはただのアウトプット。」だから、その答えは別に正解じゃない。
ということで、まずは答えを出せ。正解かどうかはその後だ。。。でした。
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