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年賀状というコミュニケーション

数は少なくなった、そしてデジタルでつながっている、とは実態としてわかっているものの、年賀状のコミュニケーションは悪くないと思う年始です。

こんにちは稲本(@sevenina)です。福岡でコミュニケーションや情報伝達に関わる仕事をしています。よかったらスキやフォローをお願いします。

まだまだ数は少ないですが、僕のコミュニケーションの一つにはやはり年賀状というものがあります。この1年に1回のコミュニケーションしかできていない人もいることは事実で、いわばSNSやメールなどのツールでつながることができていない人がいます。

今この記事を書く直前に届いた年賀状の整理をしていたわけですが、中学生時代からの友人、小学校の頃の恩師、10年ほど前に出向していた先の方など普段つながりはないのですが、この1年に1回のつながりで感じる何かは確かにあるなぁと思います。

「いや、それをデジタルでもういいじゃん」

というのもしっかり理解できます。デジタルのコミュニケーションが一般的になっているのはまちがいありませんし、僕自身もそれをよく使っています。このnoteもそうです。

デジタルコミュニケーションの反対語として、最近はフィジカルコミュニケーションというわけですが、この年賀状で改めてそのフィジカルの良さを感じています。おそらく非効率で、非合理的です。

いつかのnewspicksのHORIE ONEでジャパネットの高田社長(現在)が言っていた

「非合理的なものの中にも面白みはある」

という言葉がふと浮かびました。年賀状は非効率で、非合理的ではありますが、この紙という媒体と数行の挨拶でなにかほっこりと感じることができるフィジカルなコミュニケーションもとても興味深く思います。

今僕は、この年賀状だけのコミュニケーションをしている方々へデジタルコミュニケーションへのシフトを宣言するかいなかなやんでいます。

でももしかしたら、悩む必要はないのかもしれません。

だってどちらかにしなきゃならないということはないんですもの。

両方やりゃいい。

文化というものは右から左ではなく積み上げるものと考えれば、どっちもありでいこうかなと思います。#書きながら考えをまとめている

年賀状というコミュニケーション。ひとつの文化として大事にしたいなというのが2021年の年始の僕の結論でした。

もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!