見出し画像

それでも「わかりやすい」って使ってしまう

またもや、「わかりやすい」という言葉がとても乱立しているような気がしている今日この頃です。

こんにちは、稲本です。福岡でコミュニケーションや情報伝達に関わる仕事をしています。よかったらスキやフォローをお願いします。

以前も全く同じテーマで書いていたのですが、今日も感じたことなので改めてしたためようと思います。

前回も書いていたのですが、「わかりやすい」という言葉は便利な言葉で、言われるとなんともいい気持ちのする言葉であることは確かです。「わかりやすい」に反対は「わかりにくい」ですが、この二つを並べると自ずと「善悪」というような対比が浮かんできます。

現象としての「わかりやすい」は正義だと思いますが、言葉としての「わかりやすい」は少し違うように思います。相手から言われるならばそれはひとつの称賛かもしれません。ただ、あくまで感覚ですが、

「わかりやすくしておきました」とか「わかりやすくします」とかいう表現・発言は僕の中ですごく「わかりにくい」のです。

「っぽい」で終わってしまっているような気配すらあります。

僕は結果として、「わかりやすい」ものを作り出したいと思っていますが、この言葉を使いながら作りたくはないのです。

この「わかりやすい」という6文字に至るまでにとてつもない努力が必要だと感じています。もしかしたら、「そんな軽々しく使う言葉じゃねーぞ」という気持ちもあるのかもしれません。

今、世の中はいろんな「わかりにくい」ものがあるからこそ、混乱が多いからこそ、つい「わかりやすい」という言葉に頼りたくなるのかもしれません。だけど、僕はコミュニケーションを生業にしている身として、目指す場所ではありますが、目指す場所であるが故にあまり使いたくない言葉です。

前回も書きましたが、当然言われたい言葉ではありますよん。



もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!