犠牲のない革命はない
何かを起こそうとする時、その何かの影響が大きければ大きいほど、やはりいくらかの「犠牲」はつきものです。
その「犠牲」を可能な限り少なくするために、いろんな策やアイデアや段取りや根回しや・・・を行う訳ですが、広い意味で考えれば、その策やアイデアや段取りや根回しをしているのは誰かであり、誰かの時間を「犠牲」にしているといえます。
その「犠牲」を僕らはどこまでイメージできているでしょうか?
与えられるのを待っていることに慣れてしまっている人はその「犠牲」をイメージしにくい環境にあると思います。そして、その「犠牲」をイメージしにくいままに不満だけを垂れ流す・・みたいなこともあります。そういうことに出くわします。
考える時間、悩む時間という「見えない犠牲」の上に自分がいることを時には考えないといけません。そこを考えることができたらば、次に考えるべきは、
では、自分は何で手助けすることができるだろうか?
と問うことです。もっといえば、自分は何を「犠牲」にできるのか?です。
その感覚をもって新しいことへのチャレンジをしないといけません。この「犠牲」に思いをはせることが、リスペクトにもつながります。
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