データは大事、でもデータは時々嘘をつく
「計測指標がすべてではない」この感覚については大事にしておきたいと日々思っています。例えばWebサイトのアクセス解析などをしていると様々なものが「データとして見えます」。時々この「見える」ということが厄介に感じていますことすらあります。
まず、僕の中で前提としてあるのが
・データとして「見える」ようになるほど、僕ら人は単純じゃない
・自分の行動を考えてみたら、そこまでロジカルじゃない
・そもそもそのデータが間違いないという保証はどこにもない
このあたりです。その視点を持ってデータを見るようにしています。
勝手な思い込みでもあるのですが、デジタルで計測されたデータを見る人たち、そのデータに触れる人たちのほうがそういう視点が多い気がします。逆にデータのこと云々に対してもともと懐疑的であったり、いうなれば非デジタル(アナログ)な人たちがふとデータに触れた時に、そのデータを100%信用するというような気配があるように思います。
まぁ触れてきたからこそ、バランスをとるような意識が働いているのかもしれませんが。。。
データを見ることができるのがデジタルツール、おもにWeb関係のツールのいいところです。しかし、そのデータをそのまま額面通りに見るのは危険な部分すらあります。表層が見えた後その向こう側に何が隠れているのか、またそのもっと向こうにはどんな思いが詰まっているのか。いや、そもそも何も考えていなく空虚な思考なのか・・・。そのあたりまで思いをはせなければ、ただ出てくるデータに一喜一憂してしまうのもおかしい。
数字はマジックがあります。1が2に増えても、10000が20000に増えても200%です。表に出てくる数値は、本当なのですが、デザインされていることはあります。見た目だけでいけるなら、誰もが正解をしているはずです。
そうでないということを考えると、見た目の裏にあるところをちゃんとみなければなりません。
数字・・・。投票率、感染者数・・・。同じですね。
このデータはなぜ生まれているのか、どうやって生まれているのか、アクセス解析などをするたびに思うことです。
このあたりにリンクする内容は以前UX系の記事で書いたことがあるのでそちらもシェアしておきます。よかったらご覧ください。
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