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"成長は曲線ではなく、階段式をイメージするんだ"【追記あり】

昨日、抱負的なものを書いたわけですがなかなか周りに目標というかそういうのを言語化しない人が多いのです。これ、非常にもったいないというか怖いことかなと思っています。今日は成長についての僕の持論を書いてみます。

ぼやっとした目標では後悔すらできない

目標を言語化する必要は絶対にあります。日々僕たちは何かしらの成長をしています。それは知識的なものもありますし、心情的なものもあります。当然身体的なものもあります。なんでもそうですが、ぼやっとした目標値だと達成したかどうかもわかりません。具体的な目標があってこそ達成感や後悔が生まれます。この具体的な目標をきちんと言語化しておくことこれが本当に必要だと思っています。後悔はしたくないと思うかもしれません。ですが、感情にプラスもマイナスもなければ寝ているのと同じかもしれません。とあるシンガーソングライターの歌詞にあります

100%の内わけは
泣いた事もふくまれるということで暮らしてはいかがかなあ
100%にならないわけは
できなかった事などを忘れようとした自分を見ない事かなあ

その100%を暮らすためにはちゃんと失敗も見る事。見るためにはその目標がわかっている事です。

成長を階段式と捉える

「成長を階段式と捉える」とはどういうことか。よく成長曲線と言います。成長を曲線で表現するものですが、それを階段状に表現しようという者です。階段状にすることでどうなるか・・・なのですが、つまづいた時の戻れるところを明確にできるという利点があります。仮に曲線であった場合つまづいたあとは、転がる一方です。どこまで転がっていいかがわかりません。しかし階段では踊り場があります。この踊り場までは落ちるかもしれませんが、そこで踏ん張れることができると思うのです。

この踊り場を作るというのはどういうことか。それはアウトプットです。実はアウトプットにも2つあると思っています。

「これまでをアウトプット」と「これからをアウトプット」

アウトプットに「これまでをアウトプットする」と「これからをアウトプットする」があると思います。「これまでをアウトプットする」というのは、要は学んだことや経験したこと感じたことをアウトプットすることです。このアウトプットは先日書いたインプットのために役に立ちますが、同じく成長階段においても役に立ちます。ある意味これは「印」です。自分の成長に印を打つのです。これをすれば、もし後日なにかにつまづいた時であっても「あそこまでは大丈夫だった」という自信を維持した状態で立ち戻れると思います。もしかしたら、「あの時は間違っていた」かもしれませんがそれはそれでいいのです。ぼんやりと落ちていくよりは「わかっている」とが大事です。

対して「これからをアウトプットする」ですが、これが目標の言語化です。後ろの踊り場を作るのではなく、先の踊り場を作るというイメージです。ここで大きな課題が生まれます。「その踊り場はどのくらい先にあるのか」です。それをわかるためには何が必要と思いますか?踊り場の具体的な位置よりももっと大切なのが、「今いる場所」です。若干どうどう巡りになりますが、この「今いる場所」を知るために、「これまでのアウトプット」が必要なのです。

「階段式」はだたの表現ですから

この考え方が実際「階段式」という表現があってるのかどうかはわかりません。「曲線に杭を打つ」でもいいのかもしません。「これまでを理解し、これからを明確に」こんな言葉でもいいのかもしれません。要は、のべーっとした成長なんかないということです。

どんな言葉でもいい。言語化してみましょう。



【追記】2021/02/19

今でも成長は階段式であれと思っていますが、もうひとつの考え方が生まれてきました。階段の1段の高さです。例えばレベル1からレベル2というものがあるときに、この成長を1→2と考えるか、1→1.5→2と考えるか。さらには、1→1.2→1.4→1.6→1.8→2と考えるかというところです。

この細かさに対する考え方は自分に向けてではなく、相手に向けた時の考えとして使えそうな気がしている今日この頃という追記でした。

もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!