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「喩え力」は重ねないように注意しよう。
今日朝聞いたボイシー。「喩え」についてでした。これはとても必要であると感じていますし、ここのトレーニングを怠らないようにしたいと思っています。
ただ、やはりこの件においては1つ気をつけなければならないことがあると思っています。それは「喩えすぎないこと」です。
喩えすぎてしまうの原因として、2つのことが考えられます。
1:喩えがメインになってしまっている
2:喩えに酔ってしまっている
今日はここについて考えてみましょう。
喩えがメインになってしまっている
これは、伝える相手の状況にもよりますが、時にその喩えが秀逸であったが故に、本来の意味よりも喩えのほうがメインになってしまうような会話のときです。こちらの意思とは別に、相手が喩えをメインにしてしまう瞬間におこる状態として「相手が喩えに乗ってきたとき」です。こういう時は注意が必要です。
喩えは、喩えです。本来伝えたいことを、その人に伝えやすくするためにある喩えがメインになると本来伝えたいことが伝わるわけがありません。そしてやっかいなのが、伝わっていないにも関わらず、なぜか満足がそこに生まれるため、勘違いが発生するということがあります。
そんな時は、思い切って喩え話を切りましょう。喩え始めた自分が思い切って切ることで軌道修正するという、ある意味責任を持つことも「喩える」には必要です。
喩えに酔ってしまっている
これはトレーニングをし続けていくと、必ず陥るある意味麻薬めいたものです。いわゆる「上手いこと言った」というエクスタシーを感じた時、拍車をかけてしまいます。とても気持ちがいい状況ではありますが、これも先ほどと同じで目的を見失いがちです。
喩えは重ねるものではない
わかりやすく伝えるために喩えるという行為はラジオでもあったようにすごく重要なものです。トレーニングで鍛えられるとも言われていました。そうです、鍛えられるものだと僕も思います。
どう鍛えるかという点での注意点を今日僕は書いてみた感じです。喩えは重ねるもんじゃないというのが僕の持論です。重ねてる(重ねられてる)状態に感じたら、すかさず切りましょう。繰り返しになりますが、喩えたなら喩えた責任がありますのでね。
もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!