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コミュニケーションについて特に考えるマガジン

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#伝える

伝えやすい資料に思う

昨日、「 #アイランドナガサキ 」に行った感想を書いたのですが、そこで感じたことのひとつを少し掘り下げてみようと思います。 テーマは「伝えやすいもの」です。 今回このテーマで話をしてみようと思ったきっかけは、昨日の記事でも紹介した ここに関連します。 僕らはよく伝わりやすい文章や図を資料に落とし込んでいくのかということを考えます。それは極端な言い方をすれば、資料が一人歩きしても情報が確実に届くようにするためであるといえます。 しかし、今回感じたことで言うと、資料の説

「わかりやすく」はわかりにくい

これは結構前から言っていることではあるのですが、「わかりやすく」と言う言葉ほどわかりにくいものはないと思ってます。 僕は普段企画関連の仕事をしていますが、提案とかプレゼンとかをよく行ったりします。最近はそこそこキャリアも積んできたので、その類のことに関して後輩からアドバイスを求められたり、監督的に関わったりすることもあります。 そんなときに、若手の人たちのプレゼンにて必ずと言っていいほど出てくる言葉に「わかりやすく」というものがあります。 ✅ 図を使って「わかりやすく」

日本語を日本語に翻訳する

なにいってんだ?というなかれ。 結構これって今の時代必要な意識だと思います。 今の世の中変化が激しいのは 誰もが認めるところでしょう。 そして、どんどん新しいものが生まれては消えてく。 これも誰もが認めるところだと思います。 その影響か、 ふと目にするものが、 新しく斬新で画期的に見えることだってあります。 でも、よく考えてみると 実は昔からあるやり方の 角度が変わって、それっぽい言葉が付いただけ、 みたいなものだってあるわけです。 今情報の波や流れを肌で感じるからこ

「見たことある」を作る

ついつい僕たちは新しいものを作りたがりますが、 新しいものというのは、 理解される状況にするまでに相当な力を要します。 今回はそんなお話です。 新しいことや概念というものは なかなか受け入れてもらえないことが多いのですが、 それは決して相手が悪いとかではありません。 絶対にそう思ってはいけません。 結局は伝え方、コミュニケーションの仕方だと 考えた方が建設的だと思います。 ではどのように伝えるのがいいのか。 ちゃんと伝えてるのにわかってもらえないという人もいると思います

「あれ」が気になって仕方がない

ここ最近、周りの会話から聞こえる「あれ」「これ」が 気になって仕方がありません。 まだ「これ」は許容できるのですが、 「あれ」に対してすごくアレルギーがあります。 「あれ」にアレルギー・・・・ダジャレになってしまった。 さて、「あれ」についてです。 そもそも「あれ」というのは、 少し離れたところから対象物を差していう言葉です。 手元にある場合は、「これ」ですし 手元からちょっと離れたところだと「それ」 その先にあるものが「あれ」です。 少し先にあるものを指差して「あれ」と

たまに思い返してあのジョブズのプレゼンをみるんです

その人に伝わる言葉で伝えるということを あなたは意識していますか? 今日はそんなお話をさせてもらいます。 どうも稲本です。福岡でコミュニケーションや情報伝達に関わる仕事をしています。普段から毎日noteを更新したり、ポッドキャストを週一回リリースしたりと日々情報発信をしています。 よかったら各種フォローいただいたりコメントいただけると嬉しいです。 さて挨拶はこれくらいにして・・。 その人に伝わる言葉で・・ということですが、 今回は特に新商品や新しい考え方の部分にフォー

自分が何を伝えたいのか、きちんと整理できていますか?

"自分が何を伝えたいのか・・ これが意外と整理できていない人が多いなぁと思います。" ===== どうも稲本(@sevenina)です。福岡でコミュニケーションや情報伝達に関わる仕事をしています。普段から毎日noteを更新したり、ポッドキャストを週一回リリースしたりと日々情報発信をしています。 よかったら各種フォローいただいたりコメントいただけると嬉しいです。 ==== 皆さんもあると思うのですが、 プレゼンテーションや説得や案内などを受けた場合 「・・で結局君は何が

情報の傾きについて

実家の父母と話をしながら 情報の傾きを感じました。 今回は少し難儀な話です。 どうも稲本です。福岡でコミュニケーションや情報伝達に関わる仕事をしています。普段から毎日noteを更新したり、ポッドキャストを週一回リリースしたりと日々情報発信をしています。 よかったら各種フォローいただいたりコメントいただけると嬉しいです。 さて、今回のテーマである情報の傾きですが、 父母に対して感じたのではなく、 父母を見てて自分にもその傾きがあると 感じた次第です。 例えば、 コロナに対

やっぱり体験したものを語りたい。というか体験したものしか語れない。

いつからかわかりませんが、 「いろんなことを知ってる」キャラついてしまった僕です。 会社の中での話ですが、 「あいつに聞けばなにかわかる」みたいなシンクタンクような キャラクターがついてきました。 だから・・ということもあり 本当に相談ごとが多いんです。本当にいろんなことを聞かれます。 最近では、そうですね、「メタバースってどうなん?」 とそんなレベルの問いかけです。 そんな時の回答なのですが、最近二極化しているのが 自分自身でもよくわかります。 「知ってること」と「や

「真実はいつもひとつ」とは限らない。

数年前から特にですが、 世の中の情報の何が正しくて何がフェイクなのか わからなくなってきています。 みなさんはそんなことないですか? コミュニケーションや情報伝達の仕事をしてることもあり 情報に関しては慎重になるのですが、 よくよく考えれば、情報や印象はコントロールできる そんな気すらしています。 例えば、数年前からマスコミ各所で報道の コロナ関連のニュース。 不確かな情報、不安定な状況であったのは理解できますが、 やはりそこでむやみに煽ったり、騒ぎ立てる報道があったり

現在地の説明をしてみてはいかがでしょうか?コミュニケーションの話。

最近増えてきた仕事のひとつに「説明」があります。 これまでも説明は行ってきましたが、 最近の説明はまた少し違う毛色を持っています。 そして同じくこれまでよりも「説明」に対して 意識が向くようになったと言うか、 その重要性を理解し始めてきた感じもあります。 まだ発展途上な頭の中ですが、 その状況も共有させてもらおうと思いまして 今回記事を書いてみています。 様々なシチュエーションで説明って必要です。 一番わかりやすいのは制作物に関して どうしてこういうデザインになったのか

「知ってるつもり?」の情報伝達には気をつけようと思います。

「知ってるつもり!?」という番組が昔あったことをご存知の方は もしかしたらこのnoteのユーザー層には少ないかもしれませんが、 とにかくそういう番組があったんですね。 別に今回の内容は全く関係ないのですが、「知ってるつもり?」な話です。 この記事を書いている直前にニュースが飛び込んできました。「まん延防止」が延長したという内容の記事です。 このニュースをみたときに「知ってるつもり?」と思ったんですね。 どこがかというと・・・、 この箇所です。「など」とされている部分。

noteをずっと書いてきて、書くこと以外についてきた力の話

noteを書き始めた理由は人それぞれでしょうが、 僕の場合のスタートは、単純にアウトプットの力をつけるためでした。 品質はどうかはわかりませんが、 とにかく基礎体力をつけるためにnoteでアウトプットを この2年間繰り返してきた結果、 おまけ的についてきた力はいろいろあります。 まずその前に僕のnoteを書くスタイルから言いますと 下書きは基本的に行いません。 文字にして落とし込んでいます。 もちろん、書きながら前後の文字、 特に直前の文章は見えるわけですから、 100%

届く情報は暮らし向きからできている

「相手に信用してもらうこと」 生きている上でとても重要なことだと思います。特に何かを伝えるときにはこの「信用」ということはとても大切な要素になります。 最近ニュースでも話題になっている「デマ」というやつもこの信用というものに関係がしていると思います。結局「デマ」と言われる情報か、「正しい」と言われる情報かの違いには「信用度」というものに結びついていると思うのです。というか結びついています。 すべてがそうではありませんが、発信してる人が普段どんな暮らし向きで生活をしてるか