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純粋さと複雑さ入り混じる黒木華のウェンディ、謎めいた個性浮き彫りにした中島裕翔のピーター、見どころの多い作品に…★劇評★【舞台=ウェンディ&ピーターパン(2021)】

 「大人にならない」というピーターパンの宣言は「純粋なままでいる」という思いからなのか、それとも「大人」に対するアンチテーゼとしての強い拒否反応から来る思いなのか、長い間たくさんのクリエイターが模索して来た。ネバーランドで親と離れ離れになった少年たちであるロスト・ボーイズと共同生活していることや、なぜ空を飛べるようになったかを聞かれた時の哲学的な答えなど、一見子どもたちに向いて書かれたファンタジー小説のように見えながら、長らく大人たちが惹き付けられてきたのはそういう謎や闇のような部分が散りばめられているからだ。戯曲と小説が原作のおおもとだが、小説版のタイトルが「Peter&Wendy」であることを考えればもちろん主人公はピーターパン。しかしピーターパンの視点を中心にすると、実はこうした謎や闇はうまくピーターパンにはぐらかされてしまう。あくまでも普通の人間でピーターとの不思議な体験の後も普通に成長していくウェンディの立場からこの物語を見てみると、こうした「ピーターパン」という物語に横たわる果てしない物語が見えてくるのである。東京で上演が続く舞台「ウェンディ&ピーターパン」はタイトルの順番が入れ替わっていることでも分かるように、ウェンディ視点の物語。出演する黒木華とは、同じシアターコクーンの舞台「るつぼ」でタッグを組んでいる英国の演出家、ジョナサン・マンビィが、気鋭の劇作家エラ・ヒクソンとともに創り上げた作品だ。12歳という大人と子どもの間に立つウェンディを演じた黒木の純粋さと複雑さの入り混じった表現は観客の心に響き、ピーター自身が抱える決して明るく快活なだけではない謎めいた個性も中島裕翔の体を張った演技や表現でくっきりと浮き彫りにされており、見どころの多い作品となっている。(画像は舞台「ウェンディ&ピーターパン」とは関係ありません。イメージです)
 舞台「ウェンディ&ピーターパン」は8月13日~9月5日に東京・渋谷のBunkamuraオーチャードホールで上演される。

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