我が家とリバプール vol.1
はじめに
私たち家族は2011年1月〜2013年5月末までイギリスのリバプールで生活していました。
以前の少年サッカーに関する投稿は、サッカー関係者や保護者の方へ「どうしても伝えたい!」という強い動機があって書きましたが、今回はこれまで書こうと思ってたけど手をつけられずにいたテーマです。
現地への引っ越し、住んでいたときのこと、長男の育児など忘れてしまう前に画像と一緒にのんびりと記憶を遡っていくつもりです。
もし、いま世界を覆う感染症による渡航制限が緩和されたらリバプールに行ってみよう!、と考えている方がいたら少しは役に立つかもしれません。
渡英した2011年には、ロンドンからリバプール含む英国全土へ広がったイギリス暴動が勃発(友達のクルマが燃やされた!)、2012年6月にはエリザベス女王の即位60周年を祝うダイアモンド・ジュビリー(PIMM'Sという酒が好きになった)、続いて8月にはロンドンオリンピック(開会式と閉会式が最高だった!)が開催され、歴史的に保守党と労働党が交互に政権を担うイギリスの政権においてトニー・ブレア、ゴードン・ブラウンと続いた労働党政権から、保守党ディビッド・キャメロン首相に変わった時期とおおよそ重なっています(税金などが上がり始めた)。
↑Pimm's and Lemonade
個人的にリバプールを日本の土地で例えると、すごくコンパクトな横浜で人々が強烈な津軽弁を話しているようなイメージです(現地の方言は同じ英国人でも理解に苦しむスカウスアクセントと言います)。街の面積はたった111.84 km²しかありません。これは私の育った静岡県富士宮市 389.08 km² (半分くらいは富士山だけど)のほぼ1/3、東京だと八王子市が186.4 km²ですから、世界的な知名度と比べるとかなり小さな街です。
↑画像は https://twitter.com/TheGuideLpool より
リバプールへは日本から直行便はありません。多くの場合、ロンドンヒースロー空港から乗り継いでマンチェスター空港着か、ロンドン市内のロンドンユーストン駅からバージントレイン(特急列車)でリバプールライムストリート駅(終着駅)へ行く方法があります。
↑ロンドンのユーストン駅
↑リバプール・ライムストリート駅
その他には、KLMでアムステルダム空港経由〜マンチェスター空港到着便が便利です。アムステルダム空港はコンパクトで分かりやすいので、私たちの祖父母や甥姪が来るときには必ずこのルートでした。言葉や乗り継ぎに不安がある人には良いルートです。マンチェスターからリバプール市内まではクルマで約45分。
リバプールにはジョン・レノン・エアポートという名の空港もあるのですが小さくて発着便数も少ないのであまりオススメしません。むしろリバプールから欧州圏内への旅にはローコストエアラインが豊富で使い勝手が良いです。
当時私が知る限り、現地で働く日本人はほんの数家族しかいませんでした(留学生はわかりません)。だから観光で訪れるにしても、NY、LA、パリ、ロンドンに比べたらかなりの異邦感を楽しむことができると思いますし、南米やアフリカほどタフな旅でもありません。
ところで、サッカーやリバプールFCに関する情報を期待された方には前もってごめんなさいしておきます。その理由はこちら↓。
なぜリバプール?
正直言って、イギリスのしかもリバプールに縁が出来るなんて考えたこともありませんでした。ただ、10代の頃から海外の文化への興味は強く、いつか海外に住んでみたいと漠然と思っていましたが、若い頃はお金のかかるモータースポーツにどっぷり浸かっていたのでそんなことは夢のまた夢でした。
2006年、社会人になってからの夢だったバイクゲームをリリースしたあと、次回作の機会を求めてしばらく社内を浪人のごとく彷徨っていました。
2010年になり、同じ組織内のリバプールにあるスタジオでバイクゲームを開発する可能性があるという話を聞きつけ、たまたま日本へ出張で来ていた現地スタジオのボスへ猛アピールとプレゼンを重ねた結果、入社が認められワーキングビザも出してもらえることになりました。ただし、自己都合の転籍なので日本のスタジオを一度退社して現地採用という形です。
2010年の春に息子が生まれバタバタと物事が決まるなか、単身で何度か現地を訪れて住まいを決め、クリスマスを迎える頃ようやく全ての準備が整のったとき私はすでに39歳になっていました。
↑東京を発つ直前、夕焼けの空
実は若い頃、大学(美大)を出たあとに留学を考えたこともあったのですが、たとえ大学院2年間であっても学生ビザでアルバイトは許されないし、語学テストを受け願書を出すまで就職もせずに数百万(確か2年分、生活費込み600万くらい)というお金を用意することはほぼ不可能。親の援助も借金の当てもありませんでした。
ですから、社会人となってからこの機会を与えてくれた当時の上司、現地スタジオのボスには今でも心から感謝しています。結果的に2年半という短い期間でしたが、日本を離れて何もかも初めてのづくしの経験は我が家にとって10年以上の価値があったと今でも思います。
しかし、家を構え子どもが生まれたあとに海外へ引っ越すのは容易なことではありません。家族でリバプールの地を踏むまでにはもう少し時間がかかります。
次回、「引っ越し地獄」
https://note.com/seven_riders/n/nc0349c22126e
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