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【連載小説】私小説を書いてみた 3-1

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理世

 昼の日差しはこれから冬を迎える季節にしては穏やかだった。僕は帽子を目深にかぶり、街に出た。

 今まで宝物のようにしていたCD を売った。何枚ものロックの名盤は、全部で一万円にすらならない。ネットオークションで、ギターもエフェクターも売ってしまった。全部で七万円が通帳に記帳されている。これが青春の値段だ。僕の今までの薄っぺらな人生を考えれば悪くない。

 帰りに最後にライブした「mercury club」の前を通った。ちらっと見ただけなのに、スローモーションのように、何かに吸い寄せられひとつの張り紙を僕は見た。あの日、輝いていた19才の少女、理世のライブ予告だった。

 もう一度、あの子に会ってみたい。それは希望と言うより何か蓋然性すらはらむような確信を僕は感じていた。会わなければいけないとすら僕は思った。ライブについて入り口奥にいるスタッフに問い合わせ、さっき無数の円盤と取り替えた千円札を二枚支払った。安っぽい印刷の板チョコくらいの大きさのチケット。

 自分のしたことの価値なんてどうでもよかったが、一週間後にまたあの歌が聴けることが、一週間自分が生きる意味のような気がしてくるから不思議だ。

「お久しぶりですね」

 背後からマスターの声が聞こえた。振り向くといつものように洒落たネルシャツとジーンズのマスターが立っていた。

「お久しぶりです。この前は、って大分前だけどありがとうございました」
「あれ、今日は陸君とじゃないんだ。どう?ライブの予定は」
「しばらくできそうにないんですよ。みんな忙しくて。しばらくは聴衆として、かな」

 チケットを見せて僕は愛想笑いをしたと思う。自分に起こった数ヶ月の変化をどう伝えようにも言葉が見つからなかったし、もちろん伝える気持ちもさらさらなかった。

「そっか。ありがとう、またよろしくね。また陸君にも伝えといてよ」

 マスターは奥に消えていく。この空間は嫌いではなかった。世界と離れた特別な場所のような、黒塗りの密閉空間に親しみと憧憬とが入り交じる。もう演奏することはないんだろうなと思うと、なんだか足枷をひとつひとつ自分でとったような、そんな気すらするのだ。

 次の瞬間、あの時の歌が聴こえた。

「あれ、ライブは一週間後じゃないんですか」
 カウンターの若いスタッフについ話しかけた。

「あー、理世ちゃんね。今日は打ち合わせで来たみたいだけど、なんだろね。ギター新しくしたみたいだから音の響きとか確かめてるのかな」

 話しているうちに歌は消えて、アコギの小気味良いカッティングの音が微かに聴こえた。

 ざわつく心は明らかだった。幾何かの勇気がほしいと思った。僕は帽子をもう一度目深にかぶり、建物裏の喫煙スペースへ向かった。
 
 昼過ぎの太陽の傾きを感じながら、日陰ではそれなりに冷たい風が僕の身体を通り抜け、髪を揺らした。上にゆっくりとはきだした煙草の煙は、渦を巻くように、それでいてすぐに消えていった。吸殻が二本灰皿に寄り添い並んでいる。少しの期待を残して、最後の煙をはきだした。

 その時だった。裏路地に面した扉が開き、なかから理世が現れたのがわかった。
 

「お疲れ様」
 反射的に出た僕の声に少しの驚く様子も見せず、理世はこちらを向いた。

「お疲れ様です」

 いつも通りなのだろうか、淡々と挨拶をかわした。何か話せないかと僕は言葉を探した。頭のなかの奥の方から彼女に問いかける話題を探す。忘れていたカーディガンをタンスから探すようにだ。

「覚えてる?かな」
 探し出したのは平凡な言葉だった。

「あ、八月のライブで確か、一緒だった」
 わずかの間があったが、彼女は静かに答えた。背にあるギターケースは大きく見え、意外に身長が低いことに今更ながら気がつく。彼女は表情ひとつ変えず、身体はあいかわらず帰るべき方向を向いていた。

「一週間後のライブ楽しみにしてる」

 絞り出した言葉はみなおそろしくシンプルだった。理世は少しだけ笑ったような気がした。左耳のピアスが鈍く光った。

「ありがとうございます」

 小さな声だった。あのステージで輝く彼女とは別人のような振る舞い。うつ向きかげんで話す彼女とは、眼も合わなかった。僕はなんだかひどく悪いことをしてしまったような気すらしてきた。

「あの、帰ってもいいですか」
「あ、ごめんごめん、呼び止めて」
「お疲れ様です」

 理世はそのまま繁華街へつながる裏路地を進んでいった。ギターケースが揺れて彼女の姿が隠れてしまいそうだ。

 愛想のない様子だった。いや、愛想とかそんな形容のしかたは相応しくはない。興味や関心の欠片もないやりとり。彼女にとって僕の存在などそんなところだろう。嫌ではなかった。不審に思われていないだろうか。

 触れてはいけない妖しい輝きの鉱物のような、また未知のまがまがしい大花のような存在そのものが、いっそう僕を惹き付け捉えた。
 
 午後の空は曇天に変わった。

 家について帽子をとると、おびただしい抜け毛が見てとれる。僕は直視せずにすぐに掃除機をかけた。いつもの動作に無駄がなかった。

 坂下先生が教えてくれたオーガニックコットンのニット帽。通販で買ったものが届いていた。薄い封筒に入っていた紺色とクリーム色の彩りは単調でなんの感興もなかったが、身を守るための大切な道具に必要感と安心感を思う。そういえば最後の診察から一週間が経っていた。
 
 先生は元気だろうか。

 先生のくれた名刺を僕は取り出し、じっと見つめた。殴り書きのような、震えるような先生の字。「あきらめない」と書かれたその言葉を僕はかみしめた。俯瞰したもう一人の僕はいなかった。それとも同じように見つめていたのかもしれない。その言葉を。

つづく

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