見出し画像

【連載小説】私小説を書いてみた4-5

前回のお話https://note.com/sev0504t/n/n44f36a717b3e?magazine_key=m8bdfdc55c4a5
最初からはhttps://note.com/sev0504t/n/na0680fb0802d?magazine_key=m8bdfdc55c4a5

-- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- -- --
再会

「お久しぶりね」

 坂下先生だった。
 病院の廊下にもたれるように立つ先生の姿を見た。白い襦袢のようなパジャマ着を着ていて、いつか診察をしてもらった時と比べてもずいぶんと痩せていた。

 ニット帽を目深に被る姿に僕は頭の先から固まった。

「病気って、もしかして」
「まぁ、とりあえず病室入って」
 坂下先生はゆっくりドアを引いて病室へ僕を招き入れた。

 一人部屋の個室。窓から半分は海だった。半分は鉛色の樹林帯が刺々しい。階から見下ろす冬の海は思ったより静かで、西日がわずかに当たり、その煌めきはまるで暖炉のようなあたたかな光にすら感じた。

 窓際の棚にはリンゴと一輪の花があった。名前なんてわからない。黄色い花。坂下先生は身体をゆっくりベッドへ横たえ、機械式のリクライニングを慣れた手つきで操作した。視線が少し下がり、先生の姿はより小さく感じた。

「どう調子は?」
「それより先生、それって、もしかしてがんの治療ですか?」

「そうそう。まさかよね。こんなかたちであなたと同じような体験をするなんて」
 坂下先生は微笑んだ。うっすら色つきのリップでもあてたのか唇が艶めくように見えた。

「いや、ちょっと待ってくださいよ。僕はただの脱毛症なんだから、ガンと全然違う」
「同じようなものよ。自分が自分で失くなってく感じ」
「そんなこと」
「自分も医者としてね、いろいろ思うわ」

 状況を飲み込めない僕をよそに先生は続けた。
「昔、若い頃ね、末期ガンの患者さんに抗がん剤や投薬の治療をしたことがあって、自分の身になった時、こんなにもつらい治療を表情も変えず淡々と伝えてたんだって思ったら、なんだかね。でもホントに辛いのよ。もう少し薬の量とか投薬の方法とか患者さんの立場で考えてあげたかった。私はもう緩和ケアだけど、そんなこと思うわ」

「進行具合とか、悪いんですか?」
 坂下先生はまた小さく微笑んで視線をリンゴに向けた。食べる?と手振りを少し見せた。

「湊さん痩せたんじゃない?大丈夫?私の心配よりあなたよ。髪の毛だいぶ失くなっちゃったのね」

「それより、先生もニット帽被ってるから、わけわかんなくなって」

「髪の毛が抜けるって、でも怖かったわよ、痛みがないんだから。抜けるときね。これもクリニックで、たくさんの髪の毛に関する病気の方の治療してきたけど、こんなにも辛いものなんだって。なんだか医者として自分がしてきたことを最期まで見つめ直しなさいって言われてるような気がする」

 僕は何も言えなかった。「もし、抗がん剤の治療で髪が失くなったなら」と、自分の身に起きた不可思議な現象に強烈な意味付けを願った自分。少しでも願った自分を恨んだ。

 何度も、何度も、意味を探した。何度も、何度も、感覚を取り戻そうと願った。コップから水が溢れるように身体のすべての臓器が泡立ち、思い出したように感情の波が押し寄せる。
 それは冷たい空気と暖かな光を交互に行き来し、目まぐるしく、耐えられなくなった僕は先生のベッドに塞ぎこんだ。
 そして、先生以外の他の誰にも悟られないように、布団を顔に強く押し付け、意味のわからない嗚咽に似た声を布団に響かせた。

 顔からいろいろ出ていた気がする。歯茎からの血、涙も全部だ。

 末期ガンの自分より憔悴した元患者を前に、坂下先生はニット帽の上に優しく手をおき、ただだだ時間を過ごしてくれた気がする。

つづく

 

よろしければサポートお願いいたします。サポートは本屋を再建するための資金にします。