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【連載小説】私小説を書いてみた 1-3

前回のお話https://note.com/sev0504t/n/n1ccbf5042e2f

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異変

 病院からの帰り道。僕はコンビニで発泡酒とポテトサラダを買った。まだいろいろ信じられないことばかりだった。失ったものと、その喪失感。人のぬくもり。自分が自分でなくならないように、いつもと変わらぬ晩酌をしようと僕は思っていた。

 地方都市の金太郎飴のような景色に、今日だけは安堵しようと思った。秋が近いのは、冷気を帯びた空気と、時おり聞こえる虫の声が教えてくれる。松虫か、鈴虫かわからないが、すんだ空気にのって細い裏路地にまで秋の音が届いていた。

 アパートの階段を上がっていると見たことのある後ろ姿が見えた。1ヶ月前に出ていった理彩だった。僕は表情も言葉もうまく選べない。

 「あれ、あ、久しぶり、だね」

 「ちょっと忘れ物とかあってね。会えて良かったわ。部屋入っていいかな」
 変わらぬ様子に僕は安心した。同時に淡い期待と、彼女との時間が想起された。

 「ああ」
 理彩は、自分がいつも荷物をまとめていた部屋のすみにある鞄を見つけた。

 「まとめといてくれたんだ。ありがとう」
 理彩は最低限の行動だけを予定していることは明白だった。感情の揺れすらない、隙間のない様子が痛いほど伝わった。
 僕は鞄を手渡した。ものすごく重苦しいその持ち手は、ざらざらした冷たい手触りだった。

「あのさ、やっぱりもう会えないのかな」

 大学の後輩の理彩は、バイトを通じて知り合った。僕にはない、明るさと、優しさ、聡明さ。もったいないと周りから囃され、その通り、なかなか定職に就けない自分に愛想をつかした。たぶんそうだろうと僕は思っていた。
 僕は一人でいることも苦手だった。結局彼女に甘えきっていた自分の情けなさを一番自分が感じていたのだった。

 「なんで、私が出てったと思う」
 理彩はしっかりと僕の眼を見て問いかけた。

 彼女のまっすぐな瞳はよく見ると揺れているようにだった。マンガみたいな喧嘩をしたわけじゃない。静かに始まった僕らの恋愛話は静かに、密かに終わろうとしているのだろうか。

 「定職にも就けず、おれが頼りないから、かな」
 間をおいて僕は言った。もう一人の僕が、それは違っていると言いたげだった。汗ばむ手が分かった。
 
 「一番私が悲しかったのはね」
 理彩は噛み締めるように話を続けた。

 「あなたが今年の採用試験でダメだった時、今までだったらまた一年頑張るって約束してくれたのに、今年は逃げるように出かけて行ったの」

 僕は、確かに彼女から逃げ出した。5年も待っていてくれたかもしれない彼女をおいて。

 「あなたには前を向いていて欲しかった。べつに頼りなくても、非常勤の仕事でも、二人で将来を考えたかったのに」
 理彩は最後の言葉で声を震わせた。
 消えてしまいたかった。僕を見ている僕も一緒にだ。

 「ごめんな」
 絞り出せる言葉は4文字しかなかった。
 
 理彩は背を向け、重そうな鞄を軽々抱えた。玄関は薄暗く別の世界のように見えた。張り詰めた空気のなかに浮かぶ玄関ドアノブだけは、はっきりとその設えたような銀色の光を放っていた。
 

 玄関口の横にある洗面台の異変に理彩は気がついた。
 「これ何、ずいぶん髪の毛落ちているけど」
 「あ、これ。ちょっと髪の毛自分で切ったらさうまくいかなくって。はは」
 反射的に薄っぺらい言葉がでた。
 理彩は少しだけ辺りを見回して靴を履いた。

 本当は辛さを知って欲しかったのだろうか。本当は心配して欲しかったのだろうか。最後に僕が彼女にできることは、見送ってあげることだけだった。

 「じゃあね」
 「ああ、ありがとう、その、本当にありがとう」
 「うん。こちらこそ」
 最後に理彩がなぜか小さく笑った。

 一瞬、僕は彼女がもう誰かの腕のなかにいるような影像が浮かんだ。信じられないぐらい身体は脱力して、汗ばんだ手の重みも消えモノトーンの世界に理彩は消えていく。


 理彩が帰ったあと、部屋にあるギターをスタンドごと蹴り飛ばし、壁に頭を数回打ちつけた。髪をグシャグシャにかき乱せば、また大量の脱毛が見てとれる。低い声で喚きながら、座り込んだ僕の目にはビールの空き缶とボールペンが映った。

 僕はボールペンを左手の甲に何度も刺した。
 赤黒い血がにじんで、鈍い音が部屋に響く。この感情をおさめるには痛みしかなかった。痛みがこの絶望と悲壮と、不甲斐ない感情の束を鈍化させると信じた。痛みが感情を越え、涙と汗とよくわからない色の液体がフローリングに流れ出た。

 痛みでその日は寝られなかった。
 痛みが酷かったから、寝られなかったんだ。

 朝方にやっと眠りについた。

 起きると手はドラえもんの手みたいに丸く腫れて痛々しかった。
 ベランダでタバコを吸うと、煙と嗚咽に混じった胃液を吐いた。眠りから覚めることが辛い。現実が容赦なく僕の五感を捉え、痛みで鈍化したはずの感情は鋭敏さをもってまた僕に向かってくる。
 これからの自分の未来には何があるというのか。心配する自分を俯瞰するもう一人の自分が笑った気がした。

 何の罪もないレスポールのギターは昨日と同じ場所に横たわり、フローリングにはそれと分かる打痕が残っていた。

 チェインギャングの歌が聴こえる。世界が歪んでいるのは僕のせいだと歌う。純真な自己嫌悪が眩しくてたまらない。そうだ、世界はいつも眩しかった。世界から切り離されたぼくは、もうギターを弾けそうにはなかった。

 いつか見た19歳の少女がギターを抱え、火のような眼差しで僕の心を揺らしたことを思い出した。
  
 つづく

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この物語はフィクションでございますが、ドラえもんの手になったことはあります。

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