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【偶然日記#9】Interlude(間奏)と写真を撮る苦手意識が減ってきた話

眠い。この3日間くらい寝るのが深夜2時を過ぎてしまっている。noteを書き始めるのが23時とかで気づいたらそんな時間。

そう。「気づいたら」なのだ。好きだった学校の美術の時間と一緒。至福の時間。一昨日も少し書いたが、毎朝の通勤中に思いついたことをGoogle Keepにメモっている。特に朝シャワーを浴びている時と駅まで歩いている時に「あれはこういうことかな、こんなこと書きたいな」と浮かぶ。

脳がクリエイティブな状態になりやすいのは4Bと言われる場所にいるときらしい。Bus(移動中に)、Bed(ベッドで)、Bathroom(お風呂で)、Bar(バーで)。Barにはほとんど行ったことがないので分からないが、その他の3B中は、確かにそうだ。僕の大好きなカントも毎日の決まった時間の散歩(Busに当たるのかな?)を欠かさなかったのも、この効果を知ってのことだったのだろう。

その中で特に最近「書いてみたいな」と思うのは「ハウツー系」のジャンル。「雄手舟瑞物語」と「偶然日記」(「偶然日記」の名前も変えようと思ってたけど気に入ってきた)では、自己肯定とか幸福とかの周辺を巡ってnoteしているのだけれど、今までのデザイン、アート、ビジネスなどを実際やってきた経験を踏まえた僕の洞察についても語りたくなってきてしまいました。

マガジンのタイトルは、「雄手眼鏡(仮)」にしよう。

「雄手舟瑞物語」と「偶然日記」は日々交互に続けたいので、どこに差し込むか。どっちか+αで「雄手眼鏡」。

話は急に変わるが、僕は写真が得意でない。その理由は多分、「被写体に近づくのが苦手だから。」と思っていた。でもnoteを書き始めて、「それでもいいじゃないか」と不思議と思えてきた。

先日も少し触れたが、僕は26歳で会社を辞めて、翌年イギリスの大学に入った。2年次にデザイン学科からファイン・アート学科に移った。その先日のnoteでは、転籍の幾つかの理由の一つが「英語が苦手だったから」と書いたが、他には「ファイン・アートの良さが分からないけど、長い歴史の中でこんなに支持されている価値が分からないのは勿体ない。自分自身でやってみれば、もしかしたら分かるかも。」というのもあった。

卒業時には嬉しいことに、その価値を感じることができるようになった(詳しくは、どこかで書きます)が、写真については全くダメー好き、嫌いの判断が全然できないし、面白いと感じられないーだった。ただ唯一、Ph.Dコースの先輩の写真はとても好きだと感じていた。被写体のおじいさん、おばあさんがとても良い顔をしていた。その先輩は本当に優しい人で、その人柄も含めて写真に出ている気がした。一方、「人をイライラさせる天才」といつも言われる僕(日本限定)には「絶対こんな写真撮れない」と思った。

帰国直後、たまたま見つけたギャラリー「Motus Fort」で、写真が専門のアメリカ人オーナー、ジェフリーが色々教えてくれてから、好き、嫌いの判断ができるようになったし、とても面白いと感じられるようになった(これもどこかで書きます)。しかし、水平は取れないし、撮るのは門外漢。仕事のイベントや旅行で写真係を任されそうになっても断固拒否。

ところが、そんな写真を撮ることに対する僕の心のバリアが少し消えたのだ。インスタじゃないけど、「不完全でいいや」さらに「そっちの方が面白い」と自分自身に対して思えるようになったからかもしれない。

とても蒸し暑くまだ梅雨が明けない7月の朝、のそんな写真。

(おわり)

雄手舟瑞の過去の話をベースにしたフィクション「雄手舟瑞物語:青い鳥を探していた男が見つけたこと」と雄手舟瑞の今を書くエッセー「偶然日記」を毎日交互に更新しています。よろしければご覧ください


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