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【雄手舟瑞物語#28-インド編】ガンジス川で沐浴を(8/17-21)

30時間の寝台列車の旅を終え、8/17の朝4時にワラナシ駅に着いた。リキシャーで町に向かった。ワラナシの朝は早く町の至るところにある寺院や町のスピーカーからお経が聞こえてくる。

チカブンがまずガンジス川に行きたいと言い出したので、僕は黙ってついていく。ガンジス川は雄大だった。対岸は見えない。水面に朝日が輝く。川岸は、早朝だというのに洗濯をしたり、沐浴をしたりする人でいっぱいだ。少し上流では火葬場があり、遺灰や遺体がそのままガンジス川に流されると聞いた。

「ちょっと持ってて」

チカブンがバックパックを僕に渡すと、着の身着のままに、スッと川岸の階段を下り、川に入っていく。川は深く、小柄なチカブンの肩まですぐに水に浸かる。太陽の方を向き止まる。そして、フッと水の中へ消えた。頭まで潜ること数回。沐浴を終えたチカブンが戻ってきた。

「ありがとう。雄手も沐浴したら」

沐浴という言葉も知らなかった僕は一瞬躊躇したものの、チカブンに言われたらやるしかない。荷物をチカブンに預け、川に下りていった。

な、なんだ。今まで経験したことのない足裏の感触。柔らかい粘土のような、ぐにょぐにょな感じ。気持ち悪い。でも後には引けない。チカブンがやった通りの方法で、何度か川に潜る。やり切った。

同じ洗礼を受けた僕たちは朝ごはんを食べ、ゲストハウスを探すことにした。まだ朝7時前。最初は日本人宿で有名なKumiko Guest Houseに泊まろうと考えていたが道に迷ってしまった。結局、名前は覚えていないが、すぐに部屋を用意してくれる宿が見つかったので、そこに決めた。

「部屋は一緒でいいよね」という提案に「そうだね。もったいないしね」と平静を装って答えるが、嬉し恥ずかしい気持ちでいっぱいだった僕。

僕らは一旦仮眠を取り、午後は町を練り歩き、チカブンのサリーの買い物に付き合ったり、ふらっと思いつきで寺院の中に入ったりした。町は袋小路だらけで迷路のようで面白い。さすがにこの頃はカレーも飽きてきたので夜は日本食を食べようということになって、宿の近くのガンガー・フジという日本食レストランに行くことにした。

久々の日本食。シタールの生演奏も聴けたり、贅沢な時間を過ごした。また、ワラナシでは日本人バックパッカーに会うことも多く、ワラナシに関する情報交換をした。その中で「友達の友達の話なんだけど」という枕詞で始まる怪談話があった。

「夜道を一人で歩いてたんだって。そしたらインド人にナイフで脅されて、逃げたんだけどこの迷路みたいな袋小路だからさ、どんどん奥に迷い込んじゃって結局捕まっちゃったらしいんだよね。それで、どこかに監禁されたんだって。で、そこではさ、両手両足が切断された日本人がたくさんいて、檻の中で鎖に繋がれてるんだってよ。で、見世物小屋に出されるんだって」たしかに見世物小屋が町にあった気がする。

「インドではさ、日本人が結構行方不明になってるらしいんだけど、だいたいこうやって捕まって両手両足が切断されて見世物にされてるんだって。」

「えー、こわいねぇ」そこにいた日本人バックパッカー達は、ここワラナシなら本当にあり得そうな話に怖がった。

「その人は何とか逃げ出して助かったんだって。それで自分と同じような目に遭わないように日本人バックパッカーにこの話をしてるみたい。だから皆も日本人バックパッカーに会ったらこの話をしてあげてくれよな」

その後、僕とチカブンは宿に戻った。僕はどうしても夜道を歩いてみたくなった。チカブンに「ちょっと外、散歩してくる」と言って、外に出た。袋小路も灯りで照らされて明るいところと暗いところがある、アンテナをビンビンに立てて歩いたので、特に危ない目に遭わずに済んだ。ただ確かに危なそうな雰囲気もあったので、十分に気を付けないといけないなと思った。

僕らは5日間ワラナシでゆっくり過ごし、次なる地、ネパールの首都カトマンズをバスで目指すことにした。しかしながら、実はワラナシ三日目あたりから僕は体調に異変を感じ始めていた。今まで感じたことのない腹痛がしてきたのだ。ここで置いて行かれるのも癪だし、ネパールにも行きたい。チカブンと僕はカトマンズ行きのツアーバスに乗り込んだ。

photo(cover) by Purblind

(つづく、次回は8/20)※2日に1回くらい更新してます。

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<前回の話>

<第一話>

※この物語は僕の過去の記憶に基づくものの、都市伝説的な話を織り交ぜたフィクションです。

合わせて、僕のいまを綴る「偶然SCRAP」もよかったら。「雄手舟瑞物語」と交互に掲載しています。


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