2018年諏訪湖マラソン

僕が目指すもの

初めまして。桃澤大祐です。
長野県にあるサン工業に勤めながら、陸上の長距離をやっています。

去年の9月に5000mで13分台、11月に10000mで28分25秒で走り、今年の都道府県駅伝に長野代表として出場しました。タイムが向上していく中で「実業団にはいかないの?」「プロにはならないの?」「何を目指しているの?」と聞かれることがありました。

そこで今回は自分の今の目標は何なのか、そして何故今の環境で競技を続けているのか書きたいと思います。


井上大仁に勝つ

それが現在の自分の目標です。
井上とは山梨学院大学時代の同期になります。井上は昨年行われたアジア大会のマラソンで優勝、そのマラソンでは日本歴代5位の記録を持っている選手です。

一方の自分は箱根駅伝は走っているものの、マラソンはちゃんと走ったレースはなく、トラックベストも遠く及びません。というか勝負する以前にそもそも、同じレースで勝負したことがないくらい力の差があります。

遠い存在であった井上に勝ちたいと思ったキッカケが大学時代の時にありました。

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 (第91回箱根駅伝後 左から自分、井上、10区の兼子、マネジャー田淵)


井上大仁という存在

そもそも井上は自分にとって最初は目標ではなく憧れの存在でした。(恥ずかしいので本人に言ったことはない(笑))箱年駅伝での活躍であったり、世界ハーフの代表に選ばれたりと、当時の自分はただただすごいと思うばかりでした。

そんな憧れだった井上大仁が目標になったのは大学3年生の12月頃の出来事です。その日の練習は各自JOGで基本的に自分は一人でJOGするのですが、突然井上が「一緒にJOGしよう」と言ってきました。

集団走やポイント練習では一緒に走ってはいたけれども、各自のJOGでは初めてでした。正直心の中は「なんか俺やらかしたか?」なんて思ってました。

「今年の箱根駅伝は二人で山をとるぞ」

それが一緒のJOGをしながら井上に言われた言葉です。

この年の箱根駅伝では5区が井上で、6区が自分でした。箱根駅伝でチームは優勝を目指していたので、優勝するためにも二人で箱根の山を勝ち取るぞという話をしてくれました。

この言葉を聞いた時もっと強くなりたい気持ち、嬉しい気持ちと同時に、強くなるなら井上のように強くなりたいと思いました。そして、自分にとって憧れではあるものの井上大仁という存在が目標になりました。

自己ベストを比べたらとても厳しいと思う人もいるかもしれないけど、当時の自分は出来る出来ないとか正直あんまり考えていませんでした。それは、小学校の子供が作文で将来の夢を描くようなそんな感じでした。

それでも、4年間同じチームでやっていたので、輝かしいところだけではなく、失敗や人間らしいところも見てきました。

人間らしいていうとおかしいけれど、それまで自分は日本代表に選ばれるような人は雲の上の存在で、何から何まで完璧な人だと思っていました。けどそうではないと知ったとき、自分も井上のように強くなれるのではないかと感じたのです。

何より大学1年生の時はトップ選手ではなかったけれど、4年間でトップを争う選手になっていく井上の姿、過程を同じチームの仲間として近くで見れたことは自分の大きな経験になりました。

今後井上が今よりも強くなって世界で戦える選手になると信じています。その井上に勝つことができれば、自分自身の最終的な目標達成にも近づくと信じています。最終的な目標地点についてはまたの機会に書きます。

上の記事はEKIDEN Newsさんに書いていただきました。この時井上に「お前には負けてられないからな」と言われました。遠くに少しだけ背中は見えて、やっとスタートラインに立てたのかなと思った出来事でした。


中川村に自分だからこそできることをしたい

自分は今長野県の伊那市にあるサン工業に勤めながら陸上競技をしていますが、この実業団がない長野県で競技をしているのは自分が生まれ育った中川村が好きだからです。そして、自分が井上大仁の存在から力を貰っているのと同じように、自分自身の競技を通じて中川村、長野県の人達の力になりたいからです。

中川村は人口5000人ほどの小さな村ですが、小さいからこそ自分のことを知ってくれている方も多くいました。箱根駅伝や長野県縦断駅伝、都道府県対抗駅伝を走った時には応援や、労いの言葉をかけてくださる方も多かったです。

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(中川村から見える中央アルプス)

毎年11月に行われる長野県縦断駅伝は名前の通り長野県を上から下まで縦断する大会ですが、自分の地元である中川村を走る区間もありました。

2年前にその中川村の走る区間を任されましたが、地元ということもあり、沿道の方々がずっと自分の名前を呼んで応援をしてくれました。

この時の印象は本当に強く自分に残っています。箱根駅伝の応援も凄かったですが、沢山の人が自分の名前を呼んで応援してくれた大会は長野県縦断駅伝以外にはありませんでした。長野県縦断駅伝で地元を走ることだけではなく、もっと大きな形で地元・中川村に何かをしたいと思ったのがこの時です。

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(2017年長野県縦断駅伝 地元中川村を走った時の写真)

しかし、競技レベルが上がるにつれて、出場する大会の選択肢やレベルも上がっていく中で、長野県内の大会に出る機会が現在少しずつ減っています。

さらに、当初は結果を出せばいいと思っていましたが、それだけでは、県外でやっている長野県出身の選手とあまり変わりないのではないか?と思うようになりました。

自分自身が井上を目指すようになったのは、同じチームでやっていて、身近にいたからこそだと思っています。だからこそ、県外でやっている選手よりも近い場所で競技をすることで伝えられることがあるのではないか?そう考えて今の環境を選んで競技を続けています。

noteを始めたのも、SNSで繋がっている長野県内の人々、また現在競技をやっている高校生や、中学生に自分の思いなどを伝えられるられる方法の一つだと思ったからです。正直どうやって中川村、長野県の人たちと競技の結果以外で接点を作っていくのかは現在模索中です。

それでも競技者にとっては、競技がやれている時間が1番旬でもあります。もちろん競技力を今後もっと伸ばしていくことは必須ですが、今が旬だからこそ、今しかできないことをやりたいです。

なので競技をやめるまでに、子供たちがプロ野球選手を見て、プロ野球選手になろう!と思うのと同じように、自分を見て陸上て面白そう!やってみたい!と思われるような選手になります。

まとめ

「井上に勝つ」「中川村に自分だからこそできることをしたい」この2つが今の目標であり、自分が今の環境で競技をしている理由です。

他にも思う部分だったり、理由はあるのですがまたそれは別の機会に書いていきます。

読みにくい文章になってしまいましたが、今後は競技のことや、競技以外の面、自分の思いなどを書いていければないいなと思います。

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