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多くの人が陥りがちな勘違い――ミニマリズムとは、「持たない」「買わない」ことではない

いろんなミニマリストの方々を見ていて思うのだが、ミニマリズムを「持たない自慢」や「捨てる競技」として認識している人が意外と多いような気がする。たとえば、「都会なのに、家賃2万円のワンルームに住んでます! 家具も家電もほとんどありません!」とか、「今月は50個もモノを捨てました! なんと、思い切ってカーテンまで捨てちゃいました!」とか。彼らは修行僧かなにかなのだろうか? メディアによる見せ方も悪いとは感じるが、本来のミニマリズムとはそういったものではない。

ミニマリズム(最小限主義)とは本来、ノイズや障害となるものを取っ払って、本当に大切なこと、必要なことに集中しようという考え方だ。自分のライフスタイルのなかでも特にこだわりたいこと――それは、人によっては仕事かもしれない、夢かもしれない、趣味かもしれない――に、惜しみなく時間や労力を“全ツッパ”するために、妨げとなるものを取り除いていこう、というものだ。だから、なにもない部屋で暮らすことや、カーテンまで捨ててしまうこと自体は、ミニマリズムでもなんでもない。

もっと言うならば、ミニマリズムとは自己実現や幸せになるための手段なのであって、それ自体が目的になってはいけない。だから、いちいちYouTubeやらブログやらで部屋にどれだけ家具がないだとか、どれだけモノを捨てただとかを報告するのはおかしい話で、それならばむしろ、そのなにもない部屋に住んでまで自分が成し遂げようとしている野望や、たくさん断捨離してきたなかでどうしても手放すことができなかったお気に入りのモノなどを紹介するほうが、よっぽどミニマリズムだと思う。

また、「ミニマリストは総じて持ち物が少ない」というのもよくある誤解だ。ひとつ例を挙げるならば、日本におけるミニマリストの第一人者であらせられる佐々木典士さんは、いままでずっと持ち物の少ない暮らしをされてきたが、最近では車とバイクにドハマりしてしまい、それらに関するモノをたくさん所有されている。でもそれは佐々木さんがミニマリストを辞めてしまったからではなく、彼にとって車やバイクのために時間とお金を費やすことが本当に大切なこと、必要なことになったからである。

だから、たくさん家具家電を持っているミニマリストや、いろんな服を着るミニマリストがいたっていいのだ。それらがいまの自分にとって大切なものなら、最新家電が出るたびに買い替えたっていいし、アウターなど同じ役割の服をいくつ持っていてもいい。ミニマリズムとは他人の目を気にした我慢大会ではなく、自分がより良く生きるために採り入れるべき生き方のひとつでしかないのである。

かくいうぼくも、この数年ですっかり服が好きになってしまって、去年~今年だけでもここには書き記せないような金額を服に遣ってしまっている。もちろん、ときめかなくなったものは定期的に手放しているので、全体としての所有数は少ないほうなのだが、それでもちょっと買いすぎたと思う。

ただ、代わりに他のことにはあまりお金を遣わなくなってしまった。ずっと課金していたスマホゲームも辞めてしまったし、お酒も飲まなくなった。そんなお金があるならとにかく服を!である。

とはいえ、この先もずっと服にお金をかけていくかというと、それもまた断言できない。最近はだんだんワードローブの中身が洗練されてきており、ほとんどをときめく服で揃えられたような気がするので、これ以上新たになにかを買い足すという機会も少ない気がする。

……閑話休題。話が逸れてしまったが、要するに今回のnoteでぼくが言いたかったことは、ミニマリストだからといって、修行僧のような暮らしを送る必要はまったくないということだ。ぼくたちは、欲しいものを我慢しなくていい。もっと好きなものを食べて、好きな服を着て、好きなものに囲まれて、幸せになってもいいのである。

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