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ラファエロ「小椅子の聖母」 完璧で究極のアイドル~この絵ここが好き

はぁ……永遠に見ていたい……
好きな絵の前に立つと、そう感じますよね。何なら丸一日、ぼんやりと絵とともに時間を過ごしたい……
でも、美術館は大勢の人でにぎわって、絵の前でぼんやりできる時間はあまりありません。とくに日本の大手美術館の企画展示は。常設展示なら話は別ですが。

日本にいる限り、企画展示でしかお目にかかれない絵はたくさんあります。とりわけ西洋絵画の名品はそうですよね。
ラファエロの聖母なんて、日本に来た日には、周辺は十重二十重の人垣ですよ。何年か前に「大公の聖母」が来たときも、コロナ前ですのでぎゅーぎゅーに人が集まり、近づけば照明でテカって見づらく、離れれば人の頭で下半分見えない状況でした。

ラファエロ「大公の聖母」


「小椅子の聖母」なんて、もし来日した日には、日時指定のチケット争奪戦になるでしょうね……

◆ラファエロの聖母かぶりつき


ふっふっふ。そんな小椅子の聖母様を、ワタクシは、かぶりつきで、近くから遠くから、椅子に座ってゆっくりと、堪能する機会に恵まれたのでございますよ。それはコロナ禍の何年か前、我が家に究極の推しの子にゃんが来るより前のこと。
そのときのフィレンツェ旅行のメーン目的はもちろん、ワタクシが子供のころから大好きなラファエロの聖母堪能コースでございました。ウフィツィ美術館に1つ、ピッティ宮のパラティーナ美術館に2つあります。

というわけで、恐れを知らぬどシロートが好き勝手に「推し」の絵を語りまくる「この絵ここが好き!」シリーズ第2弾は、みんな大好きルネサンスの巨匠、ラファエロ・サンティの「小椅子の聖母」です!

ラファエロ「小椅子の聖母」

◆ひたすら優しく柔らかい


初めてラファエロの絵を見たのは、たぶん小学生のころ、祖母の家にあった画集でした。聖母子像といえば信仰の対象で、美しく気高く清らか、かつ端正で近寄りがたいものも多いですが、ラファエロの聖母子像は全然違いました。
その時、見たのは「ヒワの聖母」でした。ひたすら優しく柔らかなタッチで描かれた聖母のまなざしを見ていると、心が安らかになって幸せな気持ちになります。赤ちゃんに戻った気分といいますか……
この世にこんなに美しく優しい絵があるんだなぁ……と、子供心に感動して、しばらく画集のそのページばかり見ていました。

ラファエロ「ヒワの聖母」 ウフィツィ美術館で撮影
……まっすぐ撮れてない……涙

ヒワの聖母も、ウフィツィ美術館でかぶりつきで見られます。ウフィツィ美術館は一週間かけても見切れないんじゃないかと思うくらい広くて途方もないですが、館内ですれ違ったスタッフさんに「ラファエロってどこにあります?」と尋ねたら、即答でわかりやすく教えてくれました。頼れるスタッフさん、ありがとうございます!

大公の聖母もヒワの聖母も、母性そのものの尊さを写し取ったようなお姿で、信仰の対象としての聖母の一つの理想形だな~と感じます。教会の祭壇に置くには優しすぎるかもしれませんが、ひざまずいて拝みたくなる雰囲気です。

◆これは「推しの子」?


ところが! 「小椅子の聖母」を初めてラファエロの別の画集で見たとき、正直びっくりしました。
まず、カメラ目線ですよ! 聖母像はたいていマリア様がイエスを優しく見つめたり、慈愛に満ちた視線で人々を見下ろしたり、または受胎告知で天使を見つめていたりして、目線が正面から外れているイメージでした。
なのに、小椅子の聖母は、「この子かわいいでしょ」と言うようにイエスに頬を寄せて、こちらをまっすぐ見つめています。イエスは綺麗なお姉さん、じゃなくお母さんにだっこされてドヤ顔です(あっごめんなさい)

衣装もおしゃれ。ターバンとショールがエキゾチックで、街のおしゃれな女の子みたいです。こんなに普通におしゃれな柄が入った衣装をまとっておられるマリア様って、ほかにいますかね?
赤い服に青いマント(スカートに見えるけど)というマリア様のルールは外していないし、光の環もちゃんとまとっておられますが、マリア様っぽさが全然目立たない!
カラフルな衣装のおかげで、円形のそれほど大きくない画面に、赤・青・黄・緑・白・黒と、主要な色がほぼ原色で入っています。すごくにぎやかな色使いです。なのに、全体がとっちらからず、調和がとれてまとまっています。ショールとターバンに、さりげなく赤を繰り返しているから、赤と緑がぶつからないのかな?

視線誘導も見事ですよね。マリア様の顔周りに補色と細かい柄の書き込みを集めて、ばっちりフォーカルポイントを作っています。カメラ目線のマリア様の視線にまず目を引き付けられ、そこからイエスのまなざし、ヨハネのイエスをうらやむようなまなざしへと目線が流れると、イエスを抱くマリア様の手から腕、イエスのむちむちのあんよへと誘導されて、自然に画面全体を堪能できる構図になっています。う~む勉強になります。
このヨハネは、洗礼者というよりは絶対「いいな~僕もだっこ」と言っている気がする……

マリア様の顔つきも違います。ラファエロのほかの聖母と比べると、眉が濃くて瞳がはっきりしてます。
ピッティ宮のパラティーナ美術館で、「小椅子の聖母」と同じ部屋にラファエロが描いた「ヴェールを被る婦人の肖像」がありますが、見比べるとそっくりです。

ラファエロ「ヴェールを被る婦人の像」 パラティーナ美術館で撮影
…あっ映り込みが…

「ヴェールを被る婦人の肖像」が描かれたのは、「小椅子の聖母」より数年後みたいですね。なので、この女性が実際に「小椅子の聖母」のモデルかどうかはよくわかりませんが、に…似ている……
この婦人というか女性は、ラファエロのいろいろな絵のモデルで、どうやら彼女だったっぽいですね。
ちなみに、この女性をモデルに描かれたとされる「システィーナの聖母」もカメラ目線ですが、こちらは拝みたくなるマリア様です。一方「小椅子の聖母」は、拝みたくなるというより、話しかけたくなります。

……つまり「小椅子の聖母」は、ラファエロが「推しの子」を描いたんじゃなかろうか?

パラティーナ美術館で、直感的に、そう感じました。
どシロートのワタクシには、「小椅子の聖母」はほかの聖母子像に比べると「母性の尊さ」や「神聖性」よりは「かわいい」を強く感じられ、「マドンナ」というより「アイドル」に見えたのです。
よそさまの信仰の対象を、こんな風に言うのは誠に申し訳なく恐縮なのですが……まさに「誰もが目を奪われてく 君は完璧で究極のアイドル」に見えてしまう……

「小椅子の聖母」は言うまでもなく、時を超えて愛され続ける存在ですが、その「愛」の中にいくばくか、アイドル的な感情が呼び起されてはいないだろうか? だからこそ、数ある聖母子像の中でもトップクラスに人気があるのではないだろうか? などと思ってしまいます。

ラファエロ「小椅子の聖母」 パラティーナ美術館で撮影
額が斜めに持ち上げられています

パラティーナ美術館では、宮殿の部屋の中に絵が飾られまくっていて、暮らしの中で芸術作品が愛されてきた様子を垣間見ることができます。
で、ご親切にも、「この絵は見所です」という作品は、壁から斜めに額を持ち上げてあります。
もちろん「小椅子の聖母」も斜めに持ち上げられていました。
向かいにある「大公の聖母」は、持ち上げられていませんでした……背景が後年、制作された当時と全然違う形に塗りつぶされてしまったからかもしれませんね。

ピッティ宮パラティーナ美術館の展示風景

フィレンツェを歩くと、美術館にも教会にもそれはそれは多彩な聖母子像があって、こんなこと言うのも誠に恐縮なのですが「えと、……正直、聖母子像はお腹いっぱい」みたいになってしまいます(ご、ご、ごめんなさいっ)
が、そんな中で「小椅子の聖母」だけは、いくらでも見ていたくなりました。
怒涛の聖母子像で胸やけしても(あっごめんなさいっごめんなさいってば)、「小椅子の聖母」がすっきり癒してくれるといいますか……

その絵には、ラファエロの「推し」への愛が詰まっているからかもしれないね、と、異教徒のどシロートは一人、納得するのでした。

「推しの子」のアニメ、続編が楽しみですね!

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