哲学科で得られたこと。どんなテーマでも臆せず考えられること

みなさんは哲学科にどんなイメージを持ってますか?

・ヤバそうなことを考えてる人が多そう
・死とか美とか語っちゃってるやついる
・倫理とか勉強してそうだから説教臭そう
・自殺しそう

といった感じでしょうか。

では哲学科の授業ってどんなイメージですか?

・美や真理についてみんな陶酔しながら語る
「ぼかぁねぇ、美って、つまりbeautyって言うの?そういう美的なものって、うーむ、~な感じだと思うのさぁ」
・延々とディスカッションしてほぼケンカ
・逆に哲学は実践だとかいって90分ずっと瞑想

みたいな感じですかね

今回はそんな感じの魔境である哲学科がどういうところかということと、所属してよかったと感じたことを書いていきます。

哲学科の授業ってどんな感じ?

哲学科の学生っていっても単なる学生で、他の学科と差がでるとしたらその授業内容くらいです。

ではその授業内容ってどんな感じかと言うとこんな感じです。
・講義を聞く
・本や資料を読んで、その内容について発表したり、ディスカッションしたり、レポート書いたり、とアウトプットする

やってることはあんま他の学生と変わんない感じですよね。びっくりしました?

読んでる本がプラトンとかカントとかニーチェとかマイケルサンデルとかってだけで、そんな他の学生と変わんないと思います。

しかもディスカッションといっても、本の内容に即して話すだけなので、そんな喧々諤々な感じにはなりません。なるとしても他の本にはこう書いてあった、くらいの話です。

自分が思ってる真理とかをみんな出し合って深めてくみたいな感じじゃないんです。

この点を指して、大学で扱う哲学は哲学史しか扱っていなくて、プラトンたちが行ったような前提の捉え直しといった哲学的なことはできていないと言われることがあります。私も学生時代はそう思ってました。

どんな本を読むの?

授業の内容は普通でも、哲学って面白そうだから、哲学書は面白くて、だから、哲学科の人ってユニークな考え持つんでしょっていう人がいるかもしれません。

ただ、入門本じゃない哲学の古典を手にとって読んでみたらわかるんですが、全然そういう面白い感じじゃないんですよね。

ひたすら理論が書かれているだけで、考えの幅が広がるような感じというより、ずっと持論が書かれているんです。
なんだったら哲学書の流儀を守ってるだけのある哲学者の妄想を数百ページに渡って書いている本といっても過言ではありません。

授業ではその理論を読み解くことばっかりやります。

なので、哲学科って、授業だけ見てもあんま楽しくなさそうに感じると思います。

入門的な哲学史の授業はつまらないし、本格的な文献読解もどれもつまらないと思います。

哲学科で学んだこと

ここまで話したとおり、哲学科ってただ本を読むところです。
こう言うと本で学んだこと、しかも哲学者の偏った持論だけを学ぶところに思えると思います。

特に哲学科の人間はそんなにぎゃーぎゃー話す人間じゃないので、本を読んだ結果をみんなで深めてくって感じじゃなく、1人で抱える人が多い印象です。

しかし、私はそんな哲学科生活でも得られることがあると思っています。

それは、どんなテーマでも臆せず1から考えられる能力です。

それを醸成するのは次の要素です。
・1つのことを自分なりに考えきった経験がある
・他の人が考えないテーマについて考えた経験がある
・巨大な思想を目の当たりにした上で、自分で考えた経験がある
・自分の意見を相対化した経験がある

1つのことを自分なりに考えきった経験がある

1人で偏った考えを本を読んで受け入れる作業なんですが、1冊本を読んだだけでも、そのテーマについて、考える型ができます。
そのテーマ自体が意識についてや考えることについてなど、骨太なものなものが多いです。何かを考えるときのベースになったり、人と違うことを考えた成功体験になります。

他の人が考えないテーマについて考えた経験がある

哲学で扱うようなテーマは大抵よほど親しい人にしか語れないものばかりです。そんなテーマがあったら茶化さないとやってられないものばかりです。この世の真理・倫理など飲み会で話したらひんしゅく買っちゃうやつです。でもそういうことを私たちはずっと考えてきたんです。というか考えてきちゃったんです。

よくビジネスの現場でも「正しさ」の話になった途端に「こういう哲学的なことは置いといて」と退けられます。本筋とずれることを避けるという意味では賛成なんですが、哲学科は別にそこを考えられる忍耐と経験があるんですよね。で、実際考えてみると哲学的のフレームワーク(そんなものがあるか疑問ですが)なんて使わずにビジネステーマに戻って正しさを語って答えが出せるなんてザラです。

「真=法則」「善=すべきこと、倫理的正しさ」「美=私たちがきれい、良いと感じるもの」みたいなことに対して、恥ずかしさ、ためらいなく考えることができます。別に他のテーマであっても同じような態度で接することができます。

巨大な思想を目の当たりにした上で、自分で考えた経験がある

哲学科に入っちゃうような人は、自分になにか一家言あるテーマや、悩みでもなんでも本気で考えてしまうテーマがある人が多いと考えてます。

そんなあるテーマに少し自信あり、そのことに自身やアイデンティティを感じる人が、時代を代表する哲学者とかを目の前にするんです。心ポキポキ折れちゃうんですよね。

しかもさっき、本の内容を受け入れる的なことを書いたんですが、自分が自信あるテーマについて、他の哲学者の思想(妄想?)なんて見ちゃった日には、受け入れがたさと戦うんですよ。でも相手の思想の大きさに感じ入って負けを認めちゃうときがくるんですよね。

といったように、ある哲学者の思考の機微を追体験することによって、あるテーマについて結構深いところまで考えるという経験ができます。

先ほどの繰り返しになりますが、あるテーマを考えるときに、ある程度の深さを持って考える型が身につくので、外から見ると考える忍耐力があると思ってもらえるんですよね。

自分の意見を相対化した経験がある

これは巨大な思想とかぶるところがあるんですが、あるテーマに正しさは1つじゃないと身をもって考える経験の話です。

巨大な思想と自分の考えをぶつけ合わせたり、ある哲学者と他の哲学者で言ってることが違ってるときに差分を考えたりと、1つのテーマにしても、出せる意見は複数あり、それぞれが力強い意味を持っていることをきれいごとじゃなく、言えることができます。

なので、ある程度は自分の考えに固執しちゃうんですが、固執しているときにも、複数の考えの中でこの考えに固執している自分というふうに相対化することができます。なので、道は選ぼうと思えば複数あるから、そんな神経質にならなくてもいいと安心できます。

これが私が哲学科にいて得られたことです。結局やってることの形式はは他の学生と同じでも変わった人になっちゃうのは自分でも納得な感じですね。

まとめ

これを書いてる時点で哲学科を卒業して4年が経った状態で哲学科について書いてみました。

これも自分だけの考えなので、妄想に近い思想である可能性は多分にあると思うので、ご容赦ください。

というか、「哲学科の人間は」と偉そうに書きましたが、自分と切り離せないようなテーマや学問に真摯に取り組んだ人は同じものを得られると思うので、あまり哲学科だからというわけではありません。

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