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衣装との出逢い

「お衣装」

と、呼びたくなる、美しい衣装がある。

自分は、はっとするような、繊細なディテイルが好きだ。

例えば、裾の、切りっぱなしにみえてそうではない、厚みがないのに美しく整ったところとか、

アーティストが、くるりと身をかわした瞬間の広がりが、予想より10cm上のあたりで膨らんだ時だとか、

そんなディテイルが本当に好き。

自分はピアスをしてないので、イアリングの金具がいちばん気になる。

バネとネジが一体になったイアリング金具はあまりにも現実的で、げんなりする。

あまり調整がきかないようで、あたりがやさしくシンプルな金具が好き。

特に、後ろからみたときに美しい金具が好き。

そんなタイプである。

浜井さんの衣装を見た時の衝撃

香川に移住してきたアーティストの界さんと瑞希さんがある日、嬉しそうに

「普通だと頼めないような方に衣装を作ってもらえることになって」

と、ワクワクと報告してくれた。

そして届いた衣装に、目を奪われてしまった。


その繊細さ、目に入る端から端まで(シンプルなのに)粗がない、

「構造上、仕方なくて」少し気になる厚みなど、一切ない。

なんて美しいんだろう。

お洒落がなにより好きだった。

10年間の会社勤めでは、生まれて初めて、自分の稼いだお金で、美しいと思うものを買えるようになって嬉しくて、

それが洋服だった。

母からは何度も「洋服じゃなくて、お金を使うならせめてバッグとか貴金属とか、長年持てるものにしたほうが良いんじゃない?」と助言されたが、

軽やかだったり、他の服にはない工夫だったり、薄さ、金具の絶妙さ、フォルムの美しさなどの惹かれて惹かれて、どうしても洋服が好きでたまらなかった。

洋服のためにジムに通い、どんな服でも着られる体になりたいと思っていた。たぶん、あの10年、洋服に狂っていなかったら、その後独立してからの人生はずいぶん楽だったかもしれないのに。

サーカスに出逢い、人生は変わり。

そんなある日、仕事で現代サーカスに出逢って、すべては音をたてて崩れ去った。

初めて、真新しく、染みひとつない服が「恥ずかしい」と思ってしまった。

サーカスの人たちは、ヨレヨレの服を来て、なんでもないけど動きやすそうで、個性があって。

何より、身体と心が錦で、輝いていて、洋服に「着られている」自分が恥ずかしくなった。

彼らは優しく親切だったけど、私は「違う世界のひと」と言われた。それが悲しくて悲しくて、自分の身体いっぽんで生きられるようになりたい、と真に思った。

それから3年後、会社を辞め、フランスに渡り、肩書きのない人間になった。

1つずつ、1つずつ、物を置き、服を棄て、シンプルになっていった。

サーカスのひとみたいに、なりたい。


2011年、瀬戸内に移住し、「瀬戸内サーカスファクトリー」を立ち上げる。それから、10年間、鏡のなかの自分を見なかった。

たしかに大きな転換点があり、精神が打ちのめされ、あまりにも大きなショックにより、実際のところ、「自我」みたいなものが消えなければならなかったのでしょう。

たしかに、2011年から10年近く、自分というものを感じたことがなくて、鏡に自分の姿がうつっても、それはテレビの中の映像みたいなもので、実感として「現実の自分」と繋がらなかった。

自我はなく、ただ強い「意志」だけの存在になったのです。

どう考えても自分は透明人間みたいで、不思議にも思わなかったけれど、ずっと「自分」という意識はなかったのです。ただ、ここに現代サーカスが生まれ、世の中と繋がりながら育っていくことだけが、全てだったのです。ゆえに、もちろん、洋服どころか、自分がどう見えているかすら、鏡をみても「わからなかった」。


衣装が美しいと感じて。

それでもある時、美しい舞台衣装をみて、心を揺すぶられました。

はっと目が覚めたように、舞台衣装に惹かれ始めます。それはもちろん、自分のためではなく、舞台のために。
舞台衣装の予算なんて、まったくわかりません。美しいものづくりをする衣装デザイナーの方に、ドキドキしながら、いくらいくらでお願いできますか?と勇気を出して聞いたとき、それでは合いません、と一瞬で断られて、悲しくて吐きそうになりました。

なんやろ。

悲しむことでもなくて、その人の才能とこれまでの努力と手間と時間と、いろいろ掛け合わせれば、当然のことで、

なのに意味なく自分への評価みたいに感じられ情けなくなり、

これまでに注いできたエネルギーも努力も、才能はあるかわからないけれど、何もかもがなかなか評価されないなかで、自分自身が否定されたような気持ちになってしまい、

しばらく、「衣装」が自分のなかで封印されてしまいました。

衣装はやっぱり、希望なんだ。

何年も経ち、少しずつ状況は変わり…

ある日、冒頭の美しい衣装に出逢いました。

派手な主張はなく、ただすとんと、美しいと思いました。

それは手仕事で、丁寧で、演者が輝いていました。

それだけ。


いま、なんとなくだけど、色んなことがようやくスタートライン上に揃い、

卑下することもなく、ただ微笑むだけで、

淡々と情熱的に、衣装を語ればいい、自分はそれを可能にする準備をするだけ。


ようやくそう思えたから、

美しい舞台衣装が、私たちの世界の要素になる。

普通に、私たちの仲間に、衣装がなる。


瀬戸内サーカスファクトリーは現代サーカスという文化を育て日本から発信するため、アーティストをサポートし、スタッフを育てています。まだまだ若いジャンルなので、多くの方に知っていただくことが必要です。もし自分のnote記事を気に入っていただけたら、ぜひサポートをお願い申し上げます!