見出し画像

久しぶりに、ものを書きたい、と思う。

釧路にいたとき、人生最高に、ものを書きたかった。
道を歩いていても、車を運転していても、
湿原にいても、道ばたの錆びたアパートの手すりを見ていても、

書きたくてしかたなくて、
昼間の月をみていても、
からからした、厚みのないその感触を、どう表現したらよいか、考えるだけで、居てもたってもいられないくらい、
書きたかった。

なぜ、書きたくなるんだろう?
苦しい時に書きたくなるのかな。

満ち足りたときには、力がぬけていくみたいで、何も書けない。

超えていく、何か。

いまは、モノを書きたい、つくりたいと思う。
それって、多分、何かが欠けていて、しんどい時なのかもしれないけど、
一方では、書きたいと思えることに、安心する。

このあいだ、インバルの言っていたことに、ものすごく救われた気持ちになった。
「私たちはサーカスをやっているんだから、限界を超えようとしなきゃいけないでしょ?…だって、それがサーカスなんだから。」

限界を超えようとすることがサーカス。
日本にいて、たくさんの現実を知ると、それは「無責任」と取られそうで、どんどんとサーカスから遠ざかっていくような気がしてた。
あんなにも惹かれたのは、限界を超える、固定概念をぶち破る、すべてから解放してくれた、「あのサーカス」だったのに、
いつのまにか、がんじがらめになっていた。

自分が日本でできることは何なのかな?
いつか、限界を超える(無茶をしたいというのではなく、限界と思い込んでいることを超えたい)夢を、諦めなきゃいけないのかな?
そのとき、まだ私は日本にいたいと思えるのかな?

こうだ、と信じ込んでいる、限界を超えたい。

人生は短いから、
けどもう少し頑張れる時間はありそうな気もするから。

ここまで、と思う、このように、と思う、
ただ、自分で決めてしまった限界を取り除いてみたい。
それはきっと、いろんな人を救うと信じているので。
それがずっと変わらず、サーカスをやっている原動力だから。

そんなこんな含めて、いま、ものを書きたいと思う。

瀬戸内サーカスファクトリーは現代サーカスという文化を育て日本から発信するため、アーティストをサポートし、スタッフを育てています。まだまだ若いジャンルなので、多くの方に知っていただくことが必要です。もし自分のnote記事を気に入っていただけたら、ぜひサポートをお願い申し上げます!