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起こったことは変えられない、それでも町は再生する -岡山県真備町-

2018年の西日本豪雨で大きく被災した真備町。当時、香川・岡山で活動するYouTuberの瀬戸内サニーは、西日本豪雨で被害を受けた地域の早期復興応援を目的として西日本豪雨 被災地応援動画「カーモンベイビー オカヤマ!!」を制作しました。今回再び真備町を訪れたサニーが、被災地のこの3年の歩みや、現地のことをお伝えします。

まずは、3年前に訪れた場所を再訪したいと、「岡田小学校」へ。

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▲3年ぶりの岡田小学校。左奥の体育館が避難所でした

サニ:この場所は、災害当初約2,000人が避難していました。体育館の玄関から外にかけて、溢れるほど沢山の靴があって....。被災直後、「とにかく何かしなくては」という思いで撮影に来たものの、体育館の中でひしめき合いながら生活する方たちを見て、カメラを向けていいのだろうかと、ものすごく葛藤がありました。

でも、この現状を知ってもらうことも必要なんじゃないか。そう考えて、悩みながらも伝えることにしたんです。振り返ってみれば、若い世代を中心に、被災地のことを知ってもらえるきっかけを作れたんじゃないかと感じています。

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サニ:さて、今日は災害直後から真備町へ移住し、現地で支援を続けてきた岡山NPOセンターの詩叶(しかなえ)さんと待ち合わせしているんです。

詩叶:はじめまして!今日は、今の真備の姿をお見せできればと思います。サニーさんは3年ぶりとのことですが、率直にどうですか?

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▲真備に移住し、さまざまな支援を続けている詩叶さん

サニ:まず、田んぼや草木の姿に感動しました。3年前に訪れたときには、こんな鮮やかな色がなかったので……。

詩叶:西日本豪雨直後に私が真備に入ったときも、すべてが茶色に覆われていました。生き物のエネルギーみたいなものが、根こそぎ奪われてしまったんだなと……。でも、翌月にはその茶色の世界に、緑の草が生えてきたんです。そのとき、「あぁ、生命って、再生できるんだ」ってすごく感動したのを覚えています。

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サニ:僕は3年ぶりになってしまったので、この変化にすごく驚きました。

詩叶:草が生え、川がきれいになり、メダカが川に戻ってきてと、だんだんと町が再生していきました。虫がいることすら喜びだったんです。だって、虫もいなくなっていたんですよ。そうやって、この地が生命の力を取り戻していく姿を見てこれたのは、良かったなぁと思います。

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▲すれ違う誰もが「おはようございます!」と声をかけてくれました

サニ:町がきれいになり、学生たちの姿や日常生活の営みがあって、ずいぶんと復興が進んできたんだと感じています。

詩叶:日常生活で困るようなことはほとんどなくなりましたが、現在も仮の住居で暮らしている方もいますし、復旧工事や安全性を高めるための工事がまだまだあちこちで進行中です。

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サニ:実際に来てみないと、現地のことはわからないですね。災害直後、詩叶さんはどんな支援をしていたんですか?

詩叶:最初の数週間は、ボランティアセンターで住民やボランティアが安全に活動できるための仕組み作りをしていました。その後は全国から届く支援の申し出を現地とコーディネートや、多様な組織や団体が補い合いながら支援ができるよう、情報共有会議を開催したり。災害年の秋頃からは仮設住宅で暮らすために真備を離れた人に向けて、真備に帰れる機会になるようなイベントの支援などもしていましたね。

サニ:そのときどきで必要な支援って、段階的に変化していくんですね。

詩叶:そうなんです。真備ではさまざまな支援活動をされている方がいます。せっかくなので、要配慮者を対象に「マイ・タイムライン」の作成を進めている多田さんをご紹介しますね。

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▲お互いさまセンターまびにて、多田さんと合流

多田:はじめまして、「お互いさま・まびラボ」副代表理事の多田です。

サニ:今日はよろしくお願いします。早速ですが、多田さんが取り組まれている「マイ・タイムライン」ってなんですか?

多田:マイ・タイムラインとは、安心して避難できる場所の確保や避難の段取りを、一人ひとりに合わせて決めた防災行動計画のことです。西日本豪雨では、逃げることができたはずの人を失ってしまいました。それは、寝たきりの方など、災害の危険から身を守ることに何らかの困難を抱えていて、周囲の支援が必要な「要配慮者」の方たちです。

真備では、浸水によって亡くなった51人のうち36人が1階で亡くなった高齢者で、寝たきりなどの要配慮者のため、避難が困難だったと考えられています。なかには「寝たきりの私が避難所に行ったら、人に迷惑をかける。わしはもう逃げん」という方もいらっしゃいます。彼らが気兼ねなく過ごせるような個室空間を把握し、「あの場所なら安心しておしめを変えられるよ、だから一緒に逃げようよ」と事前に会話ができていれば、助けられる命があるんです。

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サニ:進めていく中で、どんなところが難しいですか?

多田:まずは本人がやる、と言ってくれないと何も始められませんし、ご家族や近所の方の協力が不可欠です。地域の関係性をよく知る方たちの知恵をお借りしながら、合意形成を進めていくためにあれこれ知恵を絞ります。

福祉の人だけで支えようとしても、マンパワーが足りません。声をかける人、車を出す人など、ご家族、地域の方含めみんなで分担を決めるんです。1人で全て抱えたら負担が大きいですし、もし救えなかったとき、辛い思いをすることになってしまいます。

そうやって何例かのマイ・タイムラインが完成すると、それを見た人から「うちの町内会でもあの人を助けるためにはマイ・タイムラインが必要だ」という認識が広がり、民生委員会やまちづくり推進協議会など、広く必要性が語られるようになってきました。

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▲マイ・タイムラインや災害についての情報発信は、漫画や動画などさまざま

サニ:現在の進捗状況は、いかがですか?

多田:まだまだこれからだと思います。新型コロナの影響で、個人の状況に合わせた病院などの避難場所の設定も白紙になってしまいました。これをどう解決していくのか、一生懸命考えているところです。

サニ:周囲の協力が不可欠な分、マイ・タイムラインの作成は時間がかかると思います。その手前で、すぐにでも考えられる大切なことってなんでしょうか?

多田:ちょっと心配な状況になったら「うちに来ときよ」とか、「公民館に一旦集まろう」って声をかけ合いながら一次避難ができるだけでも、ずいぶん違うと思います。

サニ:なるほど。多田さんたちが要配慮者の方のマイ・タイムラインについて伝え続けてきたことが、今後の備えになりそうですね。この3年での復興の進み具合を、お2人はどのように感じていますか?

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詩叶:一人ひとりの被災状況や心理的な状態が違うので、個人差が大きいと思います。

多田:そうですね。自宅を再建して戻ってこられた方は増えましたが、再建に至らなかったり、被災した家に継続して住んでいる方もいらっしゃるし、心理的に前に進めないケースもあります。私は要配慮の方たちの目線で考えてしまうので、復興はまだまだだと思っています。

とはいえ、3年経った今、この町がもう一度起き上がっていく段階に入っていると感じています。ここで絶対に忘れちゃいけないのは、最初にお話しした救えたはずの命のこと。もう一度この失敗を思い出して、しっかり泣いて、もうそうならない町をみんなで一緒に作りましょうっていう呼びかけは、絶対に続けていきたいです。

詩叶:災害が起こったということは、変えることができません。ある一定、受け入れるしかないんです。真備では、一夜にして大切な命も、町の機能も、なにもかも奪われてしまいました。その混乱の中で、現状を越えていこうと力を持っていく姿をたくさん見てきました。その姿はパワフルで、痛みを知っているからこそ、やさしいんです。そのやさしさに触れながら、引き続き真備が再生していくお手伝いができればと思っています。

西日本豪雨から3年を経た真備では、復興が進むなか、今もさまざまな活動や支援が続いています。そのことを折に触れ思い出したり、遠くからでも、忘れないでいたい。瀬戸通サニーでも引き続き、真備町の今をお伝えします。

▲多くの人がまた岡山に訪れたり、復興地を改めて応援するきっかけになればという思いで動画を作りました。今の岡山のパワーをお届けします!
▲岡山の劇団OiBokkeShiによる要配慮者マイ・タイムラインの作成過程を題材としたミニドラマです。どんな風にマイ・タイムラインを作っていくのかイメージしやすい動画になっていますので、是非ご覧ください!


今回の西日本豪雨3年復興応援プロジェクト「3年前はありがとう」は、岡山愛溢れる企業パートナーさんと一緒に復興地を応援しています👇

【FIX】瀬戸内サニー_西日本豪雨_復興プロジェクトスポンサー企業様一覧

Written by 小林繭子
Photo by Kondo Takumi







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