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ぼくの妻には右肩がない。


妻と結婚して2年が経ちました。

「がんサバイバーである妻について書く」ということに、ようやく向き合っています。noteを始めた頃から、ずっと書こうと思っていたことでした。

しかし、書き始めてすぐ壁にぶつかりました。

ぼくはこれまで抱いていたありったけの思いを下書きに詰め込んで、妻に見せました。ところが、その文章を読んだ妻の口から出たのは「違うよ」という一言。ちょっと戸惑いました。

「私ね。自分ががんになったことも、右肩に障害があることも、誇りを持って生きてるよ。」


そう言われ、あらためて下書きを読み返すと、そこに並んでいたのは妻を悲劇のヒロインのように語る言葉。ハッと我にかえりました。そして、猛烈に自分を恥ずかしく感じました。


2000文字以上あった下書きを、すべて消しました。

それからなかなか書けずにいました。しかし妻からの「でも、書いて欲しいな」という言葉に背中を押され、「よし」とようやく再びキーボードをタイピングすることができました。



ぼくの妻には右肩がない。

妻は13歳のとき、骨肉腫というがんになりました。骨肉腫は、10代から20代の若年者に多く発生するがんです。


生きるため、妻は自分の身体の一部を切除しました。

腫瘍があったのは、右上腕骨。肩・上腕骨のほぼ全てを摘出し、自分の鎖骨を移植して肩と上腕骨の代わりにしています。

そのため、右腕を挙げることができません。日常生活にいくつかの制約があり、身体障害者手帳を持っています。



妻とぼくは同い年です。

はじめて出会ったのは、お互いが24歳の頃。ぼくは妻ががんだったことは知りませんでした。ただ、初対面で「右肩がやけに小さいけど、何かあったのかな」と感じました。

さすがに人の外見について言うのは失礼だと思い、知り合ってからもなかなか聞けずにいました。しかしある日、ぼくはやっぱりどうしても気になって、妻に右肩のことを聞きました。


「あのさ…」




妻はがんの経験を、丁寧に話してくれました。

抗がん剤治療のこと、院内学級のこと、手術で右肩を切除し、障害があること。その話を聞いて、ぼくは言葉を失ってしまいました。

言葉を失ったのは、ぼくは中学校で仲の良かった友達を同じ病気で亡くしていたから。だから、この病気の存在も、最悪の場合それが人を死に至らしめることも知っていたのです。

妻の話を聞きながら、生きたくても生きられなかった友達の姿が目に浮かびました。がんを生き抜いた人が、今こうして目の前にいる。その奇跡に、あの時どうしても感情をあらわす言葉が見つかりませんでした。



付き合ってまもなく、初めて妻の右肩を直接見る機会がやってきました。正直にいうと、妻の右肩を見てぼくはびっくりしてしまいました。

腕から肩にかけて刻まれた、おびただしい数の縫い跡。大手術だったことを、その傷が物語っていました。ぼくは妻にかける言葉を見つけられず、ちょっと間が空いてしまったのを今でも覚えています。


(妻はこれまで、自分の見た目のことで辛い思いをしてきたのではないか?)


付き合って間もない頃のぼくは、そんなことをひとりでもんもんと考え込んでいました。


しかし、同棲するようになって見慣れてしまうと、妻の右肩のことを意識することは次第になくなっていき、話題に上がることも減りました。

そして妻の本当の気持ちについてきちんと確認しないまま結婚し、月日だけが過ぎていきました。



2024年6月。

妻は「右肩の写真を撮ってもらおうと思う」と言って、カメラマンをしている10年来の友達に撮影の依頼をしました。


撮影の日が来るまで、スタジオを予約したり、衣装をそろえたり、準備の段階から楽しみな様子の妻。なんだか「いい顔してるな」と思いました。


数日後、出来上がった写真が送られてきました。妻といっしょにパソコンのディスプレイをのぞき込んで、一枚一枚、じっくり見ました。



「いい写真だね。」

「友達はさ、右肩、はじめて見たの?」



「うん。」

「綺麗だねって言ってくれたよ。」



「そっか、よかったね!」



はじめて妻の右肩を見た時のことを、ぼくはふと思い出しました。


そうか。


あのとき「綺麗だね」と言えていたら。



妻が変わろうとがんばっている。

自分の身体に向き合いはじめている。


消した下書きの中に書いていた言葉です。間違いでした。


このnoteを書くにあたって、妻とひさびさに右肩のことについて話しました。そして妻は、自分の素直な思いを口にしてくれました。



「がんになったことも、この身体のことも、悲観的に思ってないよ。」

「人と違うって素敵なことだと思う。がんの経験は、他の人にはない私だけの経験。だから誇らしいんだよね。」

「写真を撮ってもらって、綺麗だねって言ってもらえたとき、すごくうれしかった。」




妻が変わろうとがんばっている。
妻は変わろうとなんかしていなかった。

自分の身体に向き合いはじめている。
自分の身体にずっと誇りを持って生きてきた。




自分の写真を撮ってもらうことも、「人と違う」ということに胸を張って生きてきた、妻のまっすぐな気持ちのあらわれだったのです。



このnoteを書くことでようやく出会えた、妻の本当の気持ち。妻の言葉だけでなく、生き方そのものがぼくを変えてくれました。


こんなに正直な気持ちで文章が書けたことって、今まであっただろうか。このnoteが書けて、ほんとうに良かった。




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