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日々ちいさな挑戦を繰り返す人の、あと一歩を後押しできたら。


最近、ずっと胸に刻んでいる言葉があります。


「迷ったら恥ずかしいほうを選べ」


ブックデザイナー・井上新八さんの『続ける思考』という本の中で紹介されている言葉なんですが、今まさにぼくの行動指針になっています。


つい最近までは、SNSで顔を出すなんて恥ずかしい、自分は絶対しないと本気で思っていました。

自分の家族のことを書くなんて。
自分のしくじりエピソードを書くなんて。
友達に自分のnoteを見せるなんて。
インタビューさせてくださいと依頼するなんて。

恥ずかしい。恥ずかしい。


でも、4月からの3ヶ月で、ぜんぶやってみた。


バズったとか、フォロワーが爆増した、とかそういうわかりやすい報酬は得られてないです。でも、そんなことはどうでもよくて「めっちゃ不安だったけど、案外大丈夫だった!」ということが分かったことが、なによりも大きな報酬なのです。


「恥ずかしいと思っていたけど、やってみたら、案外大丈夫だった。」


簡単そうに言っておりますが、はじめの一歩を踏み出す時は怖かったし、手に汗をにぎりました。

家族のことを書いた時は、そもそも全然書けなかったし、書けたと思ってもリアクションが怖くてなかなか「投稿する」が押せませんでした。

どんなささいなものであれ「書いたものを世に出す」ということは、心拍数が上がるような経験の連続なのです。



パーソナル編集者として「書けない」という悩みを日々聞いています。

書こうと思ってるけど書けない。書いたけど投稿できない。

そんなときに押し寄せてくるあの胸のズキズキ。それを知っているからこそ、押せる背中があると思っています。



「恥をかきなさい!」
と言っているわけではありません。


「ちょっと恥ずかしいかも」「こんなものを世に出して大丈夫かな」そんな気持ちに、ぼくは寄り添いたいのです。


だから「恥ずかしいかもしれないけど、案外大丈夫だよ」と伝えるかもしれませんし、「いや、それは書かなくてもいいんじゃないかな」と伝えるかもしれません。


書けるようになるまで、じっと待つこと、悩みに耳を傾けること。締め切りを煽る上司のような存在ではなく、書く人の横にいて一緒に悩んだり、喜んだりできる存在でありたいと思っています。



「迷ったら恥ずかしい方を選ぶ」をやってみて、それ自体が「ちいさな挑戦の連続」だと感じました。

そして、

「そうか、書く人は日々ちいさな挑戦をしているんだ」

そんなふうに気づいたのです。



書く人ってすごいんです。

noteの記事一つ書くだけで、立派なチャレンジ。しかもそれを何日も、何年も続けている。書くために、日々何時間もディスプレイに向き合っている。日常の中にちいさな挑戦を取り入れている。だから、すごいんです。書く人はみんな、挑戦者なんです。

でも、たまに不安が押し寄せてくる日もあるから。


そんなちいさな挑戦を繰り返す書く人の「あと一歩」を後押しできたら。


そんなふうに思うわけです。


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