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夢 = ◯◯

空梅雨になりそうな空模様です
振り切らない雨だなぁと思いながら
まだ一度も使ってない新品の折り畳み傘を
カバンに忍ばせといます


子供の頃からよく空をぼけ〜っと眺めていて
よく母親から叱られていました
「なにボケっとしてるの」

それでも一度癖になるとやめれなくて
自宅のベランダからチラシの裏に空の絵を
書いていました

ガラケー与えて貰ってからは
カメラでパシャパシャとよく撮っていました

塾にいく途中も
遊びにいく途中も
遊んでる途中も

目についた瞬間撮らずにはいられない時期があって
友達から、変な子、ふしぎちゃんってよく
言われていました


気づけば1000枚くらいになって
その中でお気に入りを4枚ほど
周りに自慢気に見せていました


塾の友人はとても褒めてくれて

「本物のカメラマンが撮ったみたい!」
「将来、カメラマンになりなよ」

という言葉が嬉しかったのを覚えてます

それを聞いていた塾の先生が会話に
割って入ってきて

「そんなものになるな、勉強して良い大学いって良い会社に行く方が良い、そんな不確かな、稼げるかもわからない職業なんか、そのくらいの写真誰でも撮れる」

と、写真も見らずに

その時、
私は悪いことをした
恥ずかしいことをしたのか

と思ってしまい趣味に留めようと思った


「口に出しては行けない夢があるんだな」


なんて子供ながらに思いました
プロ野球選手を目指して野球部
サッカー選手を目指してサッカー部

それが許されるのに
部活がないカメラは何故ダメなのだろうか

そうか、口に出してはいけない
黙って、思わず、心で
大丈夫、いつかこの気持ちも忘れる


そう思った14歳の夏と秋の間の季節
いまだに覚えていて
自転車で降った夕暮れの道が
少し肌寒くて、収まらない気持ちが
少しだけ泣きながら帰ったのを未だに覚えています


月日は流れて
長年続けていたスポーツをやめて
いろんなひとから

「何をするの?」

と耳にタコができるほど聞かれた


「もったいない」
「今まであんなにしてきたのに」
「そのまま将来の仕事につなげなよ」


飽きるほど聞いた
そして、思った

私の将来責任も持てないのに自分勝手に
大人も子供も言うんだな


「◯◯でいいやん」
「この程度でいいやん」
「普通がいいやん、苦労もせんで楽やん」
「女なんだから、そんな頑張っていろいろ身につけてどうするの」


この言葉が今も鉛のように心臓の奥底に
ふてぶてしく落ちてくる感覚だった

同時にその鉛から毒が溢れて
思考を飲み込む勢いで侵されていくのを感じ

それは憤りと不安
諦めと怠惰につながっていった


それに気づいてからこの言葉が
大嫌いな呪文になった

絶対、人には言いたくない
人から言われたくない

自分のことを思って言っておらず
適当な言葉を並べて諦めさせる言葉

嫌い、キライ、大嫌い

大嫌いな呪文


私は当時、子供ながら漠然と

「そうだね、けどもういいや。次ねぇ…カメラでもしようかな」


と自信なさ気につぶやいた


「……え?笑 あれでしょ、陰キャラがさ部室で気持ち悪く」


そこから先の言葉は覚えていない

親には問答無用で否定されて
また胸の奥底にこっそり鍵までかけてしまい込んだ


あれから何年だろう
その気持ちすら忘れてた頃

「カメラしないの?」


もう誰からの言葉が覚えてない
けど色んな人から聞かれたのは覚えている


「どうして?」


「写真撮るの上手いから、スマホだけど。一眼レフとかしないのかなって」


「あー、大学生ってカメラ撮りがちだよね笑」


なんて自分で今度は貶していた


けど
無意識に
写真は
ずっと
撮り続けていたんだ

それからスマホでずっと撮り続けた
枚数すごくて容量がすぐになくなった


撮ってる間は楽しくて夢中で
忘れちゃってた

そして、1年前
長い年月を経て


私はカメラを自分で手にした


はじめて届いた日
雪が降ってとても寒い日だったけど
子供のように興奮してすぐに
家を飛び出して東京駅で写真を撮ったのを覚えている


とにかく楽しくて
スマホと全く違うくて

それから1年
人にも恵まれて趣味程度にカメラを楽しんでいる


そっか、子供の時の夢一つ
叶えちゃったのね、私

当時はこんな叶え方、想像もつかなかった
勝手に

夢 = 職業


って思ってた

それで生活をしないといけない
お金を稼がないといけない


稼いだ金額 = 夢の大きさ


そう思ってたけど違った

夢 = やりたいこと、やったこた

それに金額なんて本来つけれなくて
人から求められるときはじめて金額がついて

私自身がやりたいこと、やったことに
元から金額を求めてするものではない


やりたいからやるんだ


どう大小をつけるかとなんてわからないけど
夢は幾つあっても良いし
小さいのをたくさん抱えても良い気がする


周りの声や自分の声すら聞かず無視しても
無意識の気持ち(本音)は自分の意思では
どうしようもないくらい現実に干渉してくる


それが今回、吉に出て私のハリのない日常の
彩りの一つになっちゃった

私の場合
夢 = カメラ
が心の中に一つ、存在した
きっと他にもたくさん底に沈めているのだろう

今度は何を撮ろうかな

ところで
これを読んでる、あなたは
心の底にある「夢 = ◯◯」は一体、何で
いくつ沈んでる?

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