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作品制作のプロセスを感じられず、成果物そのものだけが自分の好奇心を満たすと気付いた先の思考

私は自分の活動の限りにおいて ほとんどの場合、
成果物そのものだけが自分の好奇心を満たせる要素であり(だからできたものを愛すし何度も繰り返し閲覧する)、そのプロセスにはほとんどの場合興味がなく、制作作業は特に好きなわけでもなく
(なおMMD関連の作業だけは唯一このプロセスが「楽しい」ため、今までやってきたあらゆる作業のなかでいちばんハマったし、フォントは「一文字ずつが作品」なので、それを積み上げてひとつの作品に組み上げていく作業が楽しくてハマった)、
ただ作業の先にある成果物を観たいがために、好きとか楽しいとかそういうプロセス上にある感情をほとんど無視して「好奇心を満たすために必要だから」やっている気がする。

だからおそらく作っている最中の記憶や手順が曖昧で、毎回「どうやって作るんだっけ?」になるし、以前作ったものを観ても「これどうやって作ったの?」になるのでは……なかろうか……。

自分が捉えて出力した結果に興味があるのであって、絵を描くのは特に好きというわけではない、これがいちばんわかりやすいかも。

なんか言語化すると思った以上にドライで自分でもショック受けてるレベルだ でも確かに好きなんだよ、好きだからやってるんだよ 「結果」が……。
それに至るまでは夢中すぎて興味を向ける暇がないのかもしれない とにかく先が見たい、出力を休む暇がない。

ちょっと話逸れるけど
3歳くらいのときに初めて父のCDコンポ(かなり立派で、色々な機能がついてるもの)を見た瞬間、脳の回路が繋がったように目の前のそれの使用用途や方法がすべて頭になだれ込んできて、小さい頃から電子機器の扱いを家族や身内から頼られっぱなしなんですよね、今でも。

自分ではできて当たり前だと思っているし、得意意識もない。電子機器に特に興味がつよいわけでも操作が好きなわけでもない。だから基本的に自分では「成果物を得るために必要な操作」しかしてなくて、頼まれることは大体その範囲外だけど、「こうじゃない?知らんけど。できた」で終わる。
前も後もなにもないので一切の強みにもならない。

学生のころ技術方面の専門を勧められたけど、まったく興味をそそられず、それどころか「趣味でひたすらPCと向き合うんだから、仕事くらいせめて画面から離れて目と体を休ませたい」とかいうなめくさったやつだった。

だから本当に、電子機器の扱いに関して、自分が成果物を出力する以外のことはほとんど何も勉強はしてないし、そんなに興味も持てないし、特に「成果物よりもプロセスを重要視される」分野においてはまったく魅力を感じられないと思われる。具体的なものはぱっと思いつかないけど

これ、致命的な弱点なのでは?と急にすべて繋がって気付いたのであった……。

プロセスって大事なんよやっぱ 現代においては特に……。
思考プロセスは説明をめちゃくちゃ大事にする(からこんな風に括弧が多かったり文がクソ長い)くせに、作業に関してはぜんぶすっ飛ばしていた。
結果だけが自分を満たすけれども、誰かを巻き込みたいならそこを飛ばしちゃぜったいにダメなんだ。
自己満足でやるだけならそれでもいいけど ひとに影響を与えたいのなら それではいけない。
私がちゃんとプロセスに興味が持てるひとだったなら、もしくはそれに早く気付けていたら、勉強してなにかひとつ技術でも持てたかもしれない 今はただの便利屋だけど。

圧倒的多趣味なのは「出力したい方法が多すぎる」からなのでは。そも私は出力した結果の成果物からしか思考ができないのでは。はっ……これか!?
だから出力が終わるまで何も言えないしそれしかできなくなる!?この文章も脳直でこれを読み返すことではじめて思考を得ることができる!?そういうこと!?
うわっ!!!!すごい大事なとこたどり着いた気がするけどいやだなこれ この一連の文章自体が私の文章史上おそらく最悪だ プロセスを外に出したかったので出してみましたが うわ……
でも好きなものが好きな気持ちになにひとつ偽りはないんですよね。大好きだし……。

まあ 同じ作品でもどの要素が好きなのかひとによってまったく違うみたいに、どこを取ってどこを向いて好きだと言っているのか……みたいなものだと思うけど。

じゃあもしかして私のクソデカエモの正体って「出力する方法がない」から……それそのもの……ってコト……!?
方法がないから思考を言語化できない、から形を持たないエモのままデカくなり続けるだけって……コト……!
ほげーーーっ なんだよそういうことかよ 出力できないこともないけど昔それで今でも後悔し続けてるくらいの死にそうな経験をしたのでしてないというだけ
あ゛〜〜〜〜

それで結局、この思考が始まったとき一体どこがゴールだったのか行きすぎて忘れました もうとっくに通り過ぎてるから。

とにかく自分の出力するものの過程を大事にしたほうがいいし、それにもっと興味を向けるべきだし、勉強すべきだし、そう……だって好きなものをどんな理由でどんな風にどんな技術でどんな想いで作られたか共有されてるほうがぜったい親しんでもらえる……いや……これは違う……これは思考プロセスだから比較的よくやってることだな……違う……私に足りないのは物理的なほう……手を……動かすほう……。
今日はここまでで終わろう……

一応追記しておくと、いろんな方や企業さんが公開してくださる制作プロセスを見るのは好きです。というか、それそのものが好きというよりは解釈の答え合わせ、技術や気持ちへの単純な好奇心として好き。あと、生み出してくださってありがとうございますの気持ちを改めて感じられるから。
だからゲームだと本編をクリアするまで事前情報は見ない。これも割と自分が作る側だとすると感覚が弱点すぎる なんとかしないと……。

趣味だけに関して言えば「出力する方法がいくつもあるけどいずれかの方法で出力している最中に、何か別の方法で出力してしまってそれを自分が見て思考して解釈を確定させてしまった場合、最初に出力していたものと解釈違いを起こす可能性が高いからそれを避けるため何も発言できなくなる」は確実に確実。

あとこれまでに話してきたことは個人制作のものに限定した話であって、共同制作のものや「自分のため」の他にも目的を含んでいるものは、これらの内容に当てはまりません。
共同制作におけるプロセスってあまりにも大事すぎるものだし。ちゃんと覚えてるし、過程も記録もこまかいものまですべて残してあるし。
それとこれとはあまりにも別物として考えていますが、念のため。



数ヶ月前にざっと思考出力したものを整えてみました。
実はこの数ヶ月後に「作品プロセスを感じられない理由」が判明してすっきりしたのですが、それはまた後日記事にまとめようと思います。

なにか感じていただけましたら、よろしければ。よろしくお願いいたします。