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#29 織部は風呂につかる


 織部というのは瀬戸焼や美濃焼を代表する釉薬・技法なのはご存知の通りです。
 銅を含む釉薬を酸化焼成して得られる緑色の落ち着いた色調です。とても人気がある釉ですが、意外と知られていないのが織部は窯から出て、すぐに完成とはいかないのです。

 通常の釉薬の陶器は窯から出れば完成というパターンです(もちろん、出してすぐは熱くて持てませんが)。普段皆さんが手にする器の状態と変わりありません。ところが織部は違います。窯から出てすぐの織部は表面が膜が張ったようで、ちょっと光沢もさえません。油膜のようにも見えたりします。これは酸化皮膜によるもので、その皮膜を取るための一手間が必要となります。

 この皮膜は酸につけることで除去できます。瀬戸では昔から栃の渋(しぶ)につけ込む「栃渋抜き」が行なわれています。栃の渋というのはクヌギの実(ドングリ)に付いている袴の部分を集めて水に漬け込んだものです(天然素材です)。 

以前、秋に拾ってきて十分にストックしてある。これを水に浸けます。

 ドングリの実は要りません。その漬け込まれた水は真っ黒な色をしています(たぶん初めての人は手を入れるのを躊躇するくらいの黒さです。ちょっと匂いも…)。この液の中に、夏ならば一晩くらいでしょうか、窯から出した織部の器を沈めておきます(ああ、せっかく焼き上がったきれいな器をそんな黒い水の中に……)。

うちで用意している栃渋の液。黒いでしょ。漬物用の桶を使用

 この作業は単に織部の酸化皮膜を取る以外の効用があります。釉に貫入(釉の表面の細かなひび)があれば(掛け分された灰釉の表面など)、そこに渋が入り独特な風合いが出てきます(液がそこまで黒いのはこのためでもあるんです)。織部以外の釉薬(黄瀬戸など)でも貫入に渋を入れたければ同じ行程を行ないます。そうそう、墨(墨汁)で貫入にそういう装飾を行う産地もありますね(墨入貫入)。 
 単に織部の酸化皮膜を除去だけなら塩酸などを薄めたもので処理できます(手は荒れるので要注意)。貫入に渋を入れたくない時は栃渋よりこうした酸を使う方がいいでしょう(その時は自分は最近、クエン酸を使っています。入手しやすくて安全ですし)。

渋の入った細かいヒビ模様(貫入)がきれい。

 渋がきれいに入った貫入はとても魅力的です。
 渋から出た後はしっかりと水洗いをして、天日などで乾燥します。不思議なことに濡れている時には貫入に渋は見えません。乾燥してくるとはっきり見えてきます。
 この過程を経てやっと織部は落ち着いた色調となります。渋の入った貫入はそれ自体も面白い雰囲気が味わえますし、汚れ防止の役目もあるようです。

 窯元から「月曜に窯出しだよ」と連絡が来たら、普通は火曜日には受け取れるかなと思いますが、織部の器については「窯から出て、シブつけて、シブから出て、日に干して乾燥して、検品して……」とか余分にかかる日数の計算が必要です(2~3日は多く時間がかかることになる)。
 気温の下がる冬場には、渋につけておく時間は夏場よりかなり長くしなければなりません(ヒーターを使って温度は上げて)。もちろん天気が悪ければ、水洗い後の乾燥にさらに時間がかかります。

 趣味で陶芸もされる方も最近は多いですが、渋抜きする時は塩酸やクエン酸でも栃渋でも酸を扱う作業ですので手荒れや取扱いには十分ご注意を。
 今でも昔ながらの織部を作る瀬戸の作家さんや窯元では黒い液の入った栃渋抜きのための樽や桶が作業場にあると思います。サイズの大きい古い風呂桶を使うことも多いようです。
 もし織部を焼く窯元を訪ねた時、工房の片隅に風呂桶を見つけたら中で織部の器が入浴中かもしれませんよ。「あ、これは織部の渋抜きですか?」とか聞くと「通」っぽいです

 手間のかかる作業ですが、真面目に伝統を守り続けている人たちがたくさんいらっしゃいます。

※ 釉薬は普通、各作家さん・窯元さんがそれぞれで調合しています。同じ釉薬でも色合いや風合は違います。今回紹介した織部の渋抜きに関しても、その方法や行程の有無は各々の考え方により様々な違いがあることにご注意ください。

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