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DINKs夫婦が急速に近づいた経緯

私達が仲良くなったきっかけは色々とありますが、結婚に直結した最大の行動は、一緒に缶チューハイを飲みながらひたすら散歩したことです。コロナ感染症が拡大し、居酒屋で飲むのも不安がある中、閑散とした場所で缶チューハイを飲みながら、散歩飲みをするのであれば安全だろうと思って始めたのがきっかけです。

カフェや居酒屋で向かい合って話すのもよいんですが、お互いが横に並んで自分のペースで歩きながら会話をするっていうのが楽で、自己開示しやすいんですよね。

よく、夕方の退勤後から終電間際までいろいろな場所を歩いて、飲んで、語って、妻を家に送って、一日が終わる。そんな日常を過ごしていました。

この散歩の中で、私達がよく使っていた用語があります。

1.給油

私達が散策中にコンビニやスーパーでお酒を買い足すことを「給油」と呼んでいました。車のガソリンをいれるように、お酒をエネルギーにして歩いていたようです。こんな表現をするのは私達だけだろうねって笑っていたのを思い出します。

青山通りや甲州街道を歩くことが多かったです。街道や鉄道路線に沿って歩くことで、道に迷うこともなく、お手洗いの心配もなく散歩できます。駅やスーパーに立ち寄りながら、無理のない範囲で歩きます。缶が開くタイミングで「今日はこのあたりで解散にしようか」となるわけですが、もうちょっと喋っていたいときは「もう1缶だけ」と延長していました。あっという間に22時・23時になってしまっていました。

2.人生残り○時間

「その日が人生最後の日だと思って思い切り楽しんでみない?」と、私は常に妻に話していました。妻は自分を犠牲にして生きることを善とする文化の中で育ってきたので、時間を貴重な財産だと思って自分のために使うことをしてきておらず、むしろ、自分本位に自由を行使することに罪悪感を持っていたのです。だから自分のために時間を使ってほしい、明日の朝起きることを心配せずに、夕方や夜を楽しんでほしいと思っていました。今、無理に働かずにいてもらっているのもそれが理由の一つです。

休日の横浜。夕方からドライブして、レンタカーを返却して、居酒屋でちょっと飲んで、いつものように歩き飲みしていたことがありました。散歩して、時刻は22時45分くらい。そろそろ妻を家に送らなきゃと思って横浜駅へ。東京方面の電車に乗ります。

次の駅は新川崎。駅に到着する直前、妻が「もう一缶飲んでいかない?」と言いました。新川崎で下車し、駅周辺のタワーマンションが並ぶ夜景を見ながら、最後の1缶を開けます。もうそれなりに疲れてもいたので、飲みきれないなあと思っていました。勿体ないけれど、残りは捨てて帰るしかないかなと。23時20分頃に千葉行きの電車がやってきます。土曜日の深夜。電車も閑散としていました。

妻が「このまま残りを飲みながら、千葉まで行っちゃおうよ」と言いました。最初は冗談で言っているのかと思ったのですが「いいね!」と私が答えると、その場では笑って乗り気だった妻も、徐々に「無理してない?」と心配そうに確かめてきますが、せっかくだから行ってみようということになりました。品川、東京、錦糸町を過ぎて、もう川崎方面に帰る電車もない時間になり、少しだけウトウトしていると、電車は船橋あたりを走行中でした。

気になっていたのは、到着後の過ごし方。11月だったので、夜も結構寒く、まずはホテルを探します。1部屋だけでも確保できれば、妻に泊まってもらい、私は適当に駅周辺を朝まで散歩していようと思っていました。1部屋なら大丈夫だろうと、検索してみたところ、当日予約できるところはすでに受付を終了しており、ホテルは取れそうにありませんでした。

時間も1時前だったので、代替策としてファミレスを探そうと思っていたのですが、妻が朝までカラオケしたいというので、結局カラオケで3時間を過ごすことに。電車の中で熟睡していたのか、妻はかなり元気になっていて、普通にそこでも二人で飲みながら歌っていました。

4時半すぎに千葉駅へ。コンビニでおにぎりを購入し、ホームのベンチで食べました。温かいお茶を飲んで、始発の総武線で東京方面へ。妻を家まで送ります。妻は仮眠を取り、昼過ぎからまた予定があるそうなので、昼にコールする約束をして、解散。私も帰宅しました。

この話も、もう4年前。この出来事があった数日後に、私達は夫婦になることを決めました。夫婦になる決断も、限られた人生、あと○年の命なんだから、今結婚しなきゃ、今結婚したい、と思ったゆえの即決だったのかもしれません。

頻繁に外を歩いていた私達は、変わらず世田谷の街を散歩していますが、今はお酒は呑まず、食後の夜の散歩を楽しんでいます。薬局やスーパーに日用品を買いに行く夜の買い物、値引きを見つけたり、人が多くない時間に買い物すると、ちょっと得した気分。飲みは外ではなく、料理を作って家飲みです。

2020年の秋、遠い過去に感じますが、特殊な時代だったからこそ、不自由な社会情勢だったからこそ、不自由も楽しめる孤独な私達が、どんどん距離を縮めることになったのでしょう。

混雑していない夜の電車に乗るたびに、この時代の妻との日々を思い出します。

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