セクハラする人に欠けている視点と妻が経験してきた田舎の男尊女卑
妻と田舎の話になる時によく出るのが「セクハラ」の話題です。都会と田舎の文化の違いを強烈に感じるポイントの一つであるとよく言いますね。
東京に出てきた時、人との距離のとり方が田舎と都会で違いすぎることに驚いたという妻、それと同時に、セクハラについても、田舎で平然と罷り通っていたことが東京では通用しないことを改めて知り、驚いていました。女性としてはその環境(都会のようにセクハラの基準が厳しい環境)の方が居心地が良いけれども、東京の基準だと妻の田舎の人たちは多くが「セクハラ野郎」になってしまうとのこと。
そんなもんなのかという印象です。確かに、地方に出張に行ったりすると、例えばお酒の席でセクハラ発言をする人はいますね。男性から女性へのセクハラが多いですが、男性から男性へのセクハラが最も気になります。同性だからとか、男性はみんな下ネタが好きだとか、そういう根拠のない枠組みで同性にグイグイくる輩が多いと感じましたし、鬱陶しいと思っていました。
妻の田舎で日常的に見かけるセクハラで、これまで本人から聴いたエピソードは以下のとおりです。
男女関係に関する干渉・野次馬・介入
男尊女卑全般
人の体型を指摘・揶揄する
酔った席で触る・肩を組む
「女の子」という
お酌をさせる
風俗店に行ったときの話を女性がいる宴会の席でする
その場にいない第三者の性的な話題をネタにする
女性と男性で育て方に差をつける
ざっと書き出してみましたが、セクハラ以前に、人として終わってるなという感じがしますし、こういう失礼なことを無意識に他人にするレベルの常識や理性しか備わらない環境にいるのかと気の毒に思うレベルです。ここでいう加害者は男性が9割ですが、一緒になって楽しんでいる女性もゼロではないとのこと。まあ、そういうのに同調したり一緒に盛り上がってこそ「ムラ」や「和」であるという価値観なのかもしれません。
今日はそういう道徳や感情の問題ではなく、セクハラ問題を英文法や元素分析のように分解してみようという試みです。
1.私の人生経験でこういう事象に遭遇したことはあるか
これまで書いてきた通り、私は小学校だけが地元の公立校で、以降は地元を離れ東京都心に近い場所で学生時代を過ごし、すべて共学だったので、妻からすれば「最も強力にジェンダーレス教育を受けてきた属性」に該当します。家庭内も男性(父親・祖父などの男性年長者)が目上で裁量権が強いなどということは一切ありませんでした(家父長制が微塵もない文化)。学校生活では、男女の学力・卒後の経済力・進路選択がほぼ同質で、性別分業的な指導をされたことも一切ありません。
こうした環境要因に加え、私は一切の団体行動を拒否してきたので、同性だけで何かに取り組む経験、先輩後輩などの縦社会に参加した経験がありません。以前にも書きましたが「人間」というカテゴリーでしか、ほとんどの他人を見ていないというのが、私の「性別」に対する意識です。自らが男性であることも特に人生に影響を与える因子になっていないように思います。
これらを踏まえ、上記の箇条書きについて、経験した、見聞きしたものと照合していきましょう。
(1)男女関係に関する干渉・野次馬・介入
男女で一緒に歩いたり登下校していると揶揄するみたいな小学生レベルのことは学生時代はありましたが、そもそも共学なので男女で一緒にいてもそれが特別な関係だと変換する常識が支配的ではなかったです。
(2)男尊女卑全般
大学時代の友人(三大都市圏出身)が女性を指して「女の子はそこまで追い込んで就活しなくてもいいんじゃないかな」と言っていました。この友人の中では、国民皆婚社会が21世紀の今も持続しているんだなと思いましたね。
(3)人の体型を指摘・揶揄する
異性に対して「太った」とか「痩せた」とか、身体の特定の場所を指して茶化すような発言をする人は高校まではいました。大学ではそこまで人と密に関わっていなかったので、友人知人レベルで聞くことはありませんでした。就職してからは、高齢男性が女性に向かって「太った?」と聞いている場面、飲み会の場面で「〇〇さん(そこにはいない)最近痩せた?」と言っている男性がいましたね。その場には男性も女性もいました。発言者はそれが悪いことだとまったく自覚していない感じでした。
(4)酔った席で触る・肩を組む
妻の話だと、田舎では普通にあるようですが、私は就職してから「オッサン」が女性に対して「だよな」と言いながら腕をや肩を軽く触るみたいな行為をしているのを見かけたことがあります。
(5)「女の子」という
これも就職してからですね。やはり私は部活や地域コミュニティに参加していなかったので、年代の異なる人と接点がなかったがゆえに、セクハラの大半を経験したことがないのかもしれないと思っていました。魑魅魍魎の逆ピラミッド人間社会に入り、OSがアップデートできていない高齢男性が盛大にやらかしているのを目の当たりにする場面がありました。
(6)お酌をさせる
これは一般的には「あるある」な話のようですが、実は私はこれまでの人生で「女性がお酌をさせられる」場面を一度も見たことがありません。自分が年少者であるときは自分がお酌をしていました。男性がやると「男に酒を作られてもイマイチだな」と、酔っぱらいに言われたことがありましたね。酔った高齢男性に「飲み方はいかがいたしましょうか?」と聞いたところ「水割りは2対8に決まってんだろ。そんくらい知っとけよなあ若造」と言われたので、指示通り焼酎80%、水20%で提供し続けました。
(7)風俗店に行ったときの話を女性がいる宴会の席でする
さすがにこれはないですね。妻の田舎では忘年会や飲み会レベルで普通にあるらしい(信じられないですが既婚者で風俗通いする人間がいるとのことです)ですが、私は一度もこの場面には遭遇したことがないです。
そこまで親しくしていないからというのもあるかもしれませんが、私は友人知人で風俗店に行くような人を見たことがありません。しかし、就職してからは飲み会の二次会でキャバクラに行くみたいな話をしている人がいましたから、何がスタンダードなのかはわかりません。
そもそも、金を払って見ず知らずの人とコミュニケーションを取らなければいけないって何の罰ゲームなんだって話ですよ。風俗店なんて、病気の感染リスクもあるわけで、問題外ですね。何より、大切なパートナーや家族がいるのに、そこに病気や感染症リスクを持ち帰るって、頭大丈夫かって思いますね。そういうのを武勇伝みたいに言う人を見ると、不要な遺伝子を社会に撒き散らすなよって思います。
(8)その場にいない第三者の性的な話題をネタにする
中高時代にこういう話で盛り上がっている人はいましたね。就労してからはないですが、「会社の女性で結婚するなら誰か」みたいな話で盛り上がっている人はいましたね。少なくとも「そういう話をしているお前とは誰も結婚したくないだろうよ」って思いました。
(9)女性と男性で育て方に差をつける
これは残念ながら妻の家庭でも若干そういう方針だったようです。「女の子は地元」「それ以上を望むなら全部自分で学費を稼いで親が許す範囲で」「男の子はやりたいことをどんどん挑戦」的なものですね。嫁入りが終着駅なので、逆算して無意味なものは人生から排除していくという考え方で、それに関する投資も親の義務ではないという考え方のようです。
結果的に高卒で公務員になって、大学に行けなかった後悔から今は楽しい大学生活を送ってくれていますが、妻のように文化資本が高い人が18歳で高等教育にアクセスできていたらどんな付加価値が人生に上乗せさせたかを思うと、悔やましいところです。
2.セクハラが許される事情
妻の田舎の文化で私が心底忌み嫌っているものがあります。それは「まあ男性はみんなこうだから、しょうがないよね」っていう女性の視点です。男は性にだらしなかったり、ちょっと幼稚だったり、気性が荒かったりするけど、それを掌で転がせてこそ、強い女だよね、的な考えです。
なんだかんだ理由をつけているけど、結局「悪い奴を野放しにしているだけじゃないか」と思うわけです。男は飲みに行ってもいいけど、女が遊び歩くのはだめとか、男は多少の風俗通いも仕方ないとか、女が我慢すればいいんだ的な考えが、本当に蔓延しているんですよ。
これ、異文化理解だと思って表面上は流してますけど、心中では底なし沼に不気味で劣悪な文化だと思っています。それって変換すると「癌細胞はこういうものだから」って進行を野放しにしているのと同じだと思うんですよ。暴力や犯罪を容認する思考回路と何ら変わらないです。
しかも、そうやって「仕方ないよね」っていう文化を醸成しながら、結果はこう(上記)なんですよ。死ぬほどダサい。我慢すればいいんだという文化を、加害者も被害者も思考停止して受け入れて、不幸な人がい再生産される現状。男性が女性を加害するだけでなく、我慢してきた女性が我慢しない女性を攻撃する地獄。だから田舎は嫌いなんだよって、本当に思います。土地を守るために長男だから親元に残るとか、まったく理解できない価値観ですね。そもそも、家を継ぐことに何の意味があるのか、継ぐほどの「価値がある」家なんでしょうかね。
人生は一度きり、こういう意味不明な犠牲が2020年の現代に当たり前のように生じているって、恥ずかしいことだと思うんですよ。
3.セクハラする人に欠けている視点
自分のパートナーでもない人に「異性」を意識し、その意識を言動に出してくる人って、心底理解できないんですよね。それは道徳とか理性とかそういう話もあるんですが、私が思うセクハラする人への違和感ってそこではなくて…
それ(セクハラしている相手)、お前の所有物じゃないんだけど
って話なんです。たとえば、宴会の席で女性にボディタッチをする男性。先述した通り、それくらいコミュニケーションだろうみたいに言う人が「田舎には普通にいる」と妻は言っており、「男だから仕方ないよね」と許す女性が少なくないことも事実だそうです。私はそういうことをする男性は嫌いですし、逆に女性が自分に触ってきたら「嫌だな」と思います。嫌だなと思うのはなぜでしょう。
それは、妻のことがすぐに頭に浮かぶからです。寂しそうな、悲しそうな顔をする妻の顔が。
その宴会を遠隔監視で自宅から妻が見ていたとしましょう。私が妻の知らない女性にベタベタ馴れ馴れしく腕を触られて親しげに喋っている姿を妻が見たらどうでしょう。とても悲しむと思いますし、想像するだけで、嫌だな(相手だけじゃなくその場の雰囲気すべてが)と思いますよね。
セクハラしている人にこれを言いたいわけです。たとえばセクハラ男性に対しては「お前が今ボディタッチしている相手は、誰かの大切な妻・パートナー・家族・親・子供なんだけど、それ理解してる?その人達が目の前にいても、それやるの?お前が触っている人は、間違いなくお前じゃない誰かにとっての大切な存在なんだけど、それに触れる権利がお前にあるの?”僕はあなたのこと性的な目で見てます”ってその人の家族・実家・先祖代々の墓地の前で言うの?気持ち悪いんだけど、なんで人に生まれてきたの?ゲノム編集して出直してこい」って思っています。
誰だって、自分じゃない誰かの宝物なわけですよ。信頼関係も築いていない人間が、その人のデリケートな世界に入ることなんてできないんです。そんな基本的なことがなぜわからないのか。本当に謎ですね。何より、自分がそういうセクハラ野郎にならなくて本当によかったと思っています。