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やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その㉗~こころの闇

前回まで

自分の仕事が認められている、精神保健福祉士としても結構やれている、地域でそんな風に働けるようになり、誇らしい気分になっていました。
やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その㉖~花開く|せっと|note
しかしながらその一方で、当初自分の中で大切にしていきたいと思っていた精神疾患当事者であるということも支援の中で生かしていく、といった思いは日に日に薄れていきました。

自分は「支援者」

いつしか事業所のメンバーさんたちのことを、「仲間」、というより自分が支援している方々、支援が必要な方々、なんて風に見るようになってしまってきたのではないかな、自分は「支援する人」、メンバーさんは「支援される人」、という風にとらえるようになってきてしまい、「自分は彼らとは違う人」、「だって自分はもう病気ではないから」、なんて感じに思うようになりつつありました。
そんな気持ちを抱きつつ仕事をしていましたので、自分の病気の経験も活かして仲間としてメンバーさんとかかわる、といった最初に抱いていた思いはこのころは小さくなっていたように思います。

精神保健福祉士として、同業のなかまとのつながりも増えてきて、そのような専門職の方々のコミュニティに属して仕事をしているうちに、「自分はもう統合失調症ではない」、「自分のアイデンティティは精神保健福祉士」、なんて思うようになってきていました。

黒歴史にふたをする


実際この間に精神障害者福祉手帳の更新があったのですが、「自分はもう障がい者ではないから」、と更新を辞退するなんてこともしていました。
同時に、障害年金の更新の時期にもさしかかり、主治医から年金が通るような診断書は書けないといわれ年金の支給が停止になったことも自分はもう病気ではないという思いを強くするものでした。

障害者手帳の更新をしなかったこと、障害年金が停止になったことで、少なからず自分が「普通の人間になれた」と思ってしまってもいたのではないかな、とも思います。
精神疾患がある自分というものを恥ずべき存在と思っていたことがよくわかりますね。

病気になり働きたくても働けない期間は、専門職といわれる方々の支援を受けていましたが、支援者である彼らと自分を比べてしまい、「この人たちは働くことができていて、こんなにキラキラしているのに・・・」、とみじめな気分になることがよくありました。
自分は精神保健福祉士の勉強をしているとはいえ、まだ何者でもない、また資格を取得できたとしても自分が彼らのようにキラキラと働くことができる保証はない、言ってしまえば自分は精神疾患があるから何もできない存在、支援を受ける立場として存在しているんだ、みたいな思いを抱いていたのだと思います。

やっとそんなみじめな自分から脱却できた、といった思いとそれだからこそ自分が精神疾患であるということは誰にも知られてはいけない、といったことを考えていましたね。

ゲームチェンジ


自分には権利などを自己主張することなどは認められていない、言われるままにひっそりと存在していくしかないのではないか、みたいな思いもありました。
そんな自分が資格を取得し自分にとってキラキラに映っていた支援職の方々と今や同じステージに立って仕事ができている・・・ここまで来ることができたという達成感を感じていましたし、一方で支援される側から支援する側に移ることができた、そのことでみじめだった精神疾患である自分からキラキラな精神保健福祉士である自分になることができた、みたいな思いも持っていました。

「支援を受ける側」、から「支援を行う側」、にうつることができたことで、支援を受けていた自分という存在をなかったことにしようとしていたのかも、とも思います。
なので「支援を受けていた時の経験に基づき支援をする」、といった視点はありませんでしたね。

精神疾患であるということに対して自分の中に大きな偏見があったのですね。
弁解にはなりますが、精神疾患であり働くことができない経験をしていた自分のことをみじめな存在だと思っていたので、自分の中には精神疾患さえなければ、といった思いが強かったのは確かです。

精神疾患があるから働けない、精神疾患があるから好きなこともできない、精神疾患を持っている者はいってみれば日陰者として生きていくしかないのだ、そんな風に思っていたところは自分の中にありました。

そんな状況から一気に形勢逆転、ドリームをつかみ取りみじめな状況から抜け出すことができた、ゲームチェンジして自分が主導権を握る側、攻め込む側に移ることができたと思ってしまっていたのですね。もうみじめな自分ではない、以前の自分には戻らないぞ、といったように。

今回はここまで。このころ自分の周りにピアスタッフ的な働き方をしている人がいなかったため、手探りで働き方を模索していくしかなく、そのなかで私は専門職として歩んでいくことを選んだというのもあったのかもしれません。
この先私は専門職として歩んでいくんだろうな、なんてことを当時は思っていたのですが果たしてどこに向かうのでしょうか?
また次回以降お話ししていきたいと思います。


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