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JRの線区別収支から見る利用者数が少ない区間の特徴

JR東日本のサイトでは、「各駅の乗車人数」「路線別ご利用状況」「線区別収支」の3つのデータが公開されています。

中でも「線区別収支」では、利用者数の特に少ない区間に限られますが、収支が開示されています。JRとしては、あまりに維持が難しい区間は電車の本数を減らしたり廃止したりしたいというのが本音だと思います。

「実際どうなんだ!」みたいな声が社会から上がったときに(もう上がっているのかもしれませんが)これだけ厳しいですというのをきちんと示しておくというのが目的じゃないでしょうか。

ところで、最近京葉線の快速が廃止になるというニュースを見ました。これは東京と千葉市内を結ぶもので、通勤で使用する人も多いと思いますし、JRとしては儲かる区間じゃないのかなと考えていて、上記のデータに行き着いたというわけです。

今回は京葉線には触れませんが、上記のデータからは色々考えることができそうなので、そのうち考察したいと思います。

今回は、約40年前と比較して電車の利用者が大きく減った区間とそうではない区間の違いを見ていきます。

乗車人数が8割減の区間が多く存在

以下の散布図は、収支が公開されている66の区間における1987年の1日当たりの乗車人数と、およそ40年後の2022年において乗車人数が何パーセント減少したかを図示したものです。100%に近いほうが乗車人数が減少していることを示しています。

パッと見で、以下のことが分かります。

  1. 減少率が80~90%に達する区間がかなり多い

  2. 図面に右側に、乗車人数が突出した区間が1つだけある

1.についてですが、66の区間の内、乗車人数が80%減少したのは24区間と3割以上でした。また、1日当たりの乗車人数は減少率にあまり影響を与えていませんね。

次に、2.についてですが、図面の右上に1つだけ他と傾向の異なる区間が存在することが分かります。1日当たりの乗車人数は10000人を超えていて、他区間と比較するとかなり多いことが分かります。しかし、減少率も90%を超えていることから乗車人数の減少自体も多かったということです。

初めに言ってしまうと、これは津軽線の青森~中小国という区間です。これは時代の流れで人が行き来しなくなった場所の予感がします。では、実際にはどういう場所だったのか詳しく見ていきましょう。

減少率が大きい区間と小さい区間の違い

減少率が90%を超えるような、乗車人数が著しく減少した区間と減少率が50%程度に留まった区間の違いはなんでしょうか。今回は、地形の観点に着目して考えます。

著しく乗車人数が減少した区間とそこまででもない区間は下記の通りです。

著しく乗車人数が減少した区間と減少率

  • 奥羽本線 新庄~湯沢 94% (山形)

  • 津軽線 青森~中小国 95% (青森)

  • 花輪線 荒屋新町~鹿角花輪 94% (岩手)

  • 磐越西線 野沢~津川 94% (福島)

そこまで乗車人数が減少しなかった区間と減少率

  • 左沢線 寒河江〜左沢 42% (山形)

  • 水郡線 磐城塙~安積永盛 50% (福島)

  • 只見線 会津若松~会津坂下 52% (福島)

そこまで乗車人数が減少しなかったと言っても50%は減っているわけです。どちらも全て東北ですね。これは人口減少の影響と降雪など住みやすさによるものだと思います。

では、この2つの違いは何かというと、「区間を結ぶ2つの駅の間が急峻な山の中」かどうかです。つまり、区間の間に多くの人が住んでいるかどうかですね。Google mapで調べてみてください。

区間の最初と最後の駅は市街地にあっても、途中が人のあまり住まない山なら途中で乗る人が非常に少ないわけですね。そこまで乗車人数が減少しなかった区間では途中でも人が多く乗るわけです。

仕事とかで市街地から市街地への移動は需要はあるんじゃない?とも思いましたが、もし自分がその立場なら初めから隣町に引っ越す気がします。本数が少なくて不便でしょうし。

ただし、津軽線は海沿いの区間で少し事情が違うと思われます。この区間は先ほど説明した図面の右側にある特に乗車人数の多かった区間です。では、どういうことか見ていきましょう。

乗車人数が10000人から500人になった区間

まず、散布図を再掲します。右上に他と比較して乗車人数が突出した区間がります。青森県の津軽線の青森~中小国という区間で、青森の海沿いを走っています。

この区間の1987年における1日あたりの乗車人数は10000人を超えています。2022年現在で10000人くらいの乗車人数の区間は下記の通りです。

  • 秋田〜追分:8910人

  • 北上〜盛岡:10732人

  • 郡山〜福島:10569人

  • 長岡〜新津:9375人

  • 新前橋〜渋川:11778人

大体地方都市の主要駅が含まれる区間です。これって結構な人数だと思います。しかし、青森~中小国では10000人から500人へと著しい減少となりました。なぜなんでしょうか。

このあたりは、江戸自体には木材の積み出し港として栄えたそうです。また、陸上の交通としても北海道へ行く人の通過する場所でした。その後、蟹田~青森間の鉄道が開通したことにより木材積み出し港としての性格は無くなりました。しかし、この歴史からかなり栄えた場所であったことは間違いないでしょう。

乗車人数の減少は、1次産業から2次産業・3次産業への転換が理由でしょう。この区間では、1次産業の仕事が減り、人がいないためにそれを対象とした2次産業・3次産業の仕事もできずに人の往来が減ったと考えられます。

データの統計は1987年で、2次産業と3次産業が急増した時期であり、バブルの真っただ中です。この時期は、1次産業の減少に伴い同時に乗車人数も減っていたんじゃないかなと思いました。

おわりに

京葉線での疑問からスタートした記事ですが、自分で手を動かし、色々考えることがよかったです。今回使ったデータは1部で、まだまだ考察できるので、順次記事にできたらと思います。

具体的に地図を表示して示すとかまだやれることはあるんですが、どんどんアウトプットするということで、この辺で放出したいと思います。いつもより長い記事で疲れました・・。

読んでいただきありがとうございました。

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