苦しい時こそ、見るなら幻想と幻を
自分が「だったら良いな」と望む世界と
自分が「そうだったらどうしよう」と恐れている世界と
どっちを考えていた方が楽しいですか?
人生とは苦しいもの
未来というものは
何が確証されているわけでもなく
一寸先は闇という言葉があるほど
未知の世界
実際、一寸先の大闇を経験しました
愛した人が突然死んで
誰が何を助けてくれるわけでもなく
真っ暗闇の中、泣きながら必死に子供達を担いで生きてきました
彼が死んで4年が経った今も
苦しくなったり、辛くなったりする時があります
割とあります
頻繁にあります
4年経った今も身が引きちぎれる思いで泣いているだなんて
誰も知らないでしょう
(あ、知っているか、ベラベラ書いているし…)
未来は不安だし
他人の気持ちはわからないし
うまくいく保証なんてどこにもない
自分の現状に
良い要素なんて1つもない
悪く考えようと思えばいくらでも考えることができる
そう
『悪く』考えようと思えば、いくらでも考えられるのです
ということは、逆もまた然り
『良く』考えようと思えば、いくらでも考えることができる
自分の手の中にあって把握しているもの以外
世の中の全てのことは不確かです
色々なものは結局『自分の想像』でしかない
これからの未来
仕事の評価
相手の真意
『良し』か『悪し』か分からない
なのに『悪し』だったらどうしようと
不安材料を片っぱしからかき集め
不安を膨らませていきます
そんな不安を膨らませ始めた時
私は「そうであったらいいな」の夢の世界に思いっきり浸ります
そりゃあもうどっぷりと
さぁ、妄想しよう!とちゃんと時間を割く
考えたって分からない
どっちの結果も未知でしかないのなら
がっつり良い想像だけをします
だって
その方が
幸せじゃない
起きてもいない
起きるかもわからない問題に頭抱えて
ダメだったらどうしよう
うまくいかなかったらどうしよう
恐れて悩んで苦しんで…
それって……楽しい?
だから
今現状にある未知なるものは全て良い方に考えます
明らかに問題点のあるパートナーの欠点に目を瞑って
きっと大丈夫だろう!とするのとは違いますからね
それはもう、未知じゃないから、見えてしまってますから
ただ見ようとしていないだけだから
そうじゃなくて
考えたって分からない
漠然とした不安や恐れには
対抗するように
漠然とした希望をぶつける
こうなって、ああなって、そうなるんだろうなって
あぁ嬉しいな。あぁ幸せだな。って
この作品が賞を取るかもしれない
あの人の気持ちは自分に向いているかもしれない
お金がいっぱい入ってきて裕福になるかもしれない
宝くじが当たるかもしれない
それを人は現実逃避というのかもしれないし
ただの希望的観測の妄想でしかないかもしれない
賞を取らない
気持ちはこちらにない
裕福にはなれない
宝くじは当たらない
そちらの確率の方が高いかもしれない
でも
どちらも確定していない段階では
どっちを考えたっていいじゃない
だったら幸せな方を見たいじゃない
だって
それを考えている間は
幸せだから
そしてね
想像できる未来は実現するというように
ネガティブな方を考えてばかりより
ポジティブな方を考えてばかりの方が
プラスを引っ張ってきてくれるのよ
それはもしかしたら
自分が想像したことの実現ではないかもしれないけど
ポジティブなものをひたすらに入れた
満たされている心なのか
穏やかな表情なのか
その方向へ向いた体は、絶対に良い方へ自分を連れて行ってくれる
けど世の中うまくいくことばかりじゃないことも知ってます
ええ、そりゃあもう嫌というほど身に沁みて知っています
だけど
たとえ自分が思っていた良くない方に行ったとしても
ずっとその想像をしていた暗い時間しかないより
自分の思い描いた世界を想像している時が
そういう幸せを感じられる時間があった方が絶対にいいじゃない
結果的にうまくいかなかったとしても
不安と不満ばかりに囚われているよりずっと幸せじゃない
虚しい?
言ってなさいよ
現実なんて虚しいことだらけなんだから
きつい時こそ、苦しい時こそ
しっかりと幻想を抱くのよ
その幻想が、今を温かくしてくれて
その場所に、もしくは近しい別の場所に
自分を連れて行ってくれるんだから
「ダメかもしれない」だなんて保険かけてないで
思いっきり良い方を期待して想像して妄想して
ダメだったら、その時に思いっきり泣けばいいじゃない
真っ暗闇に落ちた時
自分は幸せにしかならないんだって
望む方向だけ見つめた
それは、今も自分を
明るい方へ向かわせてくれているんだよ