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うちの猫について--⑥と⑦ ミッキーとチャッピー


後味のよくないお話しだと先に言っておきます。でもミッキーとチャッピーがいた事実があるので、書かないと先にすすめません。

ミッキーは残念ながら虹の橋を渡っていきました。ミッキーの画像はないです。
チャッピーはどこかで生きているかもしれませんが、残念ながら行方不明のままです。見出しの画像の右側の猫です。
14年ぐらい前のお話しです。


義父母との同居の母屋で、りぼんとアカの猫2匹がやっと落ち着いてきた状況でした。
私は宿泊施設に勤めて、猫の世話もあるので寝るときは母屋に帰っておりました。
元夫が新しく借りた借家は母屋から200メートル足らず。娘もそちらで暮らすようになりました。

そんな折、うつ病から完全復活した元夫は、リーマンショックの手前まで、調子に乗っておりました。新しく事業を始め、いろんなところで出会った男の子を連れてました。上海に行く飛行機で20歳前後の男の子に声をかけて連れてくる。自分の同級生の息子がふらふらしているといって連れてくる。歌手のオーディションで目星をつけた男の子をつれてくる。その男の子が連れてくる男の子も来る。仕事が終わって帰ってきて、なぜか毎日たくさんのごはんを作る日々が続いたりしました。

そんなある日、ある男の子が子猫を連れてきます。黒っぽい猫で、口元が何かにぶつかったのか顎と唇が癒着していました。この子猫はモノがたべられるのだろうか。義父母にみつからないようにこっそり2階につれていき、口を拭き、スポイトでミルクをあげたり、ご飯をあげたりしてかごに入れて様子をみましたところ、元気になってきました。
ああ、よかった。と思っていたところ、母屋にちいさな茶色いヤス猫(これは鹿児島特有の呼び方らしい)が迷って入ってきました。義父母にしたら、絶対飼わない。どうしようと思って2匹になってしまった子猫を元夫に相談したところ、若い男の子にあずけて育てさせてみようということになりました。名前はどうしようかと相談したら、あっさりとミッキーとチャッピーときまりました。
調子に乗っている元夫は家の近所の競売物件でさらに古い家を購入していて、男の子を住まわせていました。ミッキーとチャッピーもそこで大きくなっていきました。ミッキーは人懐こくて、モノが食べづらいだろうと心配したけれど器用にがつがつと食べます。チャッピーはもっと元気でやんちゃです。

そんな2月のある日、私が会社に休みを取って元夫の代理で大阪にいくことになった朝、クルマのエンジンをかけようと思った時に、私の車がおいてある駐車スペースの隣エリアにミッキーをみつけました。。。。その姿はすでに死後硬直で硬く冷たくなっていました。口から若干血も出ていましたが固まっていました。もう隣のクルマは出発していません。きっと暖かかったその車のボンネットのそばにいて、エンジンかかってすぐ逃げられずに曳かれてしまったとおもわれました。出発前なのに、出発できないほど悲しくなりました。放し飼いしているからそういうこともあると覚悟していたけれど、成猫になるかならないかのかわいらしいミッキーの亡骸が冷たかった。仕方なく涙目で元夫に預けてその日は大阪にいきました。
ミッキー、短い間だったけど楽しかっただろうか。ごめんね。ごめんね。

チャッピーはその後、りぼんとつるんだりできるほど大きくなりました。
りぼんは相変わらずですが、チャッピーが雄なのでさほど意地悪はしません。
でも、構いすぎたり、なめすぎたりしてしつこいと露骨にうなります。

義父母がなくなって私たちが母屋の温泉のお店番をするようになると、駐車場や住居と母屋の往復位はりぼんもチャッピーもついてきます。チャッピーはびっくりするほど高いところにのぼって降りられなくなったり、大きな足音で走り回ったり雄の成猫の荒々しさとたくましさを実感する日々。

そんな時、でした。
小学生の娘の同級生たちにかわいがられたあと、ストレスがたまっていたチャッピーはお客様の手をひっかいたのでした。
猫だって感情があります。おなかもすいていたんだと思います。
元夫は客商売でその行為は許されないといってしばらくの間、チャッピーはゲージに閉じ込められました。

しばらくしてゲージから出されたチャッピーは脱兎のごとく走って出て行ってしまったのです。

チャッピー。。。いろんなことが絡まって大事にできなかった。。。

こうして雌猫のみが残る状況となりました。

以前に書いた記事のモコといい、ミッキーやチャッピーといい、最後まで面倒みることができず申し訳ない気持ちになります。お寺に行く度に阿弥陀様に極楽浄土をお願いしています。

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