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満州からの手紙#141~#145

満州からの手紙#141

 粉々たる降雪のため広野は一望千里、 白皚々たる銀世界です。
お父さん、元気でいますか。私は自重して真面目に御奉公していますから御安心下さい。

 後半月すると新玉の年を迎えると共に私も二十六才になります。しかし、歳月空しく年と共に過ぎて、今に至るも何等みるに足るべき功なく思えば慚愧の念にたえぬものを覚えます。
『嗚呼吾二十七まさに一生の半を終わらんとす。
 肺肝それよく何処にか傾けん』
彼の南州先生の歎は、そのままに私の歎となって切実に胸をうちます。
頑張らなくては、百難千苦を願って堪えてゆかぬと申し訳がたちません。

 お父さん。私は将来、サラリーマンには出来るだけなりたくないのです。一定の俸給を戴いて平和な家庭生活にひたる!! それは志ある男子の一番に嫌う処です。
人間は特に男は、百難千苦を神に祈って世に処すべしと師は申されます。
この百千の苦難を経て初めて人間としての味がしみ出て来るのだと思います。
お父さんは私が可愛いいでしょう。どうぞこの可愛いい私に人生における真の旅をさせて下さい。

 不幸にして素裸の人間となった時、一貫毅然としてなお初信に邁進することの出来る男であってこそ男の中の男だと思います。
私はそんな男にどうしてもなろうと不断に思い続けているのです。
どんな難局に処しても、どんな逆境に立っても宜しい!!
自分は敢えて厭わん、これからボツボツ俺は俺の道を歩んで行く、立派に新らしい境地を自力で開拓して行く!!
こうした悠々たる気概をもった男を常々夢みているのです。
お父さん。私はなかなかにつかい難い男らしいのです。それで人につかわれ難い男は又、一面人を使うだけの力量をもたぬ男とも言えるのですから、私は人につかわれも、つかいもせぬ生活をしたいと希望しているのです。
心ある人に使われるのは望むところですが、世の中に人をつかっている人で、そんな志の高遠雄大な人などはめったにありません。
功利の徒の下働きはまっぴらです。

 私は商人になろうと思っているのですが、それもむずかしい商売人ではなく、化粧品、小間物などのあきないです。おかしなことを!! と思われるでしょうが、これは充分熟慮の上でかいた手紙です。
しかし何ごとも一番にお父さん、お母さんのお考えを第一とするつもりですから、その点は含んで下さい。

 私は道に立脚した商売をして行きたいと思うのです。何事も仁なり、慈悲なりから出た行為なら、報恩感謝の生活から流露した行為なら道にかなわざるはないと思います。
ただ利をのみ求めて私腹を肥やすに求々たるともがらとは、その根本精神に於いて格段の相異あるを知って貰いたいと思います。
このため私個人の苦労は断じていといません。そしてお父さん、お母さんへの孝養は男一匹が専心、誠をもってこれにあたるのですからゼイタクさえしなければ必ず不自由はおさせしません。
商才の多分にあるお母さんにも商店でも持つようになれば手伝って貰うと一層うまく行くと思います。

 私は一方に於いて精一杯、主人になり小僧になりして働くかたわら、一面に於いては立派な人格の人に師事して思うままに自分をみがきたいと思います。
ただ百難千苦を祈っておそれぬなら、断じて行えば鬼人もこれをさけるの{諺/ことわざ}も真理と思います。
働いても働いても生活が苦しいなどということはあり得ません。それは無駄が多くて分相応以上の生活をしているしょうこですから思いきって生活を引きさげ一時の屈をもって萬世の伸とすべきだと思います。

 もしお父さんに私の考えがよかろうと思われるような気持ちがありましたら、私にかわってその道の研究を暇々にして置いて戴きたく思います。
お返事を待っていますからお手紙下さい。
サヨウナラ。
忠勝拝
お父さんへ
十二月十七日

満州からの手紙#142

お父さん。
このパンフレット(小冊書)は昨夕、道友で常々私を切磋琢磨して励ましてくれるKがわざわざ私にもって来てくれたのです。
簡明にしてその髄をうがっているところから、お父さんにもお母さんにも是非一読していただきたく思いますので、この手紙に同封して送ります。

 私は将来この尚友会に入会しようと思っていますから、このパンフレットをなくしないように大切に保存して置いて下さい。

 パンフレットの表紙の反対側裏をみて下さい。
中崎辰九郎先生の著書が沢山記載されてあるでしょう。
この中⚫はお母さんに読んでもらいたい本で△はお父さんに読んで貰いたいと思う本です。

 表紙の裏に尚友会加入申込書の様式があります。 一ヶ年に八十銭を納付すればこのパンフレットを月一冊ずつ送ってくるのです。
女子には『誠』を無代進呈(勿論入会費八十銭は納付するのです)とのこと。
お母さんに入会されるようにすすめて下さい。
ではおすすめまで、サヨウナラ。
忠勝
二伸
中崎辰九郎先生は東京府立第一商業学校の訓育部長をされている方で三間村塾の竹葉先生とは学友です。

 小松先生、古田先生、竹葉先生等と朝鮮に八紘寮を開かれています。
その人達は東京金雞学院の学監、安岡先生の高弟にあたる人達です。
過日家へ送った書籍中、『日本精神の研究』『王陽明研究』『東洋政治哲学』などは安岡先生の著書ですから暇をみて読んでごらんなさい。

満州からの手紙#143

お母さん、その後お変わりありませんか。
僕は、つい八日程前に少し体を悪くして医務室に入室したのですが、もうすっかり元の通りに体も元気を快復して来ましたので二、三日の内に中隊へ帰して貰えるだろーと思っています。

 つい三、四日前の日、山田少尉殿が手紙を呉れました。
『俺が東京へいたら忘年会や新年会を二人で楽しくやるのにナー。 それにお前のいうことなら何でもウンウンいって聞いてやるのに。』なんてとても無邪気なことを書いて来るのですよ。 ハッハ−−−−−−−。

 森賀軍曹殿が中支の戦線から時々思い出したようにお手紙をよこして下さいます。雅嬢のことも多少気にかかるのではないでしょうか。
雅さんあいかわらず沙汰無しのつぶてです。元気でいるのですか。
宇和島にいるのなら暇をみて便りを寄こして呉れるようにお母さんから伝言して下さい。

 石川さんからとてもいいものを戴きました。
あの人のお母さんに逢われたら僕からどうぞよろしく言ったとお伝えして下さい。

 お父さん、お帰りになりますか。元気で働かれておいでになるでしょうネ。 色々とお手紙をしたいのですが、忙しくてとても駄目ですから、その内に。

 越智先生、佐野の小父さんお達者でしょうネ。過日お手紙を出しておいたのですが。久しく御無沙汰していると全く手紙が出し難くなって困ります。
書籍と私物を少しこの間送っておいたのですがとどきましたか。
お受けとりになったらお手紙で知らせて下さい。

 後四日でお正月ですネ。 二十六才の春よ春です。 ハ−−−−−−−。
この手紙がお母さんのところへとどくのはお正月の三日か四日、よいお正月を向かえられることと思います。
別にかくことはなかったのですが、暫く無沙汰したので心配させているかも知れぬと思ってあわてて筆をとりました。
どうぞ御自重して下さい。 サヨウナラ。
忠勝
お母さんへ

満州からの手紙#144

 緊張裏の中に有意義な一日が静かに暮れて行きました。
軍務の余暇、何の拘泥する事柄もなく、すべてを読書攻学に専心勉励するのは実に愉快です。
『萬巻の書を読むにあらざれば、いずくんぞ千秋の人たるを得ん。』
松陰先生はかく云われています。

 私は軍隊に来て初めて 『真の学』に目覚めたのです。しかし今までは空虚な概念的思索に耽る事が多かったのです。それに色々とつまらぬ問題に心をわずらわせて、いたずらに生命を損じるなど、自己の精神生活が如何に統一のない雑駁なものだったかを自覚しました。 
私はもう必要の無い人、特に女の人達との予想も出来ない人情の醜悪な交際なぞまっぴらです。そんなことで試練されなくとも克服すべき有意義な試練の道程を私は沢山にもっているのですから。
  四十余年酔夢の中
  いま醒眼始めて朦朧
  知らず日すでに亭午を過ぐるを
  起こって高楼に向かって暁鐘を撞く
私は心懐かしく陽明先生のこの詩を口ずさんで、今更の様に粛然たる気持ちにうたれます。
道徳的良心の叱責の鞭を心に受けぬ人なぞ相手に成りません。
問題に成りません。
私は正しい自覚のある道を行きます。

 お母さんは淋しいでしょう。
静かにお母さんを、お父さんを、しのぶ時、 私はしみじみとそういった感慨を覚えます。
しかし深刻な寂しさのすべてを克服して次に来る深遠な喜びを想像して下さい。
それは調度、私達が酷寒の冬を過ごしてめぐみ多い北満の春を讃美するその心と同じです。お互いに落ち着いて、素直な心で、めぐみあるその時を待ちましょう。

 お正月も後二日の後になりました。
虎頭の国境から帰って来た山下君(チョウチン屋の)が今夜たずねてくれました。
心懐しく幼い頃の思い出を語って、自由な点呼前の一刻を談笑しました。

 山下君が帰ってから上甲隊にいる土居(製材の)を訪ねました。
下士候をやっているので上等兵に進級していましたが、朗らかに元気にやっています。

 扁桃腺で高熱を出して医務室へ入室している時、原熊さんの一人息子の原も胸部を悪くして入室しておりましたが、とうとう入院しました。
しかし当人は至って呑気に元気よく入院しています。おかしな云い方ですが、ハ−−−−−−−。
ひどく心配する程ではありません。

 山田の勝ちゃんも昨日ハガキをよこしてくれました。
『忙しくて目が廻りそうだが元気だから安心してくれ!!』と言っていました。軍隊で鍛えられて、みちがえる程男らしい確固たる将校に成ることでしょう。
親友のこうした様は、たまらなく嬉しいものです。

 僕は階級の上ではとうてい山田には勝てません。
しかし人間本質の価値!!男一匹の価値に於いて将来必ず必ず彼を凌駕せずには置きません。
目前の表面的な事柄のみを比較して、僕の無力を淋しく思わないで下さい。
すべては今からです。 あえて悲観すべき何者もありません。
期待していて下さい。
あまりながくなるのでこの辺で止めます。
お体くれぐれ大切にして下さい。 サヨウナラ。
忠勝
お母さんへ
(万年筆は時間を喰うので鉛筆で失敬します。)

満州からの手紙#145

 お父さんに前方『尚友』と称するパンフレット (小冊子)を送っておいたのですが読まれましたか。
今日朝、道友のKが『誠』を呉れました。このパンフレットは女の人のためにかかれているものです。
それでさっそく再読後お母さんに送ることにした訳です。
表紙の裏に別の本で為になる書名がのせられているでしょう。
定価は大変安価で是非必読すべきものですから、買って読まれるように家へ通っておいでになっている娘さんにもおすすめしてあげなさい。

 中崎辰九郎先生は東京府立商業の倫理を講ぜられている方です。
今度三間村熟の竹葉先生達がおこされた朝鮮の 『八弦寮』の理事か何かをされている偉い方です。

 真に大和女性の誇りに生きようと思えば、それに恥じないだけの女の道をおさめねばなりません。
それには立派な思想をもたれた、人格の高い先生のかかれた書を読んで学ぶのが一番です。
暇をみて、しっかり女としての道をおさめて下さい。
女である以上女の道を歩むのは当然のことで、年の老若にかかわりはありません。しっかり暇をみて勉強して下さい。

 家に通っておいでの娘さん達に雑誌の中でとても参考になる本がありますから知らせましょう。
宇野千代といわれる人が主筆で出版されている『スタイル』という本です。折があったら読んで御覧なさい。
この本は娘さんが読まれたらよいと思うのです。

 小包は未だつきませんか。ろくろく貯金もせずにお金をためては買った本ですから、そまつな本でも僕にとっては大切な本なのですが。

 綿クツシタお父さんにあげて下さい。
猿又も酒保で一金五十銭也で買ったのです。一枚五十銭です。
もう酒保にも売り切れでありません。
綿の猿又は暖かですからネ。 ハ−−−−−−−。
元気のよい若い者はスフの越フンで上等です。

 とうとうお正月が明日にやって来ました。
二十六才の春です。
つまらぬことをかくのは止しましょう。
次回は落ちついてお手紙します。
お体大切に サヨウナラ。
忠勝
お母さんへ


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