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満州からの手紙#152#153【追憶の記】幼い頃の思い出より

お母さん
私の幼い頃の思い出を
覚えているだけ
このノートに書き留めておきます。

これからお届けする「追悼の記」は、忠勝さんが出征前に思い出の地をめぐり書き残されたものです。古き良き時代のノスタルジアをご堪能下さい。

満州からの手紙#152「石堂丸」

私の家の前が、今は無き青木家!!
お母さんは、お産屋だった青木家の叔母さんとは大の仲良しだったでしょう。
夏になって、かいこ様が出る頃に成ると、あの田舎ではまれな二階建ての養蚕室が若い村の娘さんたちで一杯でしたネ。

いつかお母さんは、階下の小川によった養蚕室の一室で「石堂丸」の小説を読んで戴きましたネ。
私は聞いていて、可哀そうで可哀そうでたまらなく成って、大声を上げて泣いてしまいました。
お母さんも娘達も皆鼻をつまらせていたでしょう。
私はよくおぼえています。

あの養蚕室のすぐ横に、あの頃なつめの実が赤くうれて、すずなりに成っていたのもはっきり記憶しています。
それから、なつめの木の隣に大きな柿の木がはえていましたネ。
いつかお母さんは、その柿の木の根本から火玉が飛び出して、是延にあったあの小さいお大師堂の中へはいったと、私に話して戴きました。

あの頃のことは、仕事に追われていそがしいお母さんには中々思い出せぬでしょうが、この追憶の記はお母さんを昔の思い出につれてかえってくれるでしょう。
そしてお母さんも僕と同じように、きっときっとあのころの懐かしい思い出を追想されることでしょう。

満州からの手紙#153「養蚕室にての思い出」

養蚕室と言えば!!あの養蚕室にはいつもおかいこ様が出る頃に成ると決まって岡本という養蚕教師の人が来ていたでしょう。
夏の夕方なぞ、よくあの養蚕室の二階から、美しいバイオリンの音が子供の私たちを夢の世界へ追いやったものです。
  
  ♪さすらい‼の歌
 行こうか もどろーか
 オーロラの下を
 ロシアは北国 果て知らず
 西は夕焼 東は夜明
 鐘が鳴ります 中空に

 泣くにゃ明るし 急げば暗し
 遠い燈も チラチラと
 とまれ幌馬車 やすめよ黒馬(あお)よ
 明日の旅路が ないじゃなし

岡本さんのバイオリンで弾いていた歌を、いつ、どんなことをして覚えたのか知らない。
けれど十六、七年も過ぎた今、やはり夏の黄昏時、真っ赤に夕焼けした空をジッと眺めていると、この歌がいつとはなし口をついて出てくるのです。
岡本さんはもう随分おじいさんに成っているでしょうネ。
今は何処であのバイオリンを弾いているのでしょう。

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