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満州からの手紙#126~#130

満州からの手紙#126

 お母さん。
暫くお手紙を書く暇がなくて意外に御無沙汰していましたが、お変わりありませんか。
私は至って頑健でいますから安心して下さい。
こちらも昨日、今日あたりから驚く程朝夕が涼しくなりました。
曠野には今、ききょうの花 や、萩、なでしこ、{女郎花/オミナエシ}、リンドウ、あざみなぞ秋の七草が一面に咲き乱れて実に美観です。

 この間、正月が来たナ!! と思っていたのに早や八月!!
次の正月が訪れて二十六才の春を向かえるのも目前です。
男の二十六才と言えば地方では立派に独立してやって行ける、一人前の人間を想像されますが、実際の僕は全く、これで将来世の中に出てやって行けるだろーか、などと子供らしい気持ちからぬけきれなくて不安を感じる時もあります。
『心配しなくてもその時が来ればやってゆけるものだよ。』
年は僕より年下でも、入隊前、世の中の波にもまれて来た戦友のⅠは事もなげにうそぶいて煙草を天井にふきつけます。
色々と実際の仕事にぶつかってみると、社会をくぐって来た男達のすることにはとてもかないません。
仕事は学理的であっても、学理を幾等となえてみたところで何も出来ぬのですから、そうな ると経験の深い実際に物事をたたいて来た人間にば勝てぬわけです。

 何もかもかなぐりすてて、暫くは世の中の下積や縁の下の力持ちになる覚悟で再スタートすることを、どうしても必要だと考えさせられます。

 お母さん、僕は入隊して以来、真の良友と言おうか、 良弟と言をうか生田の宗夫君の様な人を一人持ちました。
神野廣満と言うのですが、山田勝利君同様、幹部候補生で、現在弘前の板津部隊へ帰っています。
在所はおなじみの西条で、神野君の家はお百姓さんです。
純情一途で世の中の穢(ケガレ) を知らぬ廣満君は越智先生の弟の義治君や松澤の宏君を懐しく思い出させます。

 過日、廣満君の家から慰問の小包を送って貰って気の毒に思っているのですが、多忙なため御葉書きでお礼のお便りを出して置いたきりで、まだお手紙も出していない始末です。廣満君からもよく手紙が来るし、廣満君の家からも度々お手紙が来ます。
廣満君の妹さんで俊子と言われる人が、いつもお父さんの代筆をして色々とお手紙をよこして戴きます。
以前廣満君のことはお母さんにもお手紙で一度知らせたことがあると思うのですが。
字はまずくても結構です。暇をみて左記の所へお礼のお手紙を是非出して置いて下さい。なお廣満君はもう直ぐ少尉殿になるのですよ。とても可愛らしい顔をしていますからお人形のような少尉殿になることでしょう。 後便で廣満君の住所をお知らせしますから皆でお手紙を出してやって下さい。
愛媛県新居郡 神野半次様 (廣満君の父君で妹は俊子と云います。)
廣満君は農学校を出ています。それで自分の家でお百姓さんになる考えだったのだそうです。しかし甲種合格で幹候にはパスするし、今後どうなるのか解らぬけれど、多分軍隊を満期すれば又、お百姓さんになるのではないかと思います。
お家はそうとう立派だとのことですが、僕にお手紙をくれるのにはいつも忠兄さん、と無邪気に愛称してくれるのですよ。 ハーーーーーーー。
僕は一人子だけれど、兵頭や川崎、 黒田、 生田、 越智などと妙に親愛なる弟の増えるのは不思議です。
大兄には山田兄、 越智兄等とてもめぐまれています。

 今日、七月三十一日付のお手紙二通、確に戴きました。
廣満君が手紙をお母さんに出していたとは意外でした。廣満君のことをかいているこの手紙の最中に、廣満君のことをかいてあるお手紙を手にするなぞ嬉しいことです。
今日越智の兄さんも手紙をよこして戴きました。
八月には帰宇されるとのことでした。
消燈ですからこれで止めます。
サヨウナラ。
忠勝
お母さんへ

満州からの手紙#127

 お母さん。
過日はお手紙をありがとうございました。お達者とのこと、心から安心しております。

 偖て、過般お母さんに依頼して置きました金鷄学院発行の『東洋思想の研究』は代金が入会の上、一ヶ年分全部払い込みの規定になっていたものですから、幾等待っても来ないのが本当です。
昨日一ヶ年分の本代をそえて入会の手続きを終わりましたから、来月号から久しく待望していた彼の本も熟読含味することが出来る訳です。

 それから、かねて四書 (中庸 ・論語・ 大学・孟子)を買って読みたく思っていたのですが、少し高価で手が出されなかったものですから、そのままになっていたのだけれど、とうとう 手始めに論語の前・後篇二冊を五円程で注文しました。後十日もすれば送ってくると思いますが、楽しみです。
お母さんに言えば本代位はどうでもなることを知ってはいましたが、 自分の力で買いたかったのです。
無駄費いを慎んで少し倹約すれば、本代は充分出来るのです。
論語の前・後篇二冊を読み終える頃には、又一、二冊本が買える程の余金が無理をしなくても出来るから嬉しいです。

 道友のK君が真面目な勉強家で、立派な書籍を沢山持っているのです。それでK君から書物を借りて読んだり、持っている本を幾度となく繰返して読んだり、又東安の町へ外出すれば必ず本屋へ行って何か買って帰りますので、書物がなくて困ったり、無リョウに苦しむようなことは絶無です。
道に参する為の書籍は一度二度反読味識した処で、古聖人の尊厳な教えをそれで明瞭に自覚體認することは出来得ません。
『読書百ペン 意自(オノズ)から通ず。』
全く以てその通りですよ、ハ−−−−−−−。

 そんなことはさて置いて、ニュースを一通り申し上げます。
この間、県下の中等学校教員の人達がこの地へ慰問に来て戴いたことはすでに報告したのだったでしょうか。
とにかく宇中からは中浦先生がおいでになりました。中浦先生は僕にとっては未知の人だったのですが、戦友達 (宇和島出身の)と先生のそばへ行くなり挨拶もしないうちに
『おっ!! 善家君、川崎が君のことばかり言っているよ。
 あいつは僕の片腕でネ!!』
かように申されるのです。
あけすけな宇和島弁まる出しのその言葉や態度も無精に心懐かしく、又、川崎が学窓を去って後までも今直、兵頭、黒田、生田達と共に僕を兄貴の如く懐しんで思い出してくれていることを知って、思わず知らず目頭が熱くなってくるのを覚えました。

 生田も来てくれたそうですネ。 兵頭も来てくれたそうですネ。
兵頭は大学に通っているのですか、僕が手紙を出さないものですから。
中浦先生は帰ったら善家君の家にもきっと行くよ、と言っておいでたので必ず行かれることと思います。 日本精神のこりかたまりの中浦先生です。
中浦先生が、恩師豊田先生を立派な人格者として認識されている点、 とてもとても嬉しく思いました。

 豊田先生と云えば、先生からは過日、お葉書きが来ましたが、
『このごろはたいした景気です。 夏祭りの田舎や漁村から出て来た人達は、少さい買い物や活動の入場料に十円・ 百円紙幣の飛出す始末云々』などと面白いことをかかれておいでになりました。

『暑しとも言われざらまし {戈/ ホコ}とりて
 国の{辺/ベ} {護/マモ}る君を思えば』
越智先生からはいつにかわらぬ慈愛のあるお手紙を右の歌と共によこしていただきました。
二千六百年を期して、人生における奔願のために何等かの形に於て、お国のため御奉公を!!と奮起された先生の真摯な大自覚に、心から頭の下がる思いがしました。
僕も越智先生や中浦先生の後に従って、人生の大道を直往邁進して行く覚悟です。

 今日はお父さんからお手紙が来ました。心配ばかりかけて安心させるすべを知らぬ僕は仕様の無い困り者ですネ。
今からは出来るだけお手紙をするように努めますから許して下さい。
しかし、軍務の多忙で昼は落ち着いた手紙を書くことなど出来ず、夜は規則によって身勝手なことは許されず、などなかなか手紙一通が大役です、ハ−−−−−−−。
かりに昼暇があったとしても、戦友達が懸命になって御奉公している時、自分一人斑内にいて手紙を書くなどと言うようなことの出来るものではありません。結極日曜日が一番楽しく待たれる訳です。

 色々のことをかきましたネ。
随分色々と書いたものです。 この辺でサヨナラを。

 昨日、今日の月の美しさ!!
『お月様、母上如何におわします』

 くれぐれお体大切にして下さい。サヨウナラ。
忠勝
お母さんへ。

満州からの手紙#128

 お母さん。 度々お手紙ありがとう。
僕は以前にも増して大元気ですから絶対に心配はいりません。
どうぞ安心して下さい。
重川隊に伝染病患者が続出しているなどと、たれにそんな噂を聞かれたのですか。
そんなことは絶対にありません。戦友一同愉快に毎日の軍隊生活を送っています。
過日、はかりにかかったら裸で十七貫二百ありました。【一貫=3.75㌔】そして丈が五尺五寸五分です。
お父さんやお母さんが心配される程、そうたやすく伝染病にかかったり病気になったりするものですか。

 『衛生!!』と言うことは、中隊幹部の人達以下全員が真剣に成って考えているのです。
呑気なお母さん達の生活こそ、かえって僕達が考えると無鉄砲でヒヤヒヤさせられます。
成程この土地は内地に比較すると、たしかに気候も不順だし、伝染病も夏期は多くてなかなか油断がなりません。
しかし、軍医殿や幹部の人達の言われる通りのことをしておれば、たとえ患者の隣にいたとて大丈夫です。
無駄な心配をしないで下さい。

 それよりもあの遠い来村の友岡様まで行ってお守りを受けて来て戴いたことを、心から有難く勿体なく思います。
しかし、どうぞ無理をしてまで行かぬようにして下さい。
僕はお母さんが無理をしてまで色々として貰っても、少しも嬉しいとは思いません。
僕をほんとうに可愛いと考えられるなら、何はさて置いても、自分の体を先ず第一に大切にいたわって下さい。
僕のために働いて、少しでもお金をのこして置いてやろう、などと考えられるのは涙の出る程その気持ちはうれしいけれど、どうぞ止めて下さい。
それより少しでも滋養になるものを買って、お母さん御自分の体を少しでも元気にするように努めて戴きたく思います。
お金なぞ僕が家に帰れば幾等でも働いて作りますよ。
お金があっても幸福になれぬのが僕の一生です。

 真実、正しい一生が送れるなら貧乏は幾等してもよいと思っています。
ただ豊富に食べたり、飲んだりして送る一生なら、人間よりもっと確かに鳥や獣の方が日々の生活を立派に送っています。
人は食べたり飲んだりする前に、先ず正しい道に立った、徳のある人格的生活をすることが一番大切です。
越智先生の一條に求められている道も、古今を通じて聖賢と言われた人々の行かれた道も、この行方以外に一ツも無いのです。
現在の自分が如何に人格的に貧弱であっても、それからそのため如何に他人から軽蔑・侮蔑・無視されても、希望を遠い将来において、努力精進の一本道を行けばそれでよいのです。 聖賢君子と言われる士はすべて、軽蔑・篤トウ・迫害の一切の試練を一人として受けぬ者はなかったのです。
ほんとうの親孝行は矢張り正しい道に立った人間でなくては出来ぬと確信します。話が横道にそれましたから後もどりします。ハ−−−−−−−。

 中浦先生は宇和島中学校の先生です。もと第二小学校の先生だったということです。
僕との問答が新聞に出ていたのですか、ハ−−−−−−−−。
全くその通りの会話をしたのです。
手紙を出していませんから近日出して置く考えです。
くれぐれもお体を大切にして下さい。 サヨウナラ。
忠勝拝
お母さん。

満州からの手紙#129

 お母さん。
元気で御奉公していますから安心して下さい。
お手紙並びにお守り確かに戴きました。 戦友達に分配してやりましたよ。

 書物の件は心配無用です。
論語前後篇二冊とも前金で支払って置きました。 そして既に二冊とも入手していますから喜んで下さい。
金鷄学院発行の『東洋思想の研究』は、向こう一ヶ年分お金を支払って置きましたから大丈夫です。

 昨日、図書出版の玄黄社から、葉書で目録を送った旨言って来ました。
ズーと以前お母さんにお願いしたことのある『東洋倫理概論』も新しく本が出版されたとのことです。
『王陽明研究、日本精神の研究、爲政三部書』等々も追々買っていく考えですが、お母さんにお金を送って貰わなくても大丈夫、自分の俸給で買っていけますからどうぞお金など送らないで下さい。

 いつの間にかとうとう九月に成りましたネ。
北満の、今日この頃の朝夕は、全くすがすがしくて気持ちがよいです。
お母さんも九月に入ったので、又々次第と多忙になられることと思います。 しかし、くれぐれも体に注意して下さい。
お互いにもう少しの辛抱です。

 すべてを懐かしい回顧の情で追想出来る、楽しい将来を心にえがいて頑張りましょう。体さえ元気であれば、その他のことは第二の問題です。
病身なお母さんなら、それなりに充二分に体に注意して、お互いが不幸にならぬよう努力しましょう。
僕はお母さんが働かれるのが一番恐ろしく思います。
『仕事』といったら、めちゃめちゃに体を酷使されるのがお母さんの昔からの習慣でしたから。
小欲に惑って、大切な体をいためて、後悔の無いようにして下さい。
忙しいので落ち着いてお手紙が書けません。
今夜でも又落ち着いて暇をみて書きましょう。
サヨナラ。
忠勝
お母さんへ。

満州からの手紙#130

 お母さん。 昨夜の月を御覧になりましたか。
全く澄み切った大空にあの光々たる月を仰ぎみる時、月の光がたまらなく眼にしみるような気持ちでした。
殊に夜明け方、地平線の近くまで落ちた月の光に輝し出された広野の風趣は筆舌につくせません。
うっとりと時のうつるのを忘れて、肌寒い晩秋の夜風にあおられ乍ら、随分ボンヤリと色々のことを考えたものです。

 今朝、起床時間より三十分早く起きて勤務先へ出かけたのですが、 調度太陽が地平線から中天へ昇りかけた処で、その神々しい荘厳な姿に心うたれ乍ら、静かに手をあわせてお母さん達のことを心からお祈りしました。
古来、どれ程沢山の人達が、朝な夕なこの神々しい太陽に向かって両手を合せて、その平安をいのったことだろう、などと考えると、そうして両手をあわせて太陽に祈る自分が、不思議と清化されて考えられました。
『ケイケンな心に自然と頭のさがる気持ちがして 両手をあわせる!!』
これは大和民族の世界に誇る特質です。
 『何事におわしますかは知らねども 
  勿体なさに涙こぼるる』
伊勢の大廟に於、自然と西行法師をして、こうした歌を口ばしらせたのは大和民族のたれもが心の底にもっている、ケイケンな宗教的祖先崇拝の意識が斯く云わせたのです。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 お母さん。四日程前から日中の小春日和のあたたかさにくらべて、朝夕の肌寒さは又格別だと思っていたら、今朝は一面の大霜です。
北満も晩秋を越した模様です。初霜をみました。

 春が来たナ、インチュンホワーが咲いたわい、と思っていたら、いつの間にか夏が過ぎ、秋が過ぎて、冬のきざしがほのみえて来たのだから驚かされます。
しかし、九月も半ばを過ぎた今日この頃です。あたり前かもしれませんネ、ハ−−−−−−−。

 昨今は、次々に良書をかりて来て、かたっぱしから読破しています。
仕事の合間合間が、貴重な僕の勉強時間です。 
一昨日は『河井蒼龍窟の学源』という書物を一冊拝業しました。
今日は新しく入手した山本常朝、石田一鼎の 『愚見集・要鑑抄』をむさぼり読んでいます。
書物には不自由しません。心配しないで下さい。

 昨日、石川大人に逢いました。
『君のお母さんに写真を送って置いた』 と言っておりましたよ。
ハ−−−−−−−。

 次第に寒くなって来ます。
体を大切にして下さい。
では、サヨウナラ。
忠勝
お母さんへ。


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