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満州からの手紙#131~#135

満州からの手紙#131

 四温の日が過ぎたのでしょう。 昨日あたりから上天気のわりに吹く風のしんが妙に肌にしみて来るのを覚えます。
今朝は水溜りに薄氷の張っているのをみました。
丘の姿も全くうらぶれて、緑衣の影さえもみられぬまでになりました。
つい四、五日前まで盛んに耳にしていた虫の声もいつしか絶えて、満々たる風の音がわびしく耳辺をかすめて行きます。

 お母さん。
今日は広満君の妹、俊子君から手紙が来ました。
又、京都の帝大に行っている 前田活郎君からもお便りがありました。
今日は僕にとって幸運吉日です。ハッハ−−−−−−−。
活郎君も、後半年で大学を卒業だとのことです。
最も親愛した友が日本の最高学府を終わって世の中に巣立って行くのです。 私は自分のことのように嬉しく思います。

 しかし、うらやましいとは決して思いません。
あの人にはあの人にふさわしいお国や社会への御奉公があるでしょうが、私には又、私に適応した御奉公があるのです。
落ち着いて、私は私の道を精一杯の努力で突進して行くつもりです。
他人の生活様式を眺めてうらやんだり、その真似をしてみても仕方がありません。
人間はその人々に違った個性をもっていて、その個性の中に無いものをつぎこむことも、ひき出すことも出来ません。
そうした正しい自覚をもっていないと、一生どんな立派な生活をしても猿真似に等しい生活しか出来ない訳です。
人の生活を真似た生活に、自分の真価を発揮した、後悔の無い生活のありよう筈はないのです。
おかゆをたべて生活しても、その人の真剣なたれにもたよらぬ真似せぬ生活が誠の生活が 出来ておれば、王侯も及ばぬ立派な生活です。
ただ凡愚な小人の目には、それがどんな風に眺められるか考えられるか、それは知りませ ん。しかし自分の心に疾しい処の少しも無い生活こそ私は尊いかぎりだと思います。

 一昨日、公用で町へ出ました。そして本屋へ行く用件も命ぜられていましたので待望の『東洋倫理概論』や 『王陽明研究』その他、四冊を十円一寸で注文して置きました。ついでに岩波文庫からでている『近思録』と言う本も買って帰りました。
本屋の主人の話では二十日余りで来るとのことなので、その日が心待たれてなりません。 勿論、お金は払いました。 心配無用です。
『東洋倫理概論』 は最近再出版されたのです。 目録を送って来ましたので知りました。私は社会人となっても仕事の暇々には必ず読書する気です。

 読書の真の喜びを教えて呉れたものは、北満の殺風景な駐屯生活のお陰です。
そして読書することによって、今まで過去十年余の学校生活に、何等の感激も好学心も覚えなかった学問に、ひたむきな愛慕の情と絶対活学の必要であることを知り得たのです。北満へ来たということは、私の一生に於いて私を大きく正しい方向へ方向転換させてくれました。
おかげで日雇い人夫となり、かゆをすすって、その日その日を送っても人間として、男として、国民として、社会人としてたれにも恥じぬ一生を送ることの出来る自覚をもつことが出来ました。
随分長く行き詰まって悩んでいた一線上から終に頭をあげることが出来ました。喜こんで下さい。
今からは明確に指示されている方向へ、誤り無く突進すべく大努力精進すればよいのです。
新しい更に大きい悩みがやって来るでしょう。それも結構です。雨ふらばふれ、風吹かば 吹け、です。 ハ−−−−−−−。
兎に角、元気で待っていて下さい。
私は今それだけの言葉しか言うことをしりません。
お互いが体を大切にしましょう。
『元気だ!!』ということは、遠く異郷におり、離れているお互いにとって何よりも一番嬉しいことなのですから。
くれぐれも体を大切にして下さい。サヨウナラ。
忠勝
お母さんへ

満州からの手紙#132

 お母さん。
今日は日曜日です。 久しぶりで東安の町へ外出しました。 かねて本屋へ依頼して置いた 『東洋倫理概論、王陽明研究、 日本精神の研究』は未だ到着していませんでしたので一寸悲観しましたが、そのかわりに『日本の思想文化』と題する本を買って帰りました。

 東安の町では、最初軍人休憩所でぜんざい二杯と羊羹二本をたいらげて、それから本屋へ行きました。ぜんざい一杯が拾銭、羊羹一本十九銭です。
本屋を出て幾日ぶりかで、この町にたった一軒きりか無い喫茶店ラッキーへ行ったのです。
経営者が違っている模様でしたが、ホワイト・ライス (普通の飯) に焼たまご、これで一金一円也ですから驚くでしょう。
物価の高いことは以前の頃と全く変わるところがありません。

 さて過搬来、演習に大多忙だったものですからお手紙のお返事はそのままにして置いたのです。
それでさあ大変です。
今日一日を費やしてもとてもかききれない具合です。
そんな様子ですからお母さんへのお手紙も一番最初にこうして書くかわりに簡単にして置 きます。
今週は色々のことで休日が続きますから、その中にきっと落ち着いて面白いお手紙を書きますよ。
たのしみして待っていて下さい。

 僕は無沙汰の連続をしても必ず元気でいます。
二年いても三年、四年いてもそうたやすくまいったりはしませんから心配無用です。
大いに御奉公して大いに勉強し、大いに体を鍛えて行く覚悟です。

 次第に寒さに向かう折から、どうぞお体大切にして下さい。そしてお仕事の暇々には忘れずお便りをよこして下さい。
長い長いお手紙程お母さんらしくて、僕はいつも大喜びするのですよ。ハ−−−−−−−−。
家においでになる人達にどうぞ四六四九、サヨナラ。
忠勝拝
お母さんへ。

満州からの手紙#133

 お父さん。 お手紙拝見しました。
抜歯の結果なかなか止血しなくて苦しまれた様子ですが、もうすっかりよいのですか。
抜歯してその結果不幸に終わる人も世の中に稀ではありません。どうぞどうぞお体を大切にして下さい。

 お母さんの病気はやっぱり切開手術でなくては駄目なのですネ。お手紙を読んでいる間に体がフルエルのを覚えました。
指圧療法は全く無功に終わったのでしょうか。
少しは小さくなったとか、体の調子がよくなったとか言われていたのは全くの嘘だったのですネ。

 気候がよくなれば手術をしたら!!と言われるのですか。
昨日軍医殿の処へ行って色々と聞いてみました。
軍医殿の専門は婦人科だとのことでした。
この病気は体 (心臓) が弱っておらなければ手術をしても大抵大丈夫だが、心臓が弱っているとマスイがもどらずそのまま死ぬことが多いそうです。
軍医殿が今迄手術された人は、柿の大きさ程の人達ばかりで一人も不幸をみた人は無いそうです。
お母さんの場合は、年をとられているし、年月があまりに経過していてコリも驚く程大きく、体も大分衰弱されている様子だから--------------

 この病気を放置していると第一に心臓が弱って心
臓麻ヒにかかり易いそうです。又、何とかいう病気に変化すると手術をしても手おくれだとのことです。
話を聞いている間に呼吸のつまる気持ちがして僕は思わず涙ぐんでしまいました。
軍医殿は、
『医者が絶対大丈夫と保証すれば一日も早く手術をさせたがよい。しかし、あやふやなら君が除隊するまで待って貰って、熟考の上手術させるがよかろう』とのことでした。
小便を度々催すのもこの病気の特質とのことです。

 お父さん。お母さんの体の様子をくわしく知らせて下さい。出来るだけ僕もその病気をしらべてみたいと思います。
指熱療法をしても肉のつくのは止まらぬとのことです。
又この病気をする人は多く子供を産んだことの無い人に多いのだそうです。

 長い間、親不孝者の僕はお父さんやお母さんに心配と苦労ばかりかけて来て、ただの一ツも孝行らしい真似さえ出来なくて、お父さんやお母さんに、もしものことがあったら、僕は生きる希望さえ無くなります。
どんなことがあってもどんなことがあってもどうしても僕が帰るまでは元気でいて貰わなくてはいけません。

 死は世の定々、諸業は無情だとは言え、僕はとてもあきらめきれません。
戦友達の中で満以来、幾人かの者は父母に死離しました。そんなことを見るたびに、それが自分のことの様に思われて一日飯がのどを通りません。
この身がお母さんとかわれるものなら、と、つまらぬことを考えてみたりするのですが。
僕がお父さん達の処へ帰るのもそんなに遠い将来ではないと確信しています。
だから、どうぞ、お母さんに無理をさせないようにして下さい。せめて僕に孝行の真似ごとでもさせて下さるまでは ! !

 一応医者によく診察して貰って、その結果を正直に知らせて下さい。
そして現在のありのままの病状を知らせて下さい。
以前より、心臓や体が矢張り弱っているのでしょうネ。
正直に知らせて下さい。
医者の処へ行く時は、今迄のあらゆる病状をくわしく話して診断の参考にして貰って下さ い。

 お母さんにはこの手紙をみせないで下さい。
僕にお父さんの歯のことでも、 自分の病気のことでもそれらしいそぶりさえみせて貰えぬだけにそれだけ胸につかえて、お母さんがいじらしくてなりません。
お父さんだけは男と男、絶対そうした家庭のことをかくしだてしないで下さい。
お母さんが僕を母心でだましておられるのです。 僕も知らぬ顔でお母さんにだまされていたいと思います。
それではどうぞお体大切に。お返事を待っています。サヨウナラ。
忠勝
お父さんへ
誠心の籠もった送り物有難く有難く戴きました。


満州からの手紙#134

 お父さん。
昨夜は日曜日の晩だから、と言うので戦友の古兵さんにすすめられてビールを少し飲んだ ところさっそく御利益があらわれて、今朝は向うはちまきでもしておりたい気持ちです。 こんなことではビールを飲んだのではなくてビールに飲まれた方に近いようです。ハ−−−−−−−−−。
頭がガンガンして目がクラクラするのですから、全く。

 晩秋の夜明けは清冷な大気の流れと共に、またたく金砂銀砂の星くずの輝きから明けそめて行きます。
静寂の中にすべてのものを抱擁して明けて行く東の空!!迫力が満ちあふれています。
真実、お国の為、社会のため、人として、男としての (賎/シズ) が誠を尽くしたいと考えるなら、私は何はさておいても黎明の大空に向かって聞いてみなければなりません。
人の(思惑/オモワク)を気にかけて、人の心にひきずられていたのでは、何一ツ男としての仕事は出来ぬに違いありません。
 『世の人よ、よしあしごとも言わば言え 
  賎が誠は神ぞ知るらん』
松陰先生の一生は、徹頭徹尾賎が誠の実現にありました。生死の念を忘却し超越して賎が誠を発揮すべく実践窮行されました。
人の思惑などふりむきもせず、直接神に向かって呼びかけられた処に、私は松陰先生の偉大さをしみじみと覚えます。
 『あさみどり澄み渡りたる大空の
  広きをおのが心ともがな』
私はいつもこの御製を味わって朝な夕な無限の道味を感じるのですが、実際澄みきったあ の大空程、人の子の心に何かしら敬虔な念を起こさせて、何ごとかを語っているごとく思わせるものはありません。
それもその筈です。
天はありとあらゆる万物を抱擁して明らかに造化の神(天)と同一真性の霊ある人間の辿るべき道を示していてくれるのですから。
限り無い静けさと、果しない深さをたたえて、 無言の中にすべてのものをいだいている天!! そこには知・情・意の葛藤も無く、主客の対立も無い、真無限の大風光あるのみです。無礙自由な大自然あるのみです。

 中庸に 『誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり』
と説かれていますが、 真に天を知り、天に帰一して天人合一の徳をおさめてこそ初めて人間が人間としての価値を、男が男としての価値を発揮させることが出来るのです。
人間は到る処で、あらゆる事柄に引っ掛って、 {拘泥/コダワ} って、 {悶躁/モガ}いています。
富貴に、功名に、栄達に、疾病に、生死の問題に。こうした苦悩はつまり吾々人間に悩む心と、悩みを与えるところの対象たる事物が対立しているからです。この対立した世界を超越した処が真の境地で、天そのものです。
仏教の禅家などでよく言っている『無』とか『虚』という境地です。陽明先生はこれを 『中』と言っているし、道教では『抱一』とも言っています。 皆同じことを様々の角度から眺めて云っているので、一口に悟りとはこの境地を指して言います。

 孔子が心の欲する処に従って{則/ノリ} を越えぬようになった、と言われたのは、孔子の人格が天に帰一して換言すると同一になったことを言うのです。 即ち {悟/サトリ)を開いたことなのです。
聖人・賢人・君子も皆自らの修養により人格を高めることによってなり得るので、生れ乍の聖人はかつて一人もありません。
世界の三聖人と言われている、孔子もキリストもおしゃか様も、又ストア哲学の聖マホメットも、みんな人間として試練を受け、いばらの道を歩み、迫害を受けつつも自らを{育/ハグク}むことによって、かく偉大なる聖人となったのです。
松陰先生然り、熊澤藩山然り、山崎アン斎然り、中江藤樹然り、山駕素行然りです。
人間と生まれ、男と生まれたからは、何等かの形において、何か国家・社会のためお役にたたなくては!!そう言った越智先生の後をうけて、私も何等かの形に於いて精一杯の賎が誠を発揮して、多少なりとお国のため、社会のためお役にたつことの出来る男一匹になりたく念願しております。

 すっかり夜があけました。狭霧が一面にたちこめて秋枯れた広野の面をかすめて行きます。今日も精一杯頑張ります。
時節柄御自愛専一に祈っています。 サヨウナラ。
お父さんへ
忠勝

満州からの手紙#135

 前略、其の後お変わりなく過ごされておいでになりますか。私は至極頑健で御奉公しておりますから御休心下さい。
偖て、北満もいよいよ寒さを増して来ました。
御地は如何ですか、お伺いします。

 昨日など日中が零下七度、 夜間が零下二十度も下って、今年の冬を向かえて最初の北満らしい寒さを味識したことでした。
窓ガラス越しに眺める舎外の様は明るい日ざしがそこらあたり一面に溢れていて、全く内地 の麗らかな小春日和を想わせるのですが、 一歩戶外へ踏み出すとジーンと寒さが肌身に浸みて来るのを覚えます。
寒さも軽装で人間の意志の強さと共に克服出来る間はさのみ驚くことも、 意にとめる程のことも無いと考えられますが、度を越して酷寒などと言うまでになって来ると全く仕末に悪いことおびただしいです。
重い防寒具を身一杯につけてみると、今更に内地の冬など心懐かしくさえ思われます。
しかし、それは北満の酷寒という味を身をもって体験したことのある人間がいうことで、年寄られたお父さん達にとっては内地の冬の寒さもさぞ骨身にきつくこたえられることでしょう。

 沈黙の戦いを続けながら緊張裏に朝夕を送り向かっているとは言え、北支・南支の戦友達に比較すると平和な静かな毎日です。
この静かな国境の駐屯生活がいつのまにか私の心を弛緩させた故でしょうか。私はよくお 父さんやお母さんのことを考えてたまらない気持ちになることがあります。
『家にいる時は随分いけない奴だった。そして今までにお父さん達を喜ばせてあげるような真似ごとさえ出来なかった自分だったが』
などいつもそんなことを考えては胸の疾くのを覚えます。
お父さんやお母さんにその当時平気で言えた無理な我儘が今頃に成って私の心を鞭うつのも親不孝の罪だとしみじみ思います。

 私はこの三年間の軍隊生活を何等かの点に置いて意義あらしたく常々考えて来たのでしたが、お陰で私は人間としての最重要な自覚の世界を朧ろながらに認識することが出来ました。
俗世界を遠く離れたこの地では世間の無意義なイデオロギー的様々のことがらに拘泥する 必要が全くなかった訳です。そしてそれだけ周囲の人間のすべてが赤裸々で、私は意外に大きく尊い試練と体験を得た訳です。
私はこの試練と体験の中でとりすました考成人の様な人間としてではなく、青年らしい若々しさと熱情をもって、泣いたり笑ったりして皆と共に毎日を送り迎えました。
そして私は全く未知だった人間同志の様々な世界の場面を胸の中に焼印して来たのでし た。
『活学』とはこんなことを言うのでしょうネ。 ハッハ−−−−−−−。

 むつかしい理論めいたことを書くのは慎みましょう。
それだけの価値も力も出来ておらぬ者がとやかくいっていると、側でみていて笑止千萬でおかしいものだということを私はよく知っている筈ですから。

 今日は靖国の宮の霊大祭で隊では点呼まで外出が許されて戦友達の殆どが大悦びで町へ出かけています。
兵舎はガランとしてしずまりかえっています。
ペンの紙上をかすめる音が一種のリズムをおびて聞こえて来るのも落ち着いた気持ちの時でしょうか。
入れ歯は成功に終わったそうですネ。
北満の大空に向かって一生懸命に祈ったかいがありました。
お金のことで心配をされない方がお父さんらしくてよいのですが、腕一本で生きて来られたお父さんの子供が、将来やっぱり腕一本で生きぬいてゆけぬ道理はありません。心配無用です。
なまじか親の無智な、いとおしむ愛情が子供の一生を番ぐるわせする、ということを思って『可愛い子には旅をさせ!!』です。
勿体無いことを、すみません。
どうぞくれぐれ御自愛下さい。サヨウナラ。
忠勝拝
お父さんへ
十月二十三日



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