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Virginity―ユニコーンの囁き(8)

 当作品はBL小説です。
男性同士の恋愛感情がでてきますので、苦手なかたはスルーをお願いします。

《前回のおはなし↓》



 ジリアン・ロイは、カナディアンロッキー西部の麓の町でー番大きな病院に収容された。
 捻挫だけなら、すぐに退院できると思った。
 しかし破傷風を発症していることが判明すると、集中治療室に入れられてしまった。
 症状が重い場合には、死に至ることもあるようだ。クレメンス・ウッドローが傷口を消毒してくれたため、比較的軽くすんだらしい。
 彼の悪友だという病院長は、 悪態ともつかない言葉でその応急措置をほめていた。
 家族や友人たちから、おどろくほど多くのSNSやメールが届いていた。
 まずは母のバーバラに、無事を知らせて居場所をつたえた。両親の次にウィリアムに連絡をとろうとしたところで、スマートフォンは看護師あずかりとなってしまった。
 あまりに鳴りつづけるものだから、治療にさしつかえるというのだ。
 ジリアンは熱がさがったとき看護師を呼んで、ウィリアムにSNSを送った。簡単な病状と病院の場所のほかに、「会いたい」とだけ記した。
 夜半にはふたたび発熱し、ものを考えられない状態が続いたから、点滴と投薬を受けながら泥のように眠った。
 ジリアンが消息を断ってから、父のエリックはありとあらゆる人脈を駆使して手がかりを探したという。
「もう、心配ばかりさせて! この子は…っ」
 化粧もながれるほど泣きつづけるバーバラを目にして、ジリアンは目を丸くした。彼女はもっと強い女性だと思っていた。伴侶がいなくともやっていける、自立した人だと。
 小柄なエリックがバーバラの肩を抱き、辛抱強くなだめている。
 両親が一緒にいるところをひさしぶりに見るのは、なかなか悪くない気持ちだった。


 ジリアン・ロイは、すっかり忘れていた。
 ウィリアム・ヒューバートはきわめて温和な人柄だが、ひとたび噴火すれば抑えることは困難だということを。
 五日後の午後、ジリアンはビニール製の天幕からでることをようやく許された。まだ歩くことはできず、車椅子を借りた。
 まずは、外の空気が吸いたい。
 疲れない程度にするよう注意をうけながら返してもらったスマートフォンを手に、中庭にでた。
 寝てばかりいたので、筋肉が萎えてしまったのではないだろうか。
 退院したらストレッチからはじめて、トレーニングのメニューをつくらなければならない。
 ジリアンの容体が安定したので、両親はいったん帰宅した。父は仕事にもどり、母は着替えをもってきてくれるという。
 ひとりになれたので、ジリアンはほっとした。
 ようやく、ウィリアムに電話ができる。ますば、なにから話そうか。
 人気の少ない場所をもとめて中庭へ移動をはじめた途端に、スマートフォンがびりりと鳴動した。
 ジリアンは反射的に身をすくめた。
「…はっ、はいっ…。…ヒューバート……? ウィル!」
 着信履歴を埋め尽くし、今も電話をかけてきた当人が、ジリアンの前に仁王立ちしていた。
 人はあわてると、とっさに頓珍漢な行動をとってしまうものらしい。
 ジリアンは、変に間延びした調子で友にあいさつした。
「やあ…」
 ウィリアムは穴のあくほどジリアンを見つめ、やがて唸るように言った。
「なぜ…――」
「ウィル…―」
「なぜ、黙って消えた…? 死ぬ気だったのか!」
 低く抑えられていてもびりびりと肌に感じる怒気に、ジリアンは反射的に目をとじた。
 殴られても、不思議ではない気がする。
 しかし、いつまでたっても拳はふってこない。
 ジリアンは薄目をあけ、ウィリアムを見た。
 彼は歯を食いしばって耐えながら、じっと返事を待っている。
 ジリアンはベッドに縛りつけられていた間じゅう考えていたことを、ぽつりぽつりと語った。
「…ぼくは、死にたかったわけじゃないと思う…。ただ、ひとりで考えてみたくて、山へ行ったんだ。…だけど、みっともなく崖からおちて、人に助けられてここへもどってきた。…ウィル。きみとゆっくり話がしたいと思っていた。だけど、昨日までビニールのテントの中にとじこめられていたんだ。…さっき、外に出る許可がおりたばかりさ。…なんだか、まぶしいね…」
 ジリアンはウサギのように空気の匂いをかいで、目を細めた。
 澄んだ大気と日射しは、大都会トロントと違って肌に強く当たる感じがした。
 空気は草の青さを含んで香り、吹きぬける風は小さな病院の中庭にいてさえ、心を透明にしてくれる気がする。
 のほほんとしているジリアンがもどかしくなったのか、ウィリアムが軌むような息をもらして呻いた。
「きみは…、あやうく死ぬところだったんだぞ…!」
「心配させて、ごめん…」
 本当に悪かった。そう思ったので、ジリアンは車椅子を動かしてウィリアムのそばに行った。
 先ほどからうつ向いている、彼の顔がよく見えなかったのだ。
 見あげるジリアンの頬に、何か熱いものがおちてきた。
 ウィリアムは、拳で荒っぽく顔をぬぐった。
 ジリアンは気づいていなかったが、彼は先ほどから男泣きに泣いていたのかもしれない。
「……、っ、は…っ」
 聞きとりにくいその声を翻訳すると、こうだ。
 きみがひとりで山に行ったことを、ソフィアから教えられて知った。親友のはずの俺は、なにも知らされていなかった。
 もうすぐ、返事をする約束だったのに。
 彼女と別れてから、きみと暮らすためのアパートを借りるためにアルバイトをはじめた。少しは、資金も貯まった。
 両親にも姉にも、きちんと話を通してある。
 準備ができてから、返事をするもりだった。
 それから、一緒に部屋の下見をしようと思っていた。
 なのに、きみは…。
 黙って俺の前から、いなくなった…!
 なんだか、うまく頭が回っていない気がする。それとも、眩暈がしているだけなのか。
 ジリアンは、ゆっくりとまばたきをした。
「…話って、なんだい」
 頭上で大きく、風が巻いた。
 人肌以上の温度を持つ熱風が、伸びかけたジリアンの髪をふわりと舞いあげる。
 頰にも肩にも、同じ風が触れた。それは熱くて重く、湿っていた。
「…きみのいる人生を、俺から奪うな――。結婚してくれ、ジリアン――」
 体がふわりと浮いた感じがした時、ジリアンは車椅子ごと、ウィリアムに抱きすくめられていた。
「…あ――!」
 誰かが中庭に、やってくるかもしれない。…そろそろ、病院に戻る時間なんだ。
 いくつものことを言いかけたけれど、唇にも降りてきた熱風が、ジリアンから全ての言葉を奪っていった。

「…その、ウィル。ちょっと不思議なんだが…」
「…何がだ?」
 ジリアンが回診を受ける時間をのぞいて、ウィリアムは一時もそばを離れずにいた。
 ほかの患者と相部屋になるところを、母が個室に変更してくれた。おかげでこうして、プライベートな話もできる。
 さきほどは驚きすぎて聞けなかったことを、ウィリアムにたしかめてみた。
「…きみは、ぼくのことを友達だと思っていたんだろう。いつの間に、結婚まで考えるようになったんだい」
 ウィリアムの豹変は唐突にも感じられたし、結論は少々一足飛びに過ぎる気がする。
 普通はいきなり結婚しないで、交際期間をもうけてから婚約へと至るだろう。
 気心が知れた自分たちの場合は、お試し期間をもつ必要はないのかもしれないけれど。しかし、焦ることはないとジリアンは思うのだ。
 ウィリアムは口ごもりつつ、ぼそぼそと次のようなことを語った。
「……ジリー。きみに告白されてから、これまでのできごとを振り返ってみたんだ。きみの目はいつも、なにかを語りかけているようだった。俺はずっと、それに気づかないふりをしてきたんだ。それは…とても残酷な仕打ちだったと思う」
 ジリアンはなにも言わず、わずかに目を開いて彼を見た。
 ウィリアムはいったん目をとじ、一呼吸おいてからつづけた。
「俺は、ひどい男だ。…これまできみを悲しませてきたことを、なんとか償いたいと思った。…もしもきみが、まだ俺を好きでいてくれるなら…だが」
 ジリアンはベッドの上で上半身を起こしたまま、ウィリアムを見た。
「…ええと。それは、同情ってことかな。それとも、責任感とか」
 責めるつもりはなかった。ただ、事実関係を整理するために発した言葉だ。
 しかしウィリアムは唇をかんで、苦しげにジリアンを見た。
 彼は拳をかたく握りしめてからほどき、シーツの上に置かれたジリアンの手をとった。
 点滴と注射痕の残る腕を見つめてから、いたわるように撫でさする。
「…ジリアン――きみを、守りたい。それが、俺の願いだった」
「…ウィル……」
「もう、遅すぎるかもしれないと思う。失いそうになって、やっとわかったんだ。…ずっと、きみのことが好きだった。…どうか、結婚してほしい…」
ジリアンは、頭を垂れて懇願する親友の姿をじっと見た。
「…気持ちは、本当にうれしい。…けど、ウィリアム。現実を見ろよ…」
 ジリアンは、一通り懸念されることを述べた。
 子供を持つこと、家庭を得ること。
 スター選手のケアをする、一流のトレーナーとしてみんなから尊敬されること。
 同性と結婚すれば、一般的な幸福の指標として挙げられるようなことは叶わなくなるだろう。
 そのデメリットについて、彼はきちんと把握しているのだろうか。
 ジリアンは自分が身を引こうと思った理由を一通り並べ、ウィリアムの意志を確かめた。
「よく、考えろよ? 今ならまだ間に合うんだから」
 ベッドの脇に座るウィリアムをちらりと見ると、むっつりと押し黙っている。
 冗談めかして言ったことが、また彼を怒らせたのか。
 ジリアンは目を伏せ、言葉をえらんだ。
「何も考えずに好きだと言ってしまったから、あとでいろいろ考えたよ…」
 きみの夢と将来を閉ざす権利が、ぼくにあるんだろうか。
 好きだから、きみの幸福を奪いたくなかった。
 だから、いさぎよくきみの前から、去ろうと思った。
 なのに、夢の中でもきみの名前を呼ぶ始末さ。
 そばにいられれば、それがー番うれしい。
 でも、それができなくても。
 やっぱりきみが好きだよ、ウィル…。
 ジリアンは静かな独白を終え、親友の顔をちらりと見た。
 ウィリアムは長く深いため息を、シロナガスクジラのように押しだしてかぶりを振った。
「……。…だめだ…」
「…うん? なにがだめなんだ」
「…ジリアン。俺はきみを、永遠に愛する――」
 誓いの言葉にも似たことを無骨な口調で言われ、ジリアンは耳まで赤くなった。
「…え…。ちょっと、その…」
 大げさすぎや、しないかい。
 そう言いかけた時、ベッドの上に起こした上体に、樫の木めいた二本の腕が回る。
 これでは、ぴくりとも動けない。
 ジリアンは、その発達した筋肉が盛りあがるひじから先に手をかけて、ようやく言った。
「そろそろ、両親が戻ってくる時間なんだ…」
 ウィリアムは黙って腕の包囲をゆるめるどころか、きつくする。動けないどころか、呼吸するのも苦しいほどだ。
「…ウィル…、っ…」
 ウィリアムは、低い笑いを響かせて言った。
「…だめだ。許さないぞ」
 頭のてっぺんに重い顎を載せられてから、ぐりぐりと頬ずりされる。おまけにキスの雨が降ってきて、ジリアンは降参した。
「…悪かった…。もう、どこへも行かない。頼むから、少し…」
 締めの長いキスから解放されたジリアンが、まだウィリアムの腕の中にいる時だ。
 ようやく息を整えた位のタイミングで、ノックと同時にドアが開いた。
 エリックとバーバラは、我が息子が熊のような大男に囲われているのに凝固した。
 以前家に遊びにきた隣家の息子によく似ているが、別人だろうか。
「…ええと。きみは――?」
 最初に理性をとりもどしたエリックが、礼儀ただしく質問を投げかける。
 バーバラは声もでないほど驚き、気を失いそうになっていた。
「…ウィリアム・ヒューバートです。病室にまでお邪魔して、すみません。息子さんと結婚したいと思っています。今日はその、報告に来ました」
 大男が息子を腕に抱いたまま、少しも悪びれずに結婚報告をする。
 我が息子ジリアンが、ゲイであったとは。それすらも初耳だ。
 世界を股にかけるIT企業のCEO・エリックは、産業スパイが忍びこんだと聞かされた時より面食らった。
「…そ、そうなのか。ジリアン。私はなにも聞かされていないが…」
 六つの目が、一斉にこちらを見る。
「…あ…、ええと、その…」
 ジリアンは、急速に思いだしていた。
 インタビュー中の爆弾発言によって、その名が知れ渡った一組の同性カップルを。
 世界じゅうに放映される電波にのせて、結婚宣言をぶちかました男の名を。
 その名は、マックス・ギュンター。
 彼に相談をした以上は、その顛末も似た経過を辿るものかもしれなかった。

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