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Virginity―ユニコーンの囁き(9)

 当作品はBL小説です。
男性同士の恋愛感情と、性行為があります。描写を抑えておりますが、苦手なかたはスルーをお願いします。

《前回のおはなし↓》




 退院したジリアン・ロイは、ウィリアム・ヒューバートの探したアパートで同居をはじめた。
 ジリアンは時折、いたずらっぽい光を瞳に浮かべ、ウィリアムをからかうことがある。
「…一流のトレーナーになるきみの夢は、叶えなくていいのかい」と。
 ウィリアムは、笑って言うのだ。
「きみが俺の夢だ、ジリアン。きみは、最高のアスリートだよ」

 ウィリアムは、口ごもりながら彼にたずねた。
「…その…。きみはいいのか、ジリアン…」
 近いうちに内々で婚約をしようという話になっていたから、自動的にジリアンの処女はウィリアムのものになる。
 いつもさらりとした態度のジリアンが、めずらしく耳まで赤くなって横を向く。
 彼は他人ごとのような、心もとない返事をよこした。
「…たぶん、かまわないと思うよ…。…きみがそうしたいと望めば…の話だけど。…でも、どうしよう」
「なんだい、ジリー」
「ぼくは、なにも考えていなかった。…この場合、どっちがする側になるんだろう」
「…なに」
 ウィリアムは、顎を落とすほど驚いた。
 ジリアン・ロイは多くの恋愛経験をもっているだろうと、周囲の人間は信じていた。しかし当の彼は、図書室にこもってシェイクスピアを学んでいたのだ。
 二十二歳の今日まで、純潔をたもっていたとは。
 たしかに恋愛の話は苦手そうにしていたから、淡白な性格なのだとは感じていた。
 子供のようにピュアな状態で、告白してきたのか。ジリアン・ロイは、不思議な青年だった。
 ウィリアムは、内心頭を抱えながら希望を述べた。
「…それは…。…俺のほうが、したいな。きみに、異存がなければだが」
 ジリアンは具体的な光景を浮かべようと努力し、すぐにあきらめて肩をすくめた。
「…だめだ。なにも浮かばない。…きみにまかせるよ」
 彼らはようやく、キス以上の段階へ進むことで合意した。
 ひどくじれったい進行にみえるだろうけれど。自分たちの気持ちにぴったりした在り方を探すほうが大事だと、ウィリアムは感じていた。
 友人の枠から一歩踏みだしたジリアンに、自分は言ったではないか。
『これは、まだ名前がつかない俺たちのハグだ。…ジリー』
 寄せては返す心の波に、新緑色の瞳を揺らめかせていた。 
 ふらつきそうな彼を、この腕に抱きしめたではないか。不安をぬぐい去り、支えてやるために。
 …なんのために、生まれたんだ。
 …そんなことは、わからない。
 ただ、あの瞳をずっと見つめていたいと悟ってしまったのだ。言葉よりも深い、どこか腹の底あたりで。
 劣情が湧かないといったら、嘘になる。
 ほんとうは、いつだって触れたい。
 軽く肌に触れただけで、全身の血液が沸騰するのを持て余している。体を繋ぐ夢なら、何度も見た。…苦しい。
 けれども、同じだけ強く彼を守りたい。無垢な瞳を支配したいと希う、自分自身の衝動から。
 ウィリアムは恐れていた。かつてジリアンを傷つけたチームメイトと、同罪に陥ってしまう欲望の罠を。
 告白されて舞いあがるほどうれしかったのに、自分を抑えたのはそのためだ。
 自分自身で、証明しなければならない。ジリアンへの思いが、ほんものであることを。
 責め苦に似た日々が続くことを、ウィリアムは覚悟した。 想像以上に無垢なジリアンの性質上、早々に発展することはないだろうと思ったからだ。
 まずは、ともに暮らすことを喜ぼう。毎日彼の顔を見て、食事をともにする。ハグとキスで、日々の愛情を表現する。 
 今はそれでじゅうぶんだ。いつか彼が、自然にしたいと思うことがあれば、それが一番いいのだから。
 そして、その日は思ったより早く訪れた。


 しっとりと降り続く、雨のように。くりかえす呼気が湿度を高め、肌にも髪にもしっとりと熱がこもる。
 さきほど浴びてきた人工の雨が、さらなる湿りをあたえていた。
 長い口づけをかわしたあと、ウィリアム・ヒューバートが耳朶をくわえて囁く。
「…Je te veux…」
 …ジリー。
 …きみがほしい…。
「…あ――……」
 …どう、すればいい…?
 揺れる瞳ととまどう体を抱きあげ、ベッドルームへと運んだ。
 繊細なジリアンは、バスローブの中に手を入れるだけでぴくりとした。
 おどろかせないよう、不安がらせないよう、慎重にステップを積み重ねる必要がある。
 浅い呼吸がおさまるのを待って、バスローブの前をそっと開く。やわらかな光を放つ素肌を、しばし瞳で愛しんだ。
 ジリアンの体は、しなやかでなめらかだった。体幹を鍛えているが、ごつごつした筋肉を感じない。
 手のひらで肌を包み、あたためる。ジリアンの浅い呼吸が、おだやかに鎮まるのを待った。
 見惚れるほど美しい体のラインを愛でながら、包んだ手のひらの位置をずらしてゆく。腰を包み、削げた腹に頬を乗せてすりつける。
 体幹部にある一番深い場所に口づけたとき、白い肌が耳まで染まった。
 声を抑えるために口元を覆った手を、そっと外してやる。
「…聴きたい…」
 ジリアンはうろたえ、とまどいを隠せずに救いをもとめてきた。
「…ウィル…、…っ、……」
 ウィリアムは、動作をとめて彼を見た。苦痛に似たものが
、瞳の奥に留められていた。どうにか今なら、引き返せる。
「…ジリー…。いやなら…」
 やめることもできる…。そう伝えようとした。
 ジリアンの潤んだ目が、囁いていた。
 ウィル…。
 どうしたら、いい…。
 どうしたらいいか、わからないんだ…。
 普段の彼とはまるで違う、すがるような目に眩惑された。

「…ぁ…。…ウィル……、は…っ…」
 あちこちにキスをしながら、慎重に指を入れ中を清めてゆく。
 慣らしの意味合いと、挿入が可能そうかについても確認するためだった。
 不慣れなジリアンはそれだけでぐったりし、されるがままになっていた。
 やめておこうかと訊いてみたけれど、青ざめながらも気丈に言うのだ。
「…そのうち、慣れる…。大丈夫…だから…」
 愛しさが、こみあげる。
 目に厚く靄がかかり、周囲のものが滲んで見える。
 二人分の呼気から発する蒸気で部屋には熱がこもり、さらさらして軽いジリアンの髪をしっとりと湿らせる。
 ウィリアムが、その腰を探く抱いた。
 両の膝裏に手を入れて、足を肩にかつぎあげる。
 苦しい体勢になるが、バレエのレッスンをつづけているジリアンには不可能ではないようだ。
 そのまま体を割り、奥を貫く。
 ジリアンの息づかいが、苦しげなものに変わる。
 だが、ウィリアムの体に添えた手を離そうとはしない。
 救いをもとめるように、名前を呼んだ。
「…ル。…ウィル…っ…。…は、っ…、……」
 彼を苦しめているのは、自分であるのに。
 呼べば助けてくれるものだと信頼しきって、すこしも相手を疑っていない。
 澄んだ眼差しが、胸に深く突き刺さる。
 ウィリアムは呻き、深く彼を抱き直した。
 ジリアンのしなやかな体が、海老のように反る。
「ああぁあああぁ――……」
 瞼の裏で、数多の星が砕け散る。
 それはまるで、ひかり輝く銀盤にみえた。

 工芸細工のような、睫毛がふるえる。まぶたが揺れて、もちあがる。
 隙間からのぞく新緑が、ウィリアムの胸を射る。
 可能なかぎり、慎重にことを運んだ。
 それでも、傷つけない保証はない。
 彼が気を失ったあと入念に手当てをし、目覚めるのを待っていた。
 ジリアンは、幼子のように囁いた。
「……、ウィル…?」
 ここにいる…と答えるかわりに、余熱に支配された肌をすりよせ、抱きしめた。
「…無理をさせて、すまなかった。体は、大丈夫か…?」
「…うん。たぶん…」
 ジリアンは言いさし、どうなったんだっけ…とつづけた。
「……ぼくたち…、ちゃんとできたのかな」
 ウィリアムは、その頰にキスをして言った。
「大丈夫だ。最後までいったから」
「…ああ、そう…。それなら、よかった…」
 ほっとしたジリアンは、今にも眠りこみそうにぼんやりしていた。
 しばらく安静にするように言ってから、ウィリアムは彼の顔を両手でくるんで囁いた。
「…ありがとう、ジリー。きみの大切なものを、もらったよ」
「…うん?」
「…きみの処女は、俺のものになった。…もう、誰にも渡さない。きみは永遠に、俺のものだ」
 普段のジリアンであれば、大げさすぎると指摘したことだろう。しかし今の彼はひどくぼんやりしていて、ウィリアムの言葉を聞き逃したようだ。
 いいかげんにこたえて目を閉じ、枕に頭をおとしてしまった。
 ウィリアムはほほえみ、額に散った亜麻色の髪をととのえてやる。額にキスをして、抱きしめる。
 この先なにがあっても、踏みとどまって彼を愛しつづけよう。ジリーがこの腕にもどってきたのだから。
 ウィリアムの周りで、天使がやわらかな翼をひろげた。

 ジリアン・ロイが、フィギュアスケート競技にもどってきた。
 樫の木ほどもある上腕のたくましいトレーナーをともない、これまでにない輝きを新緑の瞳にたたえている。
 ボードワン・マスネは顎に手を当て、強敵の復活を教え子に告げた。
「…ふうむ。あれは手強いぞ」
 氷上のイノシシならぬマックス・ギュンターは、大きな口を不敵に曲げて言うのだった。
「本望だぜ。正々堂々、打ち負かしてやらー」
 その年の世界フィギュアスケート選手権は、0コンマ以下の得点を争う白熱した展開になった。
 最初に行われたショートプログラムで、ドイツのマックス・ギュンターが爆発力のあるジャンプを連発し、首位で発進した。ジリアン・ロイは二位につけ、ロシアのセルゲイ・マシンスキーが僅差で追う。
 翌々日行われるフリースケーティングは、競技時間が長い。この競技が見た目の優雅さと真逆に、四分間の全力疾走と呼ばれるゆえんだ。
 地獄のフィニッシュまで質を落とさず滑りきるために、スタミナと体力のある選手が有利とされる。
 セルゲイ・マシンスキーは、顔色ひとつ変えず過酷なプログラムを滑りきるため、スケートサイボーグと噂されていた。
 マックス・ギュンターは、動物的な勘と生命力の塊のような男だ。彼に欠けている情感や優雅さを、伊達男のコーチによって補完できれば無敵であろう。
 ジリアン・ロイはスケーティング技術の高い選手で、手堅く演技をまとめてくる。爆発力はないので、ショートプログラム向きとの前評判だった。
 マックスはフリースケーティングでバレエの「海賊」を演じ、持ち前の不敵さと躍動感で観客を大いに沸かせた。選曲の勝利であり、はまり役といえた。
 氷帝として君臨してきたセルゲイは、クールなイメージを一変させた。無慈悲なトゥーランドットの心を溶かす、カラフ王子をで情熱的に演じきった。
 ライバルたちの白熱した演技がつづく。
 最後に名前をコールされたジリアン・ロイが、銀色のステージにあらわれた。
 ひと蹴りでぐんと伸びるスケーティングで、リンクの中央にすすんでゆく。
 コーチやトレーナー、恋人や肉親の誰ひとりとして手助けすることのできない、孤独な闘いがはじまるのだ。
 大事な大一番のプログラムに、ジリアンはアイルランド民謡の「夏の終わりのバラ」を選んでいた。振付はシェイクスピアのソネットをモチーフに、自身でおこなった。
 美しい曲だが静かな小品は、大勝負には向かないとの前評判も囁かれた。しかし彼は自らの意志を貫き、プログラムを変えなかった。
 衣装は白いシルクのシャツに、黒に近い焦茶色のパンツというシンプルなものだ。同色のベストの胸には、赤いバラの刺繍が施されている。
 ジリアン・ロイは、自らを抱きしめるような開始のポーズを解いて、なめらかに滑りだした。

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