Virginity―ユニコーンの囁き(10)〜エピローグ
この作品はBL小説です。男性同士の恋愛をあつかっています。
苦手なかたはスルーをお願いいたします。
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《前回のおはなし↓》
夏の終わりに、たったー輪残ったバラの蕾があざやかに赤い。
だがその仲間たちは香りもなく枯れ果て、土に伏している。
友を喪い、たったひとり生き残ることに、何の意味があろうか。
だから私は、その花を摘みとりベッドに散らした。
お前だけを、逝かせはしない。
バラよ、私もいずれは後を追う。
形あるものはいずれ、死神の大鎌に刈り取られ、ひとしく地上から消え去るだろう。
若々しい美しさが滅びても、私はその香り高さを忘れまい。
せめてお前の美を、筆にしたため書き残そう。
百年後の人々の目にも、お前の姿が眩しく映るように。
お前だけを、逝かせはしない。
友情が崩れ去り、愛する者も真心も枯れ果てた、荒涼たるこの地上で。
誰がひとりで、生きられようか。
バラよ。
バラよ――…。
掌にすくいあげたものを、ジリアンがさしだす。
ある者は、ジリアンが胸に挿したバラをささげる貴婦人の姿が見えたと主張した。
またある者は、舞台袖に控える劇作家や大男の従者がみえたと感想をもらした。
ジリアン・ロイは四分間のプログラムの中に、完璧な世界観を創りあげた。
これまで彼はやや技巧的なスケーターだとみられてきたが、この演目によって技術と音楽性とを完全に融和させたとの評価を得た。
滑りおえたジリアンが、最後のー音の余韻に浸かりながらプログラムの中に留まっているとき…会場は水を打ったように静まり返っていた。
彼の魂が息を吹き返すようにこの地上に戻ってきたとき、歓声は一度天井にぶつかってから塊になって、リンクの上におちてきた。
演技を終えたジリアンは、ぽかんとしていた。
腹にこたえる振動が、彼を揺さぶった。
地鳴りのような反響にこたえるべく、トレードマークの爽やかな笑顔をつくる。ざわめきのおさまらない会場の四方へ向け、礼をする。
しかし不可思議な思いは、なおも消えない。
どんなに練習してもできなかった完成度の演技が、あっさり実現してしまったからだった。
優勝者として自らの名前がコールされたときも、ジリアンはなかば夢の中にいた。
銀メダルを確定させたマックス・ギュンターが、にやりとして肩をどやしつけてきた。
「よお、カナダのプリンス。とうとうキングになりやがったな。来年は負けねーぜ」
「…望むところだよ」
そう答えながら、ジリアンはとまどっていた。
三位に留まって不機嫌なはずのセルゲイ・マシンスキーが、メダルも観客もそっちのけでロケットペンダントの写真を見ていたからである。
「マックス、彼は一体どうしたんだ?」
「あー。ヤツは今、スケートより恋人が大事らしいぜ」
引退したセルゲイが競技にもどってきた経緯を知らなかったジリアンは、目を丸くした。
自分のことしか考えなかったあの男に、恋人ができたのか。
「……ほんとうに? おどろいた。なにが起きるか、わからないものだね」
「…まったくだぜ」
マックスは笑い、肩をすくめた。
「先のことなんて、誰にもわからねーからな。そん時そん時の自分の気持ちに、正直に生きりゃいいと思うぜ」
このやりとりが、ジリアンの選択に影響を与えたかどうかはわからない。
カナダのトップスケーターは、競技を退いたあと振付師として活動をはじめた。その傍らには常に、元アイスホッケー選手のトレーナーの姿がある。
彼らは今、地元の子供たちにボランティアでスケートを教えている。資格をとり経験を積んだ暁には、すぐれたコーチになるのではないかと噂されている。
彼らについて、ひとつ書き残したことがある。
それは、表彰式のあとのできごとだった。
取材攻勢から解放されたジリアンが、帰り支度をするために廊下を歩いているときだった。
腕章をつけ、カメラをもった男に声をかけられ、立ち止まった。ジリアンの表情がけげんそうに曇り、一転して輝く。
「…クレメンス・ウッドローさんですか」
以前より顔色のよくなったクレメンスは、にこりとして言った。
「覚えていてくれたのかな。…うれしいよ。クレメンスと呼んでもらえると、もっとうれしいが」
「その節は、ありがとうございました。…いい写真が撮れましたか」
「悪戦苦闘しているよ。せっかく友人に頼みこんで、撮影助手として潜りこんだからには、いい絵を撮らないとね」
人間嫌いで人形を愛していた男が、機材を片付けながら笑った。
しかし、クレメンスの求める処女性は、もう自分の中にないのではないか。ウィリアムと経験をしたジリアンは、既に純潔でも清浄でもないはずだ。
そのことを控え目に指摘すると、クレメンスは謎めいた微笑をひらめかせた。
「…ところが、きみの処女性は少しも損われていない。…稀有なことにね」
レンズを通して、それを確信することができたとクレメンスは言った。ジリアンは面食らい、かなり戸惑った。
そんなことが、あるのだろうか。
困惑しつつクレメンスを見つめていると、後ろから強カな戒めにとらわれた。
荷物の積みこみを手伝っていたウィリアム・ヒューバートが、ジリアンを探しにきたのだった。
「…その人は?」
警戒するウィリアムに、ジリアンは教えた。
「…前に話さなかったかな。山で、ぼくを助けてくれた人だよ」
「…ああ…」
低く応えたが、ウィリアムはまったく警戒心を解かずにジリアンの腕を強く引く。
ジリアンは足がもつれて彼にもたれかかる格好になり、軽く抗議した。しかし無表情のウィリアムが、断固としてゆずらない。
「飛行機に遅れる。行こう」
「…ああ。クレメンスさん、お話はまた…」
「…君のユニコーンが、こわい顔をしている。もう、会わない方がいいね。乙女一人につき、ユニコーンは一頭だけだから」
立ち去りかける二人を、クレメンスは足速に追いかけてきた。
「…やあ、きみ。ジリアンくんのユニコーンの彼。…そう、きみのことだ」
クレメンスに名指しされたウィリアムが、ジリアンの腕をしっかりとつかんだまま嫌そうに立ち止まった。
クレメンスから何か封筒に入ったものをさしだされ、反射的にうけとる。
「…この写真を、きみにあげよう。きっと、価値がわかるはずだ。…世間に発表してもいいと思ったら、連絡をくれたまえ」
一枚の写真は、ウィリアムとジリアンとの長い協議のはてに、ようやく発表が許可された。
朝焼けのロッキー連峰を背景に、逆光でシルエットとなったジリアンの姿が浮かびあがっている。
裸体に毛布だけを巻きつけて座る青年の整った横顔は、どこか瞑想的な表情にも見える。
「virginity――ユニコーンの囁き」と題されたその写真は、ジリアン・ロイの引退後に発表され、
クレメンス・ウッドローが新境地を拓いた作品として話題となった。
カナディアン・ロッキー西部の岩場を削ってつくられたクレメンスの隠れ家には、それまで愛してきた人形達を上回る勢いで、ジリアン・ロイの写真が増えていた。
クレメンスが仕事場にしている暗室の入口には、不思議な紋章が彫りつけられている。
左側には、ユニコーン。右側にはライオンがおり、二体の動物によって中央のフラスコが支えられている。
カナダの国章と違うのは、動物の配置が左右逆であることだ。そして、ユニコーンは鎖に縛られていない。
暗室から出て一番最初に仰ぎ見る位置には、ジリアン・ロイの写真が大きく引き伸ばされて飾られていた。
《完》
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